2008年11月04日

'84 ロサンゼルスオリンピック

24年前のオリンピックの思い出です。

olympic1984.jpg

'80年のモスクワ五輪は、その直前に起きたソ連のアフガン侵攻に抗議して米国始め西側諸国がボイコットという前代未聞の事件が起きました。日本もモスクワ五輪には参加しなかったわけです。

その次のロサンゼルス五輪は、東側諸国(ルーマニア除く)がボイコットして、西側諸国だけで行われた大会です。
そういう点、今から考えてみるとまだまだ冷戦たけなわの頃だったわけですね。

ロサンゼルス五輪は、ある意味「転機」になった大会です。

それまでは、スポーツのアマチュアリズムを遵守するためプロ選手は出場できない、という了解事項がありました。
そのため、東側諸国のアマチュアと言いつつ一種の「国家的プロ」達が出場してメダルを奪取する中、その他の国々にとっては一種の「出場制限」のようなデメリットがありました。
それが撤廃され、プロのアスリートでも自由に参加できるようになったのがこのロサンゼルス大会だったはずです。

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また、オリンピックを大々的に商業化したのもこの大会が最初でした。TVの放映権料やスポンサーからの協賛金、大会公式グッズの販売などが入場料に加えて開催元の収入になり、それまで大幅赤字だった五輪というイベントを黒字化することになりました。

開会式の模様はテレビで見ていましたが、「ロケットマン」という背中にロケットを背負った人がアトラクションで空中浮遊していたのを覚えています。
この前の北京五輪の壮大なスケールの開会式に比べるべくもありませんが、それまでの大会の堅苦しい「入場行進」のような色合いは薄れ、完全にショーアップされた開会式になったのもこの大会が初めてでしょう。

yarinage1.jpg

競技の方はというと、24年の歳月を経た現在殆ど記憶に残っていません。東側が不参加だったことで、日本もメダルが割と容易に獲得できたことで、かえって拍子抜けしてしまった面もあるかもしれません。

もっとも印象に残った日本選手の活躍は、柔道の山下泰裕選手の金メダルです。二回戦で右足の肉離れを起こし、誰の目にもその怪我が明らかだったのにも関わらず、決勝で対戦したエジプトのラシュワン選手はあえて山下選手の右足を狙うことをせずに、正面から戦い山下選手が横四方で一本勝ちしました。
この頃はまだ「フェアプレー」と言う言葉が死語ではありませんでした。

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そして大会でもっとも記憶に残ったシーン。それは、この大会から始まった女子マラソンです。
この日のロサンゼルスは猛暑で、多くの選手が脱落していきます。それでも次々にランナー達がゴールする中、一人の選手が完全にフラフラの状態でスタジアムに戻ってきます。
スイスのアンデルセン選手というこの人、もう歩いているというより、脱水症状で泥酔した千鳥足のような状態でコースを周回しています。大観衆が声援する中、スタジアムに入ってから5〜6分も経ってようやくゴール。そのまま係員に運ばれました。

誰もがアンデルセン選手が最後の完走者だと思ったその瞬間、後方からスタジアムに入ってくる選手がまだ2〜3人いたのには驚きました。


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2012年、ロンドン五輪ではどんなドラマが待っているのでしょうか。世界的金融恐慌の影響で、緊縮財政五輪になるような予感がします。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 00:00| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
イーグルサム懐かしい・・・。
小熊のミーシャは気の毒だった・・・・。
(個人的には北京五輪はボイコットして欲しかった・・・)
Posted by デハ at 2008年11月04日 18:36
小熊のミーシャの閉会式は私もよく覚えています。
北京五輪は、やはり苦々しい大会でしたね。各国がボイコットをしなかったのは成長する中国市場が魅力だったからなんでしょう。ただ、中国バブルもどこまで続くのか…
いずれにせよ、'36のベルリン五輪を引き合いに出すまでもなく、「スポーツの場を借りた政治ショー」が五輪の実相なのかもしれませんね。
Posted by シモン at 2008年11月04日 19:45
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