
歴史や地理の試験勉強に暗記は付き物です。
事件の起きた年号をひたすら暗記。一生のうちにおそらく一度も行かない土地の名前をひたすら暗記。今では誰も覚えていない思想の呼び名をひたすら暗記。…
社会科の試験勉強の大半は、そういった無味乾燥な文字列を記憶することに費やされていました。
人間、何事も苦手なことは道具の助けを借りて克服する傾向があり、これら社会科の暗記を助ける補助ツールとして「暗記ペン」なるものがありました。

暗記ペンは、確かゼブラから販売されていたと記憶しています。正式な名称も「暗記ペン」だったかどうか忘れてしまいました。ひょっとしたら、単なる「通称」だったかもしれません。
その概要は、
・2種類のマーカーがあり、一方(=Aペンとする)で印刷物やノートの文字をなぞると紫色の不透明な色がつき、下の文字が隠れる
・もう一方(=Bペンとする)のマーカーで先程のAペンで塗りつぶした紫色のマークの上をなぞると、中和して透明になり、下の文字が見えるようになる
というものでした。
便利なものを手に入れると、使いまくってみたくなるものです。教科書やノートのみならず、カレンダーや漫画本、雑誌といったおよそ印刷物という印刷物にすべてAペンで紫色のマークをつけまくりました。必要なときにBペンで中和すればよいのですから、怖いものなし?です。

ところが、このペンの特性が徐々にわかってきました。Bペンで一旦中和し、透明になったマークも、時間が経てばまた紫色が復活して隠れてしまうのです。時間が経つと、いくらBペンで中和しようとしても完全には元に戻らず、薄紫色のまま残ってしまいます。さらに致命的なのは、Bペンを紛失してしまうと永遠に中和できないままになってしまうという点です。
せっかく購入した暗記ペンでしたが、一ヶ月も経つと飽きてしまったこともあり使わなくなってしまいました。
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最近「東大合格生のノート」という本が売れているそうです。サンプル写真をちら見すると、この暗記ペンを使ったノートの例が載っていました。私は挫折してしまいましたが、暗記ペンを有効活用して東大合格という成果を得た人もいたわけです。やはり「道具は使いよう」なんだと思い知る次第です。
(本文と写真は関係ありません)
でも目を凝らすと見えてしまうんですよ(笑)。
私は一応文系人間(経済を専攻しました)だったので、世界史や日本史の暗記用にこのペンは欠かせませんでした。
結果的に、どれだけ暗記力向上に貢献できたかわかりませんが・・・
当時は、鉛筆や文房具に結構こだわりを持って、大事に使っていた記憶がありますね。
それにしても私は文章がうまく書けないので、デハさんやららさんのように、長い文章がすらすら書け、長いだけじゃなくその場の情景が鮮明に浮かんでくるような素晴らしい文章力を目の当たりにすると、とても自分には出来ないなぁと嘆息してしまいます。
やはり一日一日を大切に真剣に生きることが文章にも表れているのかもしれませんね。やや怠惰で流され気味の日常生活に、メリハリをつけて生きていこうと思います。
大方の人には顰蹙をかっていたようです。
中学三年生の晩秋、ペンケースの中に入れられた暗記ペン、部活動が終わって男女三人づつ机を寄せ合って補習に臨む昼下がり、会話の中に飛び交う将来への期待と不安…。
ある女の子がこっそり学校に持ってきてみんなに配ったチョコレートが口の中に広がるなか、セーラー服の上にジージャンやスタジャンを羽織った彼女たちがいたずらっぽく目を見て笑うと教室は俄かに彩られたものです。ここそこが私にとってケールハイムすべき時間と空間なのかもしれませんね。
青春の青く輝く風の中にクラスメイトたちのまなざしが金色に煌き、やがて黄昏がやってきてあたりはインクを流し込んだように染まると、大人でも子供でもない季節を生きるわたしたちは天使で居られる最後の時間を思い切り生きたものでした。
一方私が暗記ペンから連想される過去の思い出というと、世界史の補講で残された思い出や、暗記ペンを活用しようと自宅で教科書を開こうとしたら実は学校の机の中に置きっぱなしになっていた記憶とか、試験直前同級生の女子に「歴史ファン君どこが出ると思う」と聞かれて「大塩平八郎の乱じゃないかな」と答えたら「じゃあその山は出ないということね」と外され、しかも試験に実際大塩平八郎の乱は出題されなかった、というような不毛の記憶しかありません。
らら様の思い出がライン河沿いの美しい街並にたとえられるなら、私はシベリアの広大に広がるツンドラ地帯のような思い出しかないのが返す返すも残念です。
前もお話しましたが、私はおそらくこの世で一番女性との縁がない男ではないかと思います。
歴史ファンさんの思い出も、今では良い青春の一ページではないでしょうか。私の同級生の女子も結構意地悪でした。
デハさん、考えすぎです(笑)。私もそういう意味では、女の子とも水商売の女性とも遊んだことがありません。
私が女性と縁がなかった理由はいくつかあります。
まず私を育てた祖母が男尊女卑の考え方の持主で女性を見下して、一緒に遊んだりすることを許さなかったこと。
次いで私の容姿が、たいへん醜かったこと。これは生涯消えることのないコンプレックスです。
次に私が面食いというか、理想が高く、なかなか良いと思う相手が見つからなかったこと。具体的には陳美齢様との比較になりますので、かなり厳しいものがありました。
もう一つは、近所に同世代の女の子がいなかったこと。
この4つの原因で、私と女性との間にマリアナ海溝のような深い溝が出来てしまったのです。
容姿のことをおっしゃられていますが、多分旧家の出のデハさんは気品と威厳が表情に表れていると思います。仮に今風のイケメンでなかったにせよ、そこまで卑下されることはおそらくご本人が正しくご自分を把握されていないことだと推察いたします。
デハさんばかり弱みをさらけだしてくださり、不公平に思われますので私の弱点を。
私は、酒が好きなんです(アル中ではありませんが)。これも一種の現実逃避、自分の殻にこもっている所作なんです。そういう点や、このようにくだらないブログなど書いてよき家庭人としての義務を全うしていないのです。
極論を言うと、何か専門的に打ち込んだテーマ以外で、いたずらに散文的なブログなどやってる人は多かれ少なかれどこか病んでるのかもしれません。デハさんのように一つのテーマに打ち込むことこそ本懐とすべきだと常々羨ましく思っております。
肝心の本命の人には何も言えませんでした。以前、好きな人にストーカー呼ばわりされて以来、どうしても自信がなくなってしまったのです。そもそも私はコミュニケーション能力が欠落した欠陥品で、出来損ないなのかもしれません。
私は本当に心も姿も醜いので誰にも愛されない運命にあるのかもしれませんね。
今日のクリスマスイブ、私もチキンを家族で食った以外はどうということのない夜でした。大方の人はそうなんじゃないでしょうか。
好きな人にストーカー扱いされるのは、成年男子なら少なくとも一度は誰でも経験してるはずです。
本命の方とうまく行きます様に。
あれだけ面白いストーリー書ける人が崩壊寸前だなんて洒落になりませんよ!
まだ30代でお若いのに、気楽に生きましょう。
でもデハさん、このblogが少しでもデハさんの気を紛らわせるのにお役に立てたら光栄です。
これからもご遠慮なくコメントを下さい。お願いいたします。
婚期を逃し、出世からも見捨てられた私・・・。
軍艦や戦車も造れなくなった私(置き場所がない)
一体何を生きがいにしてよいか判りません。困ったことです
気力を保っている限り、必ず道は開けると思いますよ。
私は以前「拒否型」人間と判定されたことがあります。ルールや法則を無視する人間がどうしても受け入れられないのです。正等に拒んでいるのに拒まれたほうは対応が悪いと垂れ込みます。その結果上司からの信頼を失うわけです。愛想良く、本来無視してかまわないやつに無駄に時間をかけて説明してやる者は親切で良い人間で、ならぬ物はならぬを押し通す私は悪者という構図になっています。
ただ、人を受け入れる心を持たない私ですからきっと大好きなあの人も私を受け入れてくれないのかなあとも思う今日この頃です。9日間も会えないなんて・・・それだけで病気になりそうです。
たかが会社での出世のために、自己を曲げない人の方が稀有の存在だと思います。
なので、自己をしっかり持って気力だけは失わないで下さい。会社の論理にまみれて会社のための気力を注いでも、結局会社はデハさんのために何もしてくれないと思います。
大好きな彼女には、年賀状は出さないのですか。私自身男女の事には疎いので、あまり良いアドバイスが出来ませんが。
デハさん、実は私も拒否型人間です。なのでとても共感して読ませて頂きました。
会社人間になる気はさらさらありませんが、会社の好き勝手にこき使われるのが嫌でたまりません。
お互い、悩みを最小限に生きていくのは大変なことですね。
なんか人間不信に陥ってしまい、回りから追い詰められた気持です。折角の休みも空しいだけ・・・。
あせらず、でも確実に念願の彼女とうまくいきますように。