2009年05月09日

田植え歌

連休が終わると、多くの地方では稲作が本格化します。

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新緑の季節がやってきました。GW後半から昨日まで東京地方は長い雨続きでしたが、一転して今日は眩しい好天に恵まれています。そんな時に新型インフルエンザの国内感染者が発見されたニュースでにぎわっていますね。それにしても、NHKはどんなに重大なニュースがあってもテレビの「連続テレビ小説」とラジオの「ラジオ体操」だけは絶対に中止しないのが不思議です。

GWが終わると、日本各地で田植えが始まります。東京の住宅地ではあまり経験がありませんが、学生時代に京都の友人宅に五月頃泊まりに行ったとき、閑静な岩倉というところに住んでいるにもかかわらず、「騒がしくて眠れないんだ」というので不思議に思っていたところ、夜になると水を張った田んぼから蛙の大合唱が始まり、納得したことがあります。最近はその友人宅付近もすっかり宅地化され、田んぼの蛙の鳴き声も聞かれなくなったそうです。

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稲作というと、田植えと稲刈りという二つのイベントがあります。最近はすっかり全自動化され、機械が植えてくれるのですが、時折「田植え祭」のようなイベントで、早乙女姿のお嬢さんたちや一般参加の街の人(=農民にあらず)が人手で田植えをする光景に出会うことがあります。
そんなイベントで歌われる「田植え歌」というものがあります。手で稲を植えていたこの時代、何故田植え歌を歌いながら田植えをしていたのでしょうか?次の中から理由を選んでください。

(1)皆で同一のテンポで歌を歌うことにより、田植えのペースを一定に保つため。
(2)田植えというお祭り気分のイベントを盛り上げるため。
(3)無駄口を叩かないように、地主が小作人に歌を歌わせた。
(4)その他

…どれが正解でしょうか。

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正解は(4)その他 です。では何で「田植え歌」を歌うのか?それは「辛い労働を紛らわすため」です。
人間は、単調で面白くない田植えのような労働を持続させるために、歌を歌うのです。歌そのものは、田植えという作業を物理的に促進させる効果はありません。ですが、作業をする主体としての人間の精神を落ち着かせる潤滑油の役割をしているのです。機械化された田植えには、機械に対する潤滑油が必要でるのと同様、人間という生き物には潤滑油に相当する「遊び」が必要なわけです。
近年の不況で加速化された感がありますが、経営者が二言目には「合理化、効率化」と主張して無駄を省こうとするのですが、これは労働の主体である人間の本質を全く理解していない考え方だと思います。
人間が効率よく働くためには、一見無駄な「遊び」が不可欠です。田植え歌に代表される「遊び」を排除して、従業員を机に縛りつけ、「内部統制」と称して社内の業務外のメールを禁止したり、社員の在席状況を表示するようなツールで監視するようなことは、機械の潤滑油を無駄だから無くそうとする行為とほぼ同じ結果をもたらすことでしょう。

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田植えで思い出す映画は、'49のイタリア映画「にがい米」です。洋の東西を問わず、田植えという労働は辛く厳しいものでした。「ベニスに死す」でブルジョワの貴婦人を演じたシルヴァーナ・マンガーノが、実は「にがい米」で肉体派(非知的)女優としてデビューしたと知った時は驚きました。
そのマンガーノも'89年に癌で亡くなり、既に20年の歳月が経ちました。

posted by シモン at 10:00| 東京 ☀| Comment(22) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
地道に単調作業をこなす日本人は世界中見ても稀な存在です。昔から不毛の地を水田に変え、唯一恵まれた人的資源を稲作に集中投入できたおかげで、江戸時代の日本は鎖国体制下で独自の資本主義を実現させました。そして明治以降富国強兵の下、今度は繊維産業や鉄鋼業が新たな労働集約産業となりました。そして敗戦後米国式経営管理が電機や自動車等に応用され、今日までこれら産業が外貨獲得と日本ブランド向上に貢献し花形と呼ばれてきました。

ところが、日本の労働集約型資本主義は90年代バブル崩壊で従来の人的資源含めた設備投資拡大がストップします。企業は一斉にリストラと海外への工場移転を開始し、中国に代表される新興国に労働集約産業の活路と市場を求め、一方21世紀初頭リストラが一段落した国内ではパソコン・携帯電話に代表されるIT産業の急拡大と、米欧中の外需拡大を受け、企業は需要変動と短納期対応目的で製造現場に派遣社員を大量採用した一方、正社員にはコンプライアンスの名の下厳格な機密保持と勤怠管理を要求し正社員の慢性的な過負荷状態が問題になりました。これら職場環境の激変に伴いメンヘル・パワハラ等新語が生まれたののもこの頃です。

そして2008年9月、米国発の世界金融危機が日本を直撃します。いつしか製造現場やオフィスの単純作業を支えていた派遣社員は、米国のクレジット同様職場から一瞬にして蒸発しました。閑散とした職場では更なる臨時休業、残業・賞与カットが進められています。製造業の生産は底を打った感はありますが、バブル崩壊同様に過剰設備問題が更なるリストラ、海外移転を招くのは必至です。生き残った日本企業の従業員に対する様々な監視がいつしか密告社会となり、個人を精神崩壊させない為にせめて少しくらいは遊びの要素を残してほしいものです。

話は変わりますが、シモンさんの記事にある伊太利亜の北中部では稲作が行われています。彼の地での米は所謂パスタの一種扱いですが。尚彼らにに対する情熱的、大雑把というラテン系ステレオタイプに反して北部住民は勤勉であり、日本同様に製造業が発達した地域です。
Posted by HB at 2009年05月09日 13:19
してみれば、こちらのブログで拝見する記事や写真は日本的労働集約型産業が最盛期だった頃の回顧でもあるわけですね。
私が住んでいる県を発祥の地とする労働集約型電機メーカーは、昨日日本企業最大の赤字をさらに下方修正してました。
労働集約型の産業構造の中では、個性や独創性といったものはあまり必要とされていなかったわけですが、これからの経済戦争は従前の労働集約による集団戦よりもテロに見られるゲリラ戦の様相を呈してきたわけで、そういった知性が重宝されるべき時代な筈ですが、現実は・・・。
イタリア=ラテン系=非勤勉という図式はアルプスに近い地方には当てはまりませんね。ちなみに昔仕事で知り合った北のエリート達はパスタをスプーン等使わずに右手のフォークだけで食べていました。
Posted by ラー at 2009年05月09日 15:29
ラーさま
>>イタリア=ラテン系=非勤勉という図式はアルプスに近い地方には当てはまりませんね
→昔、「伊太利亜ではなかった」つまり墺太利・洪牙利帝國臣民だった時代があったのももしかすると原因かもしれませんね。

 田植えや新田開発といえば、伊達家では家臣に給料ではなく土地と人民を与えていましたが、彼等が熱心に開墾と作付けを増やしたため、彼等の知行の合計が本来の伊達家の禄高を大幅に(62万石のところ、実際は300万石)上回ってしまったようです。江戸で消費される米の大半は仙台産だつたとか。
さらに5代藩主吉村公が農民から余剰米を買い上げエドに転売するシステムを構築して以来、さらに生産効率が上りました。
ただその反面、境界を巡って涌谷と登米の伊達家同士の対立が生まれ、伊達騒動の原因の一つにもなってしまいました。
 なお、宮城県は今も昔も米どころですが、より寒い地方では明治以降の品種改良や土壌整備により米どころになったところもあります。
 その例として福島県郡山市が挙げられます。
「安積開拓」と称する疎水を中心にした事業の結果、現在市では日本一の米生産量を持っています。それ以前は米が余りとれなかった、と言われていますが、実はそうでもなさそうです。
 というのも、郡山市を含む旧二本松藩の石高は、10万石で、現在の地域でいうと福島県の二本松市、郡山市、本宮市に相当しますが、南部藩は岩手県の北2/3+青森県東半分で同じ石高でしたから、開拓前でも、岩手県や青森県よりは数倍の生産量があったことになります。
 開拓の功績ばかり称えられて、旧主丹羽家の顕彰をおろそかにしがちな地元の姿勢に無念を感じています。
 なお、盛岡藩はのちに20万石になりましたが、別に領地が増えたわけでも米の生産高が増えたのでもなく、単に「宿敵」弘前藩に対する見栄から、そのようにしてもらったのです。一口に大名といっても、実際には家格とは別に、領地別の格式があり、10万石を超えるか超えないかで差が出るため、幕府への上納や大名行列の負担が増すことを承知で格上してもらったのです。
 なお3万石以下の大名は城を構えることが許されず「陣屋」に住んでいましたが、伊達家の「一門」は要害という実質的には城となんら代わらぬ立派な居城に住み、石高も2万石前後と、小大名を圧倒する権勢がありました。各地の城跡・陣屋跡を見ても、伊達一門の要害が大名の陣屋を凌駕していることは明らかです。
 なお大名家の中でも、尾張・紀伊と前田・島津・伊達は他の大名とは一線を画した存在とされていました。水戸・会津及び20〜50万石クラスの大名でようやく4位(我が丹羽家と、九州柳川の立花家は例外的に10万石でも)で、それ以下の大名は、禄高は別として、官位では高家(吉良家がその代表で、没落したかつての名家の成れの果て)のほうがはるかに高い地位でした。そのことを知らなかったため、「何故大名の浅野が旗本の吉良に頭を下げる?」と疑問に思っていたのです。
 吉良からすれば、浅野は成り上がり者で(元は織田の足軽頭)すから、内心面白くないと思っていたという側面もあったと思います。
(それを言ってしまうと、丹羽家も織田の家来でしたが・・・。浅野よりはずっと上でした。信長公がいなくとも、城を構えた上級家臣でしたから)
 ちなみに織田家も江戸時代の途中までは小禄ながらも、格式高い家として尊重されていましたが、幕府転覆を企んだ家老がいて、禄高に見合った家柄に格下されてしまいました。それでも、本来ならおとりつぶしのところ、信長公の直系に免じて存続を許されたのでした。
 なお、「高家」の中には、没落したかつての名家(吉良・今川・六角・畠山・山名・上杉・大友など)の他、織田家の分家も含まれており、その一つの子孫がスケートの織田信成選手です。従って彼は私から見ると主筋に当り、常に応援しています。
また、高家上杉家は米沢の上杉家ではなく、高家畠山家の分家です。その事情は複雑で、謙信公が家老に城を乗っ取られていた能登畠山家を滅ぼした時、遺児の1人の政繁という人物を養子にし、「上杉政景」としました。のちに彼は上杉分家の「上条家」を継承し、良く知られた名前「上条政繁」となり、同じく謙信公の養子で義兄に当る景勝と力を合わせ、もう1人の養子、景虎を滅ぼしました。しかしのちに、景勝と意見が合わなくなり(直江兼続に嫉妬したためとも言われている)、上杉家を出て、本来の畠山家に戻りました。ところが、景勝に子が出来ず、このままでは「無嗣断絶」に成りそうになったため、政繁と仲直りして、息子の1人を養子としました。しかしその直後実子が出来たので、幕府、上杉、畠山の三者で協議した結果、その子には、新たに非大名ながら格式高い「高家上杉家」を創立してその初代になることを認められたのです。
 ちなみに、この家の当主は忠臣蔵を見ると親戚である吉良に阿る描写がされ人気がありません。また、途中で血筋が伊達家のものに摩り替わっています。(他に、堀田家等も伊達の血筋に変わっています。春日局の子孫のはずでしたが・・。その稲葉家は、ガラシア夫人の血を最後まで引き続けました。細川家は途中で血筋が絶え、分家(忠興が妾に産ませた子の子孫)が継いだためガラシアの血は流れていません。細川隆一郎氏には流れているようです。この人の先祖は、ガラシア夫人を見殺しにした罪で長男でありながら廃嫡された人とのことです。
Posted by デハ at 2009年05月09日 18:04
デハさん、江戸時代の東北各藩の経済史を興味深く読ませて頂きました。江戸市中の米のかなりの部分は仙台藩のものだったわけですね。今ならササニシキだったのでしょうか。
石高制による家格の違いがよくわかりました。名目上の石高以上に肥沃な土地を所有していた二本松藩や仙台藩が南部藩や弘前藩等より有力だった訳ですね。高家といえば、今川氏は元々吉良氏の分家だったはずで、たまたま没落した氏真が秀忠に高家として登用された際に吉良家も高家になり、その後赤穂事件の吉良上野介まで代々高家筆頭でした。石高はない代わりに格式の高い高家は、会社で喩えると部下は少ないけれど職位は高いスタッフの役職のようなものでしょうか。労働集約型の企業では、とかくスタッフよりもラインの長が重んじられることが多いのですが、産業構造の転換を期にその辺りのポジションも変わっていくかもしれませんね。
それにしても、デハさんの深い歴史観に裏打ちされた「デハさん版天地人」を観てみたいですね。なにしろ今放映されているドラマは、薄っぺらで正視に耐えませんよ(笑)。
Posted by 一オールドフアン at 2009年05月09日 21:16
朝方急いで書いた記事で、文意もままならない駄文にどなたも深い洞察に富んだコメントを頂き感謝しております。

HBさんの仰る通り、コンプライアンスという大義の元社員の精神を破壊するかのような監視社会は絶対に嫌ですね。私の友人が中小企業を経営しているのですが、仕事を通じて精神を病むのも、工作機で指を切断するのも同じ労働災害だと言っていました。まさにその通りですが、各階層にわたって管理者がツリーのように連なる大手企業体ではとかく精神のケアが疎かに思えてなりません。「健康管理センタを置いてるからOK」という問題ではなく、そもそも心を持った従業員を機械のように扱うという点において、私の知人の雇用主に比べて意識が低く感じます。

ラーさんのご意見ごもっともです。補足しますと、ハイテク産業よりもローテクな部門に活路を見出すべきではないかと思っております。日本をはじめ先進国がハイテク指向に走ったのは労働単価の差でローテク部門では途上国と勝負にならないという背景がありましたが、ハイテクばかりが必ずしも人類の根源的な欲求を満足するはずもなく、またハイテク化によって本来ローテクで十分、あるいはむしろ便利だった営みがかえって煩雑化・複雑化しています(昔はテレビはチャンネルと電源スイッチしかありませんでした)。インドのTATAの車「ナノ」などはローテクの精華?なのかもしれません。
デハさん、洋の東西、古今を問わず相変わらず深くて広い知識をお持ちですね。江戸時代の米経済、実は札差と呼ばれる手配師が巨利をむさぼっていたのと同様、現代社会においても労働集約産業では実働者の利益を流通手配する人が吸い挙げているという構造は変わりませんね。実際、大手企業で出世する人は独創的な発想力よりも調整力とか人脈の方が有力な人が幅を利かせています。
一オールドフアンさんが仰るように、私も(=以前もどこかでコメント書いたと思いますが)、デハさんの脚本によるドラマを是非見てみたいです。日本の戦国時代に限らず、未来の英国連邦が舞台でもいいです。「宇宙戦艦フッド」なんてタイトルで如何ですか。
Posted by シモン at 2009年05月09日 21:51
私はシモン様やららさまのように「最高学府」を出ていない地方出身の無能者で社会における役職も低く、また、皆様が「必須」とおっしゃる文学者や哲学者の大半は初めて耳にする者ばかりです。その代わり、伊達家・上杉家の家臣や独逸・英国の貴族の名前は良く知っていたりします。
しかし、伊達氏の家臣の名前や英国の伯爵の名前は試験には出ません。
非生産的な無駄な知識だと思います。

いかに効率よく知識を得て、いかに効率よく出世し、配偶者を得て子孫を残し一円でも多く金を残すのが勝利者なので、私は惨めな敗北者にすぎません。
私如きが仮に駄文を書いた所で取り上げられる可能性は零に近いです。

 昔なら、手っ取り早く認められる方法がありました。それは、「主君の身代わりになって死ぬ」ことです。武田信玄の弟・信繁や、伊達家臣ではいかりや長介が怪演した鬼庭左月及び伊東重信、毛利家では渡辺通などが主君の身代わりになって死亡し、遠く源平の昔は佐藤兄弟が義経の身代わりになって散りました。しかしその名は永久にとどろき、子孫は断絶するまでその栄誉を得ることができるのです。
 仙台の伊東家など伊達兵部によって断絶させられるも、「先祖が政宗を救った」という理由で再興されています。
 私が恐れるのは、終身雇用制、世襲制の衰退です。私は議員の世襲や創業者一族による世襲も当然のことと考えております。
 トヨタの社長が豊田さんでパナソニックの社長が松下さん、東武鉄道の会長が代々根津嘉一郎を襲名というのも私の価値観ではそれこそが正しく、一族以外の手に会社が渡らないようにすることが金儲け以上に重要だと考えています。
 
 
Posted by デハ at 2009年05月10日 19:45
私も、デハ様の深い歴史談義を楽しく読ませていただいています。
「主君の身代わりになって死ぬ」ことが、家系制度を中心とした封建社会で意味を持ったのは江戸時代の安定期以降だそうで、戦国乱世にはそのような儒教的な考えが存在しなかったので平気で寝返ったと歴史の本に書いてありました。(ホントか嘘かはわかりません)
世襲制も、経済が江戸時代のように安定していれば意味を成すかもしれませんが、グローバル化のこの世の中で維持するのは大変かもしれませんね。
Posted by ラー at 2009年05月10日 20:21
Posted by シモン at 2009年05月10日 20:44
デハさん、私はいわゆる受験に出そうな知識ばかりを集めたため、デハさんのおっしゃる「役に立たない知識」言い換えると「純粋な知的好奇心」の点で、デハさんに遥かに劣ることを白状致します。
それゆえ、いつも拙文に深いコメントを付加して下さるのを楽しみにしています。
世襲性が成立する背景には、ラーさんのおっしゃるように社会の安定が不可欠です。私が君主制を良しとするデハさんの意見に共感するのも、実は安定社会そのものへの希求なのかも知れません。
Posted by シモン at 2009年05月10日 20:54
グローバル化と言う名の経済戦争下では安定社会の維持は困難を極めます。かの英国も80年代以降構造改革と金融市場の開放で一時は経済が回復した様に見えましたが、金融危機でそれはバブルだったと証明されました。英国新貴族になるべく高額な報酬を求めたシティの金融マン、露西亜・印度の企業家は今後どうなるのでしょうか。

武家社会を継承した戦後日本企業も日産自動車に象徴される「外資傘下」を受け入れ、米英の金融商品よろしく「数字=コミットメント」の為なら手段を選ばない改革の下、従業員の「召し放ち」と城下町の「閉鎖」、系列「家臣団」解体がX字回復の名の下実施されました。そこに製造業を支えた、田植えのような苗一本の地道な作業は存在するのでしょうか。外国で現地人相手に武家社会を再現するのは大変な時間と労力を費やします。トヨタの様に進出先の利害重視でモノづくりを進めようにも、そこで「主家の為に犠牲を払う」価値観を見い出すのは難しいと思います。

私は今回の不況からの回復過程で日本企業が終身雇用制を完全放棄するのか、ドライな従業員管理を改めかつての共同体へ回帰するのか大いに注目しています。金融危機前の好況期のマスコミ調査では、日産やライブドアの顛末を見た若者の多くが終身雇用制維持が望んでいたはずです。
Posted by HB at 2009年05月10日 22:21
HBさん
>私は今回の不況からの回復過程で日本企業が終身雇用制を完全放棄するのか、ドライな従業員管理を改めかつての共同体へ回帰するのか大いに注目しています。

私も全く同じ視点で今後の日本企業の動向を見守ってます。終身雇用制、即ち毎年発生する退職金が維持できるか否かは各社の財務状況に全く依存するのだと思いますが、多くの企業は年功序列を放棄したのと同様、昔ながらの意味での「終身雇用」を継続することは困難でしょう。

「かつての共同体への回帰」こそが、江戸時代のムラ社会に端を発する日本的企業体の原点回帰だと思いますが、利益を度外視して共同体の存続を望むには、あまりにも強い外圧に晒され続けている現状です。日本人がそのような共同体を維持するためには、他国に秀でた独自性が不可欠ですが、はてさて・・

Posted by 一オールドフアン at 2009年05月11日 20:01
「デハさん版天地人」を観てみたいですね。
→実は、私・・・直江兼続って好きじゃないんです。功績は認めるんですが・・・。
「石田三成と親しい」というのが最大の難点でして・・・。
あの時代、私が一番嫌いなのが実は石田三成なんです。次に嫌いなのがサル秀吉です。
 私は成り上がり者というものが大嫌いなので、多くの名門旧家を滅ぼしたサルが大嫌いなんです。元がなかったものを馬鹿みたいに守ろうとした石田三成も嫌いですし、実際身の回りで一番嫌いなのが、三成のように小賢しくて要領のよくて、肉体的物理的パワーには劣る者なんです。
「義」とか「愛」とか抜かしていますが、元々豊臣家など存在しなかったのです。それを立てて何になるというのか理解できません。同じ理由から真田も嫌いなんです。
 真田幸村が、「武田家の再興のために」十勇士を集めて織田、豊臣、徳川と戦う、というならわかります。いや、父親が武田の臣、武田の支えとなるべく「信繁」と名づけたのに勝手に改名した嫌な奴です。
 今、戦国ブームといいますが、実際は私の嫌いな武将ばかり人気が出ていて、ついていけません。

 本当に忠義に生きた武将というのは、落ちぶれた今川氏真を最後まで守り通した朝比奈泰朝ではないでしょうか。名門を守るため親身を削って弱弱しい主君を守り通した泰朝の姿は私の手本です。
 他に、伊達政宗の楯となって討ち死にした鬼庭左月(いかりや)と同じく郷土の英雄、伊東重信。
重信の孫・七十郎もまた伊達家の危機に巨悪・伊達宗勝に天誅を企てようとして処刑されました。しかしそのことが伊達安芸宗重公らを動かし、ついに伊達家は安芸公や七十郎の犠牲のもと守られたのです。
 伊達家といえば、政宗の叔父・留守政景を忘れてはなりません。成実・綱元・小十郎をもって三傑というのですが、その戦歴・実績・人物・家柄のどれをとっても、実際には政景を加えて四天王とするべきでした。私は、どうせ書くなら留守政景か朝比奈泰朝の小説を書いてみたいです。
私がどちらかというと地味目で誠実な重臣を好む傾向の源流にあるのは、先祖が丹羽長重公の重臣だったことに由来すると思います。
長重公は、織田信長の筆頭家老の1人であり、常に軍団を支え続けていましたが、サルや柴田、明智らに比べて地味で、扱いも低くなっていますが、信長公は「五郎左は米に等しい」と絶賛していたのです。また、高位への任官を固辞するなど、ガルマン=ガミラス帝國の、タラン将軍を連想させるエピソードもあります。(デスラー総統はヒトラーよりは信長だと私は思います)

 もっと高位かつメジャーな武将としては、上杉景勝公が実はお気に入りなんです。アンチ直江なのに?と思われるかもしれませんが、その理由は単純です。それは、景勝公が謙信公と信玄公両方の遺言を遵守し、武田信清を救ったからです。
 謙信公は、景勝公に「上杉を頼る者はたとえ誰であろうと救え。それが武田であってもだ」と言い残したといわれています。一方、信玄公は、
万が一武田が危うくなった時は、上杉を頼れと言い残しました。
その言葉を信じた信清を景勝公は救い、以後幕末まで武田家を大切に扱い、その上武田家の子息に、重臣中の重臣、色部家を継がせたりしています。ちなみに色部家は、川中島の合戦、新発田の謀反(このとき討ち死に)、吉良討入り、戊辰戦争と上杉家のターニングポイントで常にその名を残した家でした。
 由緒ある名家と譜代の忠臣を重んじる私にとって、成り上がりのサルに阿る者は皆その同類でした。
 嫌いな武将の1人に木村吉清がいます。主君光秀を裏切りサルに取り入り大崎地方を与えられた無節操です。しかし一揆に敗れた責任を取られ左遷されました。当然の報いです。裏切り者かつ小禄のものがいきなり太守になったとしてうまくいくはずがありません。
 やはり伊達家上杉家島津家のように連綿と続く名家による統治が最も素晴らしいのです。
 そしてそれを支える譜代の忠臣の存在を私たちは見落としているのではないでしょうか。
Posted by デハ at 2009年05月11日 22:13
デハさん、お世辞ではなく、やはりデハさんに大河の脚本を書いてもらいたいですよ。
「直江兼続って好きじゃない」人が、深い歴史の背景を知って書くドラマこそ面白いと思います。
今の脚本家は、史実や人物関係をよく知らずに「現代劇」を書いているようにしか思えませんし、なにより「主人公至上主義」は、そろそろ終わりにしてほしいです。直江にも、人間らしいズルイところや怠惰なところがあって、それでも主君景勝と戦ってきた、という話の方が同じフィクションでもよっぽど共感できると思います。
「譜代の忠臣の存在を私たちは見落としている」
本当ですね。後世の人に知られることも無く、忠義につくした人生こそ感動しますね。最近では、無謀な作戦と知りながら「新生日本の魁となって散る」ために出撃していった戦艦大和の乗員たちもそうですね。
Posted by 一オールドフアン at 2009年05月12日 20:05
上杉景勝という人は、直江の徳川追撃を頑として拒否したんですよ。
景勝=直江の傀儡、よくても全面的に信頼、というわけではなく、彼の暴走を内心苦々しく思っていたのではないでしょうか。
 先に述べたとおり、私は景勝公は決して嫌いではありません。
 景虎贔屓の人も多いのですが、赤の他人、それも敵だった奴に実の叔父さんの跡を継がれてたまるか、という気持も十分理解できるものです。
ただ、どさくさにまぎれて主筋の上杉憲政を殺害したのだけはいただけなかったです。
上条政繁や、川中島で活躍した水原も直江を厳しく批判しています。
 愛宕権現を信仰していただけなのにレインボーマンよろしく愛の戦士にされてしまった直江も気の毒ですが。
 ただ、樋口兼光(巴御前の兄)の子孫という意味では評価していますけど。
 それと、直江兼続という人物は、伊達政宗公に対し、大変無礼な態度をとりました。
本当の大人物というものは、他家の主を非難したり見下したりはしないはずです。上条政繁が怒って出奔するのも無理はないような傲慢な態度だったともいいます。
 良く彼と比較される片倉小十郎は、景勝や蒲生、家康等にも礼節を尽くし、また成実らの一門衆に対しては無礼な態度をとらず一歩引いて礼節を尽くしました。
 また、政宗や成実の暴走を幾度となく押さえ、伊達家を安定させた功績を見逃すことは出来ません。
もっとも小十郎はメジャーですから、いずれ大河にもなるでしょうし、小説もたくさん出ています。ですからあえて伊達モノなら留守政景で書きたいと思います。
留守氏というのはある意味伊達より名門なんです。実際には4代前から伊達の血統に代わってしまいましたが。
政景子孫は3代で絶え、涌谷伊達家(伊達安芸)の血筋に代わりました。
 伊達安芸といえば、普通は伊達騒動で身を殺して藩を救った4代宗重公なのでしょうが、天保の飢饉の際、救援小屋を設置して民衆を救った13代義基公のほうが、よりすぐれた名君であることを知りました。ただ、資料が少なくとても本になりません。
年に数回は涌谷に通ってあれこれ調べているのですが。宗重公・義基公のほかにも涌谷は名君そろいで、幼君・暗君が続出した本家よりすぐれていた感さえあります。
「伊達一門」は11家、それに半独立大名の田村を含めた12家ですが、のちに血統的には伊達本家、涌谷伊達家、石川家の3系統に集約(本家が養子を送り込んで乗っ取った)されていきます。
岩出山、水沢(=留守)、亘理(成実系)が涌谷(=亘理氏)、石川、田村、涌谷、三沢が石川氏、その他が伊達本家の血統です。石川家のみが、本来の血統で幕末まで続きました。実際には4代に実子がいたにもかかわらず、綱宗次男が養子に入るも、その人物が宇和島を継いだため、間にもう1人養子を挟み次の代から元の血統に戻ることが出来ました。また、3代妻4代母は政宗次女、4代妻は涌谷からで、母系で本家、涌谷の血を引いています。
(そのため、涌谷は母系で本来の血筋をかろうじて継承)
なお、岩城家(岩谷堂伊達家)は、亀田藩(佐竹系岩城家)に養子を出し、元の血統を取り戻しました。
Posted by デハ at 2009年05月12日 20:48
涌谷伊達家(伊達安芸家)は4代宗重公が寛永事件で身を犠牲にして藩を救って以来、一門中最高の発言力を持つに至りました。
 子息の5代宗元は、藩命ではなく幕命で家督を継承し、さらに父が守り抜いた幼君亀千代君が成長した綱村校り「尽忠見龍院」の額を賜り、次男を家老に取り立て、さらに長男には妹を娶わせるなどの破格の厚遇をしました。
また、義基公の貧民救済に「一門は政治に口を出してはならないことになっているので、辞めて欲しい」と訴えた家老がいましたが「今は戦時、餓死者を出さないことが先決で、一門は藩主の留守を預かるのがその役目」と答えたところその家老は激怒して江戸に上り藩主斉邦公に上訴したところ「予の留守は全て安芸に任せる」と答えられてしまい、面目を失い切腹したそうです。
また水沢や岩出山に養子を出して(さらに岩出山から亘理に)血統を広げるなど、大繁栄しました。
ところがその一方で伊達家の定紋「竹雀」の使用を咎められ紋を祖先の千葉氏の月星に変えさせられたり、藤原姓を平姓に改めさせられるという理不尽な扱いも受けていました。元々亘理家で、平姓だったのが伊達に征服されて伊達を名乗るようになったのに、後になっていまさら「あんたの家は千葉常胤の子孫だから平姓で月星を使うべきだ」とクレームを付けられるのは、旧軍を解体し非合法化しながら、あとになつて海外派兵を求めるアメリカ軍にも似ています。
 最も私は派兵や日米同盟そのものには賛成です。ただそのためには、自衛隊を正規軍に、また同盟も日米対等でなくてはならないと思っているのです。米空母が横須賀に駐留する代わりハワイににも日本の艦艇が駐留できるようにするなどです。
Posted by デハ at 2009年05月12日 21:00
>愛宕権現を信仰していただけなのにレインボーマンよろしく愛の戦士にされてしまった直江も気の毒ですが

その通りです!
オープニングで、「愛」と書いた旗を持ってたり、「愛」と書いた兜を被って疾走する「ラブちゃん」こと直江兼続、あのドラマでは赤ちゃんちゃんこの景勝といいコンビです。
あのドラマでは、やたら女性がしゃしゃり出るのも鼻につきますね。内助の功ならまだしも、合戦の指図はしてほしくないです。
だいたい、出演者のあの髪型はどうなんでしょうね。普通に、現代人が髷だけつけたような・・・。
史実では、直江兼続は毎朝髪をブローしてたんでしょうか。
Posted by ラー at 2009年05月12日 21:31
今戦国ブームとかいって武将のコスプレする変な女や、それならまだしもミニスカの鎧を作る奴やそういうクソげーむもありますからね。
戦国ブームなどなくなってしまえばいい
Posted by デハ at 2009年05月12日 22:07
最近はガンダムをはじめとするロボットアニメで、女が男と全く対等に戦闘に参加するため、変な誤解をしている連中が多いと思います。
女性が戦闘に参加するのはそれこそ最終手段であり、普通に女性が戦闘員化するというのは人類の種の絶滅に繋がりかねません。
 人間も含め動物は、種さえつければその後雄は死んでも雌が子を産めば絶滅しないことになっています。
また、体の構造上、男性は相手を突くように(攻撃的に)女性は受動的に作られています。
 男女平等、同権というのと、肉体的な同等の能力というのは別物です。
 この勘違いをなんとか是正しないと、人類は滅亡します。
 ジェンダーフリー思想こそが人類を滅亡に導く危険思想なのです。

また、私は戦争には賛成で、男というものは常に戦い続け殺し合わなくてはならないと考えています。体の構造がそうなっているからです。おとなしい草食動物の鹿でさえ、殺しあって雌を得ているではありませんか。
男性の弱体化がジェンダーに付け入られる隙を作っているという一面もあります。
 
 各地の時代祭り等でも、有名武将を女が演じていたりするとガッカリして立ち去ったりします。大河で後藤久美子が北畠というのも未だに許せません。
 
男にしても、どうみても弱そうな貧弱な男が武将役というのは許せません。もっとも、義経のようにそういうイメージがある人は別ですが。
直江兼続に関しては、あの軟派な男が演じることによって益々嫌いになってしまいました。
ただ今回は秀吉は似た感じの人でした。勝新のようにどうみても武田信玄=虎に見える人が、サルとねずみを足して2で割った容貌といわれる秀吉を演じるのは無理があると思います。


最後に繰返して主張します。
信長・秀吉を演じる人は絶対に痩せていなくてはならず、家康、信玄、竜造寺隆信、そして浅井長政を演じる人は太っていなくてはならないということです。
 万が一、家康・信玄を痩せた人がやる場合、青年時代に限定されるべきです。
 他の人物は詳しい資料が残っていなかったり、長生きしたため途中で体型が変った(伊達政宗は健康児→虚弱児→逞しい青年→太った親父と変遷された事が記録に残っています。)りしていますが、
信長と秀吉ははっきりと痩せていたことがわかっており、また織田家では、子孫も皆痩せていますので血統的にそういう家系なのだと思います。(以前、どこかのサイトで、日本人の描いた信長、伴天連の描いたもの、天童藩主、スケートの信成選手を並べたのがありましたが、いずれも少しずつですが似ていて織田の血というものがよくわかりました。)
 29歳で死んだ浅井長政が痩せてイケメンのはずがありません。ところが漫画やドラマではお市の相手役に相応しいようにとの配慮からイケメンにされることが多く、絶対に許せません。29歳にしてあのビアダルのような体型です。
また、豊臣秀頼も、身長2メートル、体重130キロだったという説があり、石塚か松村邦洋か林家正蔵が演じるべき人物なのです。
 肖像や写真、資料が残っている場合は、それに忠実な容貌の人物を起用するのが何より重要なのです。役作りのために痩せたり髪を切ったりした役者を見ると偉いと思います。
 信玄役になった人は太って髪を剃ってもみあげを増やさなくてはならないのです。
Posted by デハ at 2009年05月13日 07:42
デハさんおっしゃるように、最近のジェンダー思想も進化してきて、男女同権でなく女性を保護すべきものとして上位に置こうとしています。肉体的には戦闘要員の男が勝るので、女性をそのような男たちから隔離し保護すべきだというのです。女性専用車が一例ですね。
尚、男性の中にも女性的な人は保護すべき対象のようです。大河ドラマの直江兼続はその点でジェンダー思想家たちのアイドルなのでしょう。彼らの(というか、彼女らの)戦国時代は、むさい男たちが戦で真っ先に滅び、生き延びた女性的な男たちが無償の「愛」を女性たちに捧げた、よき時代だったようです。
Posted by 無名X at 2009年05月13日 14:28
それだったらまだいいです。
女は女なのですから。
私は女が男役、男が女々しいというのが許せないんです。
義経や北畠顕家が女のはずがありません。
武装した女とか、どこがいいんですか?

それでなくともあえて名前は出しませんが筋肉質で短髪で真っ黒に日焼けしたゴリラのようなスポーツ選手とか、いかがなものでしょう。
また権利だけ主張し、女性としての義務を果たさず吼え捲くる元教授とか、単にもてないことにたいする僻みなのではないかと思います。

 直江兼続の原作者も女だとか。女の考える勘違い時代劇などもうたくさんです。正直、気持悪い。
Posted by デハ at 2009年05月13日 16:51
デハさん、はじめまして。名乗る程の者ではありませんので匿名で失礼します。
「ゴクミの北畠親房」は、「リボンの騎士」のオマージユですよ。手塚治虫さんも罪作りですね。

私は、直江のようななよっとした男が主人公ともてはやされる時代に失望しています。「天国と地獄」という黒澤映画の三船敏郎を見習ってほしいです。
Posted by 通りすがり at 2009年05月13日 17:32
通りすがりさま
「親房」ではなく「顕家」ですね。
リボンの騎士ですか・・・。こちらは初めから「男装」とわかっているので宝塚と同じですが、大河や時代祭りでは完全な女を完全に男として扱うので許せないんですよ。

三船映画では「奇跡の作戦キスカ」が好きでしたが大村少将(三船)に髭がなかったのが残念でした
Posted by デハ at 2009年05月13日 20:23
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