2009年12月12日

インド

悠久の大地です。

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私が最初にインドを訪れたのは'88年、大学の卒業を目前にした時期の一人旅でした。インド。ありとあらゆるカオスがひしめき、摩訶不思議な世界が展開するその国に、一生のうち行けるとしたら自由な時間のある今しかない、と思ったのがきっかけでした(=実は数年後に仕事で何度も行かされる羽目に陥るのですが)。
エアーインディアの機体は、あたかも何社もの航空会社を渡り歩いてきたような中古のオンボロで、座席上の収納の一箇所が必ずちょっとしたはずみにカギが外れて全開してしまい、下の乗客の頭上に荷物が落下する、というような代物でした。成田 - バンコク - デリー - ボンベイ(現ムンバイ)と16時間乗り継いでインドの土地を初めて踏みしめた時は深夜になっていました。

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自由旅行なら、ホテルの事前予約など全く必要ありません。空港にうじゃうじゃ客引きがいるからです。いろいろ交渉して比較的良さそうなホテルに決め、その日はそこに泊まることにしました。
後から考えてみるとそのホテルはバスタブはもちろんシャワーもお湯なしという木賃宿で、しかも(交渉したと思ったのに)日本人向けの比較的高い値段だったのでした。
別にホテルライフを楽しみに来たわけではなし、早速市街にタクシーで繰り出すことにしました。
ボンベイの気候は蒸し暑く、温度も36℃ぐらいありました。インドの中では最も「西洋的な都市」のはずのボンベイですが、自動車道路を平気で横断する人、交差点で止まるたびに新聞を売りに来る少年達、等等実にエキゾチックな光景を見せてくれました。

その日の夜行バスでアウランガーバードという都市に移動しました。この近郊にはエローラの石窟寺院という観光名所があるのです。
話が横道に逸れますが、友人に「エローラの石窟寺院に行った」というと、必ず「エロ裏の、セッ○ス自慰に行ったの?」と聞き返されて往生したものです。
ともあれそこに行こうとホテルの玄関に止めてあるタクシーに乗ろうとすると、
「ちょっと待った」
と後ろから声をかける声がします。振り返って見ると、日本人の一人旅の女性でした。

インドを旅行しているとわかりますが、一番元気がいいのは「日本人女性」です(=決して「男性」ではありません)。特に関西方面出身の人です。私はインドでは第二公用語の英語を使いますが、彼女達は英語やましてヒンズー語などは使いません。日本語(しかも関西弁)で押し通すのです。インドという異文化の坩堝にいようが全く関係ないようです。

ともあれ、声をかけたその日本人女性はやはり私と同じ大学生で、将来社会科の教師になるので視察旅行に来たのだそうです。そして
「タクシー代高いから、二人で相乗りしよう」
という訳です。私もそれならということで、二人でインドの国民車「アンバサダー」のタクシーに乗ってエローラまで同行することにしました。
このアンバサダー、ダンバーが路面の衝撃を吸収せず、もろに座面に響いてきます。路面自体も舗装されていませんから、すごく上下動します。何度も天井に頭をぶつけ、ガックンガックンと波動方程式の軌跡を描きながら進んでいきました。

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その同行した女子学生は英語が出来なかったので、私がタクシーの運転手との通訳を任されました。
「あのなー、インドでは、ターバン巻いてる人と巻いとらん人がおるやろ。ターバン巻いてるんはどないな人か、聞いてくれへん?」
と言われたので、
「What kind of people wear turban?」
と運転手に聞いたところ、
「シーク、シーク!」
と答えます。要するに「シーク教徒だけがターバンを巻いている」ということですが、早とちりしたその女子学生は、
「なんや、病気の人が巻いてるんか!」
と素っ頓狂な声を上げました。シークをsickと聞き間違えたようなのです。
私は黙って心の中で笑っていました。その女子学生は後に社会科の教師になったそうですから、今でも関西のどこかの学校で
「インドでターバン巻いている人は病気の人」
と間違った知識が教えられているかもしれません。

インドは90年代に入り、当時のシン首相の自由化政策により、IT産業を中心に一気に経済成長を遂げています。ロシア、ブラジル、中国とともにBRICsの一角の中、英語が普通に使える相手国として欧米関係や日本等との取引が好調です。あと10年もすると、昔のカオスなインドも余程の僻地に行かないと見ることが出来なくなるかもしれません。それはそれで寂しいことだと思います。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 06:00| 東京 ☁| Comment(14) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
キリスト教に例えると、ヒンズー教がカトリック、シーク教がプロテスタントの関係で近年までシーク教徒の独立運動やテロ等の宗教対立があった関係です。
ただヒンズーに比べ教義がリベラルなせいか、上流階級の中で高度な職能を持った人が多くインドに高度経済成長をもたらしたシン首相はシーク教徒です。また有名人ではタイガー・ジェット・シンもそうです。

関西人女性はインドだけでなく中国でも元気でした。語学能力云々ではなく、海外で自己主張出来る適性が高いのでしょうか。
Posted by HB at 2009年12月12日 15:16
関西人の女性は、海外どこの空港の免税店でも関西弁で買い物をしますね。
私は下手な英語でおどおど買ってます。
Posted by A2Z at 2009年12月12日 17:13
私は印度人=タイガージェットシンのイメージで、印度人は全員ターバンを巻いてサーベルを咥えていると思っていました。
 インド料理の中でも一番美味い、「シシカバブー」は、「シーク・カバブ」が詰ったもので、本来はサーベルに肉片を巻いてタンドリーで炙って食べたことに由来する、と聞いたことがあります。だから穴が開いていると。
 インド料理は大好き(最も好きな料理)なのですが、印度に行くためには、飛行機に乗らなくてはならず、しかもボロイので、行くだけでも寿命が縮まってしまいそうです。
 あと、水が悪く、不衛生な印象もあり、それが躊躇う原因です。

 あと、印度では仏教があまり信じられていなくてショックです。三蔵法師が行ったのに・・・と思ったら天竺(ガンダーラ)はアフガニスタンでした。(元は皆印度だったのでしょうね)
 ただ、知り合いの印度人・パキスタン人(インド料理屋)が言うには、「日本人は皆ヒンズー教」と言います。仏教はヒンズー教の一宗派と看做されているのです。さらに、ある印度人は、ヒンズー教の和訳語として「仏教」という言葉を使っていました。
Posted by デハ at 2009年12月12日 17:35
インド人とターバンは切っても切れない関係と思ってました。
Posted by ラー at 2009年12月12日 20:08
生まれて初めてインド料理を口にしたのが大学1年生の時の香港旅行でした。香港とインドは英国植民地繋がりで人の交流も多く、バックパッカー向けの安宿にはインド・パキスタン料理の店が必ずあり、そこで食べたマトンカレーの味は忘れられません。
インド行きは不衛生さから来る体調不良のリスクから出張以外考えていません。それ以外の混沌とした雰囲気は問題ありませんが…思えばカレー料理やタンドリチキンのスパイスは日本のワサビやニンニクの様に傷みやすい食材の殺菌・防腐目的だと考えています。
Posted by HB at 2009年12月13日 10:50
おはようございます(と言ってももう11時ですが)。
みなさんコメントを有難うございます。
HBさん
ご指摘の通り、シン首相もシークでした。ちなみにムンバイの富豪であるタタ財閥はゾロアスター教徒です。
英国系のレストランで、コストパフォーマンスな料理というとインド料理が多いですね。ちなみに私の仕事仲間のインド人はほぼすべてベジタリアンでヒゲを生やしていました。
A2Zさん
関西人の女性には、肝の座った堂々とした人が多くて、普通のおとなしすぎる日本人よりはるかにコスモポリタンですね。
デハさん
タンドリーチキンとかシシカバブは美味しいですね。インドというか、パキスタンの方のイスラム料理かもしれません(インドはベジタリアンが多いです)。
仏教はインド本国では衰退してしまい、ヒンズーに取り込まれてしまいました。発祥の地でさびれてしまうのは残念ですね。日本の大相撲も、上位力士が外国人ばかりだと寂しいです。
ラーさん
オリエンタルカレーの商標のインド人もターバンでした。
Posted by シモン at 2009年12月13日 11:12
>シモンさん
タタ財閥の他に、クイーンの故フレディ・マーキュリーも有名なゾロアスター教徒でした。本人達はインド生まれですが、先祖はペルシャ系な訳ですね。
本来大国のインドが英国植民地にされ、今でもヒンズー以外の少数派が上流階級に登用される理由として、近世ヒンズー教徒から強力な統一政権が生まれず(各地のマハラジャは英国に各個撃破されました)、パキスタン含む北のイスラムやシーク、西のゾロアスター、セイロンとネパールの仏教と宗教毎に分割統治される原因となった事です。したがって当時のインド人に国家という概念は希薄又は存在しなかったと思われます。20世紀のガンジー等の独立運動の時代になって初めて、宗教・民族・階級を越えた国家概念が確立されたと考えます。
Posted by HB at 2009年12月13日 15:22
私もHB様の御意見に賛成です。近代的な意味での国家という概念は多民族・多宗教のインドでは曖昧で、いまだにパンジャブ地方等で独立・分離紛争が頻発していることに表れていると思います。
その点、インドの独立を導いたガンディーの功績は想像を絶するものがありますが、何故かノーベル平和賞を受賞しておらず、口だけ非核を唱えたオバマが受賞してたりするのが不思議です。
Posted by 無名X at 2009年12月13日 15:53
HBさん、無名Xさん
インドの民族や宗教の状況は、基本的に単一民族で無宗教の日本人とは対極にあります。
ヒンズー主流派以外の少数派でないと上流階級に属することの出来ない事情は、おそらくHBさんのおっしゃるとおりだと理解しますが、なかなか日本に置き換えて考えてみることが出来ませんね。
ともあれガンジーの努力で独立国家を勝ち取ったインドと、周囲を海に囲まれていたため自動的に独立国家だった日本は、経済のように宗教以外の部分では案外「良いコンビ」になれるかもしれません。
私が最初にムンバイに旅行した時のインド人は、「日本は第二次大戦の戦勝国」と思っていた人が大勢いたことも興味深かったです。
尚、ガンジーは平和賞に推されましたが辞退したと記憶しています。
Posted by シモン at 2009年12月13日 19:44
今日は印度料理を食べました。
ところで、私は印度というと
「印度の山奥で修行して〜」というレインボーマンを思い出しますが、葬式のたび「アノクタルサンミャクサンボダイ」と唱えているのにレインボーマンに変身しない坊さんは修行が足りない、と不謹慎にも思っていました。

 印度がIT化したり自動車が作られていたりなど、想像も出来ませんでした。
私の頭の中に描いていた印度は、金持ちは丸いドームのお城に住み、毎日美味いもの食べていて、その他の人は、ぼろきれをまとっていて、その苦しみから逃れるため、山奥で厳しい修行をしている、と思っていたからです。

私は外国に対する偏見は異常なものがあり、
「米南部では、上半身裸にチョッキを羽織った男がつばの広い帽子を被り、銃と鎖を持って馬に乗り、昼間からバーボンを飲んでいて、時々インディアンが襲ってくる」
「仏蘭西人は、全員美男美女で、コルセットをしていて、毎食フルコースを食べている」
「独逸(北部)の男は全員鷲鼻の坊主頭で黒い服を着て、猛烈に勉強し体も鍛えているが、南部では、昼間から楽器を演奏しながらビールを飲んで丸々太っていて、肌の色はピンク」
「中国人は辮髪でラーメン食べて全員拳法の達人」
などです。
Posted by デハ at 2009年12月13日 21:55
私はガンジー印のインク消しが大好きです
Posted by デハ at 2009年12月13日 21:56
デハさん
面白いコメント有難うございます。
少し前までの大方の日本人の抱いていたインド人のイメージというと、レインボーマン的なものかもしれませんね。年中カレー食べてるとか(=それほど間違ってませんが)。
ドイツ人は年中ビール飲んでいて、フランス人は年中ワイン飲んでいて、ロシア人は年中ウォッカ飲んでいて、イタリア人は年中女性を口説いていて、・・・そんなイメージを私も心のどこかに持っているかもしれません。

ガンジー印のインク消し、商標もガンヂーの絵ですね。
Posted by シモン at 2009年12月13日 22:07
インド・・一度旅行してみたい国ですね。
「ピンク・シティ」と呼ばれるジャイプールや、インド最南端のトリバンドラムとか、独身時代にいろいろインド旅行の研究をしましたが、結局行かずじまいで主婦になってしまいました。
行くとしたら、子供がもう少し手がかからなくなってからでしょうね・・
Posted by FYI at 2009年12月14日 14:45
FYIさん
コメント遅くなり申し訳ありません。
ジャイプルも素敵な街ですね。ピンクの壁が印象的なところでした。
お子様が大きくなったら是非連れて行ってあげてください。
Posted by シモン at 2009年12月16日 22:14
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