2009年12月20日

省エネ

「省エネ」が一種のブームになったのは70年代後半からでした。

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私が中学時代ですので'79年の夏だったと思いますが、当時の大平首相が珍妙な格好を披露しました。題して「省エネルック」という服装は、スーツの上着の袖が半袖になっていて、これを着れば蒸し暑い夏の日本でも冷房温度を上げずに涼しく過ごせる…というものでした。
要するに現代のクールビズと同じ目的のものですが、普及させるためにはもう少し男前のモデルか俳優を雇えばよかったのにただでさえ暑苦しい顔の大平首相だったために「見た目がものすごくダサい」という印象を与え、定着しませんでした。
大平首相自体も、こんな服装をしたためか翌年の6月にぽっくり逝ってしまったのです(=その結果自民党が選挙で大勝しました。日本人は死人に優しいのです)。現在ではこの格好をする人は、民主党の羽田元首相一人しかいないようです。

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日本では明治時代以降、世界的には近代以降の社会とは、人間の労力の代わりに膨大な資源とエネルギーを消費する破滅型の社会です。皆が楽をするように見えても、膨大なエネルギー消費や環境破壊によって将来にツケを回すシステムです。
昨日買ったパソコンが今日は旧式になり、明日は新型が出ているような現代社会において、便利な製品は使っている間は有用ですが、使うのをやめた途端に処分に困るゴミに変質するのが大きな特徴です。つまり「便利な社会」では、ゴミを出し続けることが宿命な訳です。
70年代以降唱え続けられてきた「省エネ」も、結局のところこの本質的な構造を変える訳ではなく、ただ単にどうせ出すゴミの量を少しでも減らそうとするための努力に過ぎません。

それに比べて近代以前の日本、即ち江戸時代の日本の社会構造は「リサイクル社会」でした。この時代の第一の産業は言うまでもなく農業で、生産された食物は人の口を経て堆肥として田畑に戻りました。工業生産品も化学製品などは皆無でしたから、燃やせば灰となりカリ肥料として田畑に戻りました。太陽エネルギーの力によって大体1年ぐらいのサイクルで生産物がリサイクルされていたことになります。

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70〜80年代から、環境を政治的にアピールするエコロジスト達が「緑の党」や「グリーンピース」というような団体を組織しました。そして反原発・反捕鯨を訴えて狂信的な行動を行っていることは周知の通りですが、本当に彼らの主張が「環境に優しい」ことと一致しているかはかなり疑問です。例えばグリーンピースのスポンサーにはシェル等の石油産業があり、石油以外の資源をエネルギーとして利用させないために反核・反捕鯨活動をしているという向きもあります。その真偽はともかく、環境を保護する目的なら暴力的な行動も許容される、という考え方には賛同しかねます。

究極のリサイクル社会を実現するためには、廃棄物を資源に変える段階で「我慢」が必要です。江戸時代のように、人糞を堆肥として再利用する社会には堆肥の臭いが日常的に漂っていたことでしょう。そういった生理的な刺激が一旦「悪臭」と感じてしまった以上、再び堆肥の臭いに耐えることができるでしょうか。
現代の「便利な社会」は個人としての寛容性をどんどん低くしていき、逆戻りできない「破滅型の社会」だということを再認識する今日この頃です。本当に省エネ社会を実現するのなら、個人の権利の主張をやめて寛容力豊かな社会を、とでも訴えてみるべきでしょうか。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 06:00| 東京 🌁| Comment(9) | TrackBack(0) | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
20世紀末迄の社会は、日米欧の先進国のみが資源を大量消費する前提で物事が進んでいていましたが、当初単に安い労務費を利用した生産拠点と見られていた中国等、発展途上の人口大国が今や消費をリードする時代です。年間何千万人単位で中間所得層が増加する新興国は当然、経済力に応じた資源の分配を要求するので、先進国は今の生活レベルを維持する為の画期的方策を建てる必要に迫られます。
ところがこれが厄介なもので、先進国は既にサービス経済が主流で最低限の消費財の供給だけでなく、冒頭でシモンさんが触れたモデルチェンジによる差別化により意図的に消費を操作している以上、これを止めれば企業の業績も悪化します。最後は日本全体が多国籍企業化して、海外で商売する時代が訪れるかも知れません。
Posted by HB at 2009年12月20日 20:19
環境問題は、いわゆる限りあるエネルギー資源の取り合いという側面ではマグロ漁制限の問題と似ていますね。
昔はエネルギーや海産資源が枯渇するほどの消費社会ではなかったので問題は起きなかったのですが、限られた資源を世界中で取り合いにならざるを得ない状況では制限を設けてその枠の中でやっていくしかない、というわけです。
個人的には来年のマグロの値段が気になります。。
Posted by FYI at 2009年12月21日 17:15
その昔、西武鉄道は都心の人糞を堆肥として郊外に輸送し、そこで栽培された野菜を都心に出荷する目的で「西武農業鉄道」と称していた時代があったと聞きます。http://www2.ocn.ne.jp/~kumanet/tetsudou-kantou-seibu.htmlこのサイトにその記載があります。
 まさにリサイクルですね。
Posted by デハ at 2009年12月21日 22:44
コメント有難うございます。
HBさん
中国・インド等の新興国とのせめぎあいの中で、先進国がエネルギー分野で生き残るための選択肢は安全な原子力の運用ぐらいしか殆ど残されていないような感じです。
エネルギー以外の資源では、希少金属に見られる様にもはや奪い合いの状態でこれまた大変な状況です。
おっしゃるように、主体としての企業は多国籍化していくしかないように思えます。
FYIさん
マグロに見られる水産資源も、新興国で需要が急拡大したことで枯渇する危険性が高くなりました。来年のマグロの価格は現在より相当高騰することを覚悟しなければならないでしょうね。
デハさん
素晴らしいサイトをご紹介くださって有難うございます。
そこにも書かれていますが、西武線というとお洒落な都会的近郊私鉄、という印象が強いのですが、かつて「西武農業鉄道」だった時代があったとは、新鮮な発見です。
江戸時代のリサイクル文化そのものですね。ご教示有難うございます。
Posted by シモン at 2009年12月22日 23:20
西武はその当時、電車の色が確か上半分黄色、下半分茶色でした。
 これが、肌色とピンクに変り、更に黄色一色になりました。
Posted by デハ at 2009年12月23日 18:41
デハ様のご指摘通り、昔の西武線は下半分が茶色でした。
それに対し東武線は屋根が茶色・ボディが黄色で「カステラ電車」と呼ばれていました。
Posted by ラー at 2009年12月23日 20:26
東武東上線沿線の人には申し訳ないですが、個人的には東武線より西武線の方が都会的で洗練されているような雰囲気でした。
Posted by シモン at 2009年12月23日 21:45
東武はかなり後まで旧モハ63系の流れを汲む粗悪電車7300・7800系を走らせていたのが印象を悪くしています。窓の上下に補強むき出し、木の床の電車が平成直前まで都心に乗り入れていました。
 実は、それらの電車の足回りをそのままに、車体だけ東武の主力、8000系と同じにした5000系というのがつい最近まで野田線の主力でした。
そのほか、戦前の電車の足回りに、日比谷線直通の2000系と似た車体に乗せ変えたのが3000系で栃木県内の支線で使っていました。
 この手の改造が得意だったのが、西武と相鉄と小田急でした。
 西武はそもそも、空襲で焼けたり事故った国電をタダ同然で貰い受けて板金技術で修理して使っていました。そして、それらを参考に新車を造りましたが、機器の統一のため当初は全て国鉄と同じ部品を使っていました。
昭和30年代に入り、他社が新性能車を入れても、西武だけはかたくなに戦前型国電の足回りの電車を造り続けましたが、車体だけは計量で滑らかなものに改めました。外観からはわかりませんが、性能の上では東武のボロ電より劣っていたのです。
 やっと登場した新性能車も、ボロ電と連結する必要から性能が抑えられました。秩父線開通を気に、ようやく性能の優れた電車が作られるようになり、外観だけ新車だった車の一部は、足回りだけ新しくして生まれ変わりました。そしてそれより古い電車は系列会社に売却しました。
 相鉄でも、国鉄と小田急からもらったモハ63系他(3000系)を、主力だった6000系と同じ車体に乗せ買え、3100系としました。さらに、小型旧式車2000系(戦前型国電や、焼けた井の頭線がルーツ)の台車とモーターを再利用し、大型のアルミ車体を載せて2100系としました。
 続いて、初期に造られた新性能車5000系(流線型で中型、軽量化のため特殊構造)もアルミに乗せ変えて5100系としました。
 更に、3000系と5100系は、インバーター式に再改造し、2100系も西武同様、足回りを新型化しました。

 小田急でも、旧型車に大型で主力の2600系と同じ車体を載せた4000系を造りました。
また、初期の高性能車で、当時の線路条件(箱根乗り入れ)のため先頭車と中間車の長さが異なり、扱いにくくなった2400系という電車がありました。
 旧性能車は新性能車と連結できず(西武では強引に連結)、またダイヤが乱れるため、廃車しようと思いましたが車体は新しく、また2400系は性能がいいけど車体が特殊でした。そこで4000系の車体に2400系の足回りを取り付けて、2600系と同じ性能にしたのです。2回リサイクルしたのです。
国鉄でも、身延線に旧式車の足回りに横須賀線と同じ車体、仙石線に車体だけ山手線の車を造り、後者はのちに足回りを新型に改め川越線用になり、2回リサイクルされています。
Posted by デハ at 2009年12月23日 23:01
デハさんの詳しい電車史、読んでいてとてもためになりました。なかなか市販本でここまで変遷を解説してくれる本に出会う機会が少ない中、興味深いお話有難うございます。
Posted by シモン at 2009年12月24日 22:19
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