2009年10月31日

間違いだらけのクルマ選び

車評論のベストセラーでした。

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自動車というものは、比較的高額な耐久消費財です。従って購入にあたっては購入ガイドを参照して研究する消費者が多いはずです。
この本は1976年に初版が発行され、またたく間にベストセラーとなりました。近年まで毎年新車の発売に合わせて改訂版が出版され続けてきましたが、著者の徳大寺有恒氏の高齢化などのため、2006年度版をもって終了となりました。
ではこの本はベストセラーになるほど汎用的な見地で書かれた評論本かというと、そのようなことは全くなく、むしろ「読者が意外と思うような独自の視点」で書かれた車評論だったからこそ売れたのでした。

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自動車というものは単なる移動の手段というよりも、それを保有する人間の感性やセンス(や経済状態)を色濃く反映するものです。オンボロの借家住まいながら車だけは高級外車だったりする人も大勢います。単なる工業生産品となった車を批判して、車作りの「哲学」が色濃く反映された車を賞賛するというこの本は、多くの車マニアに絶賛されました。

ではこの本で書かれた「哲学」とはどんなものだったのでしょうか。私の記憶の断片で申し訳ありませんが、「大衆車にパワーウインドウとエアコンは必要ない」つまり虚飾を排したシンプルな車であって、「走る、曲がる、止まる」という基本性能をきっちり守った車こそ良い車である、と主張されていました。従っていろいろなオプションがある日本車よりも、頑丈ながら内装は素っ気無いドイツ車などはこの本では賞賛に値するわけです。日本車はカタログスペックでは上回っているが、例えば欧州車のエンジンはトルクのピーク値をエンジンの回転数の少ないところに振っているのでより実用的である、とか書かれていました。一言で言ってしまうとこの本で言うところの「間違ったクルマ選び」とは、「カタログだけを見てコストパフォーマンスなクルマを選ぶ」ことの意味なのでしょう。

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徳大寺さんのクルマ選びは、結構趣味が偏っていました。それが評論家なので仕方がない…と言ってしまえばそれまでですが、国産車ではトヨタが一番で、マツダ車はほとんど低い評価だったように思えます(=この本は広島県では売れなかったことでしょう)。
また総じて国産車よりも欧州車の方を褒める傾向が強く、その理由には「欧州車には確固とした哲学が感じられるから」というようなものでした(日本車にも「故障が少ない車」という哲学があるのですが)。極端に言ってしまえば、よほどのエンスー(=車マニア)を除いて、最も「間違いだらけの車の選び方」は、「この本を鵜呑みにして車を買うこと」なのかもしれません。

最近は若者の車離れが進んでいます。最近の車の進化の方向が、電気自動車だのエコだのといったベクトルに進み、昔の「プレリュード」や「シルビア」のような「デート車」がなくなったことも一因としてあるのかも知れません。金融恐慌以来斜陽化が進む自動車産業を活性化する新たな評論本がそろそろ出てきても良い時期です。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 06:00| 東京 ☀| Comment(11) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>「大衆車にパワーウインドウとエアコンは必要ない」
自動車産業がここまで大きくなった背景には内装の高度化やHVの普及の際に、これらの開発から生産をグループ会社や電機メーカーへモジュール品で発注し納入させた点です。トヨタのデンソーや、米のデルファイ・ビステオン、独逸のボッシュといった部品大手の他、松下・日立・シーメンス等の電機大手の自動車事業がバブル後〜金融危機の間業績を伸ばしました。
またボルボのCMでやっていた安全性能に対しても煩くなるとエアバッグが標準装備化されたように、エンジンやボディといった車の基本的な機能以外どんどん進化して製造業の自動車依存が進んだ一方で、完成車のコンセプトがミニバン・SUVといった実用性重視となり、高級車を買えず家族車も欲しくない若年層が車を買わなくなりました。
東京モーターショーでトヨタが新「ハチロク」を展示しましたが、手頃なデート車が見直されれば「シルビア」「プレリュード」も復活する事でしょう。思えばバブル前のホンダの車は軒並みスポーツカー色が強く、他社と一線を画していました。
Posted by HB at 2009年10月31日 13:12
車の大衆化を相当嫌っていた印象があります。
その点「美味しんぼ」で大量流通消費される安い食材を批判していたのとほぼ同じ思想ですね。
よくよく考えれば、それが「評論の王道」というトコロだったんでしょうか。上から目線で貶され続けてきた国産車メーカーは「黙殺」していたように思えます。
実際私も、ジャガーとメルセデスを複数所有する人の書いた評論本はあまり参考にする気になりませんでした。
その点TV神奈川で放映されていた三本和彦氏の「新車情報」の方が余程役に立ちました。
Posted by 無名X at 2009年10月31日 14:06
この本のおかげで「間違いだらけのXX」という言い方が定着しましたね。
Posted by 通行人Z at 2009年10月31日 15:56
我が国に限った話ではありませんが、自動車産業という代物は実に果てしなく広い裾野を持っていますよね。
組立の自動車メーカーを頂点に、部品産業、素材産業、石油化学工業、流通業、広告代理店、燃料供給業、・・・多分、全部は挙げきれていないと思います。
CO2削減とか交通事故撲滅とかの視点だけで考えれば高速道路無料化などもっての外で、それこそ逆に自動車を保有することに高額の納税を促すような政策が「妥当」なんでしょうけど、自動車産業にまつわる人達の雇用維持を考えるとそんなことは不可能ですね(唯一社民党の党首だけ主張されていますが・・・)。

この本の筆者も、そんな重層的な構造で支えられた自動車産業のお陰で食べていける立場の一人であることは事実ですね。まあ、それゆえに迎合的な提灯記事を書かなかったことは良いことだと思いますが・・・。
「プラスティッキーな内装」という表現は面白いと思ってました。現在私の乗る車は殆どプラスティックで出来てますが。
Posted by ラー at 2009年10月31日 18:18
独逸車はオペル以外は褒めちぎっていた気がします。特にメルセデスの手先なのではないかとさえ思いました。
私の目にはベンツやアウデイ、VWはまあいいしとて、BMWは故障の塊にしか見えないのですが。
アメ車に対する酷評もすごいです。特に、「ポンティアック・グランサム」「サターン」などは「アメリカ人が小型車をまともに作れない見本」と、最低の評価をしていました。
国内だとマツダ、ホンダの評価が低かったと思います。

私の愛車など「2世代前の技術に基づいて作られている大味な車」とした上で、「それと割り切れる者にとっては十分」と解説され妙に納得してしまいました。
ただ、「メルツェデス」「ジャグワー」という呼称はどうしても受け入れがたいものがあります。
私は「日本式発音英語」の大ファンでして、いまさら「コロンプスはコロンバス」「コンコルドはコンコード」「ムスタングはマスタング」といわれても、40年近くそう呼称していたものを変更できません。
Posted by デハ at 2009年10月31日 22:21
おはようございます。コメント有難うございます。

HBさん
若者のクルマ離れを考えるために、昔は何故若者がクルマを所有してたか?と逆に考えると、「デートに誘うため」という理由が大きかったような気がします(=主観ですが)。ということは現在、「魅力的なクルマがなくなった」ことと同時に「魅力的な異性がいなくなった」ことも理由に挙げられるかもしれません。生物としての人間の中性化が進んでいるというか…(=あくまで主観です)
「新ハチロク」出ましたか。トレノ・レヴィん系ですね。あのジャンルも最近絶滅してましたね。

無名Xさん
TVKの「新車情報」は土曜の朝によく見てました。開発担当者が出席して、三本さんにいろいろ注文つけられて四苦八苦してたのが面白かったですね。

通行人Zさん
「間違いだらけの」って便利な言い回しですよね。世の中に模範解答なんてそうそうあるもんじゃありませんし。

ラーさん
世の中全体の大きな潮流は、個別の移動手段の公共化・統合化へ進んでいるかもしれません。そのうち個人でクルマを所有する国はインドと中国だけになるとか…(幻想ですが)

デハさん
独断と偏見に満ちてましたね。私も実はBMWはあまり好きじゃありません。
アメ車の酷評も凄かったですね。ネオン以外のアメ車は悪くないのに
「メルツェデス」「ジャグワー」これは笑ってしまいました!所詮カタカナ、日本人が気取った発音してもどうにもならない(笑
個人的には、90年代以降は「まだこんな本出てたんだ」って感じのマンネリ本に成り下がっていたように思えます。
Posted by シモン at 2009年11月01日 06:56
最近はクロスオーバーいうお題目のもと車の中性化も著しいです。特に日産のボテッとした車種(マーチ・ノート・ティーダとか)は明らかに女性か中性化した男子向けです。また、高齢者層狙いのキープコンセプトはレクサス発表後のトヨタブランド基幹車種がことごとく当てはまります。本田はオデッセイのヒット以降、一昔前の北米市場を意識した路線です。
今の日本車で走り屋系に支持されるブランドはスバル・マツダ・ランエボの三菱くらいですが、皮肉な事にグローバル展開やら環境対策やら課題山積の自動車業界において単独で存続できる体力がなく、各社大手資本の傘下になり下がっています。
Posted by HB at 2009年11月01日 10:46
HB様、
>最近はクロスオーバーいうお題目のもと車の中性化も著しいです
ホントですね。おかげで全然買い換える気がしません。新しいのがアレでは、古い車でも走行性能に支障がない限り乗り続けてしまいます。
私が一番欲しいクルマは、アルファロメオのMITOです(別に水戸に住んでるからという訳ではありませんが・・・。)
デザインの都:ミラノ発ならではの先鋭的なスタイリングはカッコいいです。でも壊れるんだろうな・・・ラテン車だから。
Posted by ラー at 2009年11月01日 10:57
世の中全体の大きな潮流は、個別の移動手段の公共化・統合化へ進んでいるかもしれません
→それに逆行するのが高速無料化です。
自動車を持たない者,高速を利用しないものにまで税負担を強いる酷い政策です。
これにより鉄道、航路の廃止・縮小、バスの運行縮小が進み、自家用車を持っていないと生きていけなくなり、Co2は更に増えます。
こんなばかげたことは今すぐ中止するべきです。

また、高速の有料性は、近距離移動者と長距離移動者の分離を図ることによりそれぞれの混雑を少なくする狙いもあるのですが、クソミソ一緒にさけてしまえば渋滞の元になります。
また、それがまかり通るなら、山手線にも特急料金をかけなくてはならなくなります。逆にのぞみの特急券無料とか。

国土交通大臣ならその点は熟知しているはずなのですが・・・
Posted by デハ at 2009年11月01日 13:52
デハ様のご意見に賛同するものです。

高速無料化で自動車を持たない人間が見返りのない負担を強いられるなんて確かに馬鹿げていますが、それ以上に「せっかくの道路インフラの品質を悪くしてどうすんだよ」という思いもあります。

IPネットワークの世界では、帯域制御(QoS=Quality of Service)という概念があって、優先度の高いパケットの転送を伝送装置等が制御しています。でないと、とんでもなく使いにくいネットワークが出来てしまうからです。
高速道路無料化政策をIPネットワークの世界で喩えるならば、いわば「これまでやっていたQoS制御をやめる」ことと同様です。ネットワーク回線同様、交通整理をやめた道路は
品質の悪いものに成り下がるでしょう。

まあ、酷い目にあってからでないと人間気がつかないものですから、一度試してみるのもよい経験になるかもしれません。
Posted by 無名X at 2009年11月01日 14:14
× 優先度の高いパケットの転送
○ 優先度の高いパケットの優先転送

でした。
有料の高速道路に乗るということは、優先度の高いパケットとして優先的に転送するのと同様です。そこへ、味噌も糞も大挙してやってきたら・・・という説明をしようとしていました。


失礼しました 
Posted by 無名X at 2009年11月01日 14:18
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