2010年02月18日

緩急車

かつては長い貨物列車の最後尾に連結されていました。

kankyusya.jpg
子供時代に鉄道模型を買ってもらえなかったこともあって、私はあまり列車や貨車のことに詳しくはないのですが、品川駅あたりで目の前を延々と連結された貨物列車がコンテナを運んでいく姿はよく覚えています。

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先頭の青い機関車から始まって、10両、20両、…と延々と続く貨車の列を数えたりしたものです。貨車にもいろんなバリエーションがあって、コンテナ車の他に石油を運ぶタンク車とか、車を運ぶ車運車、石炭を運ぶ石炭車、豚を積んだ豚積車、魚を生きたまま運ぶ活魚車、などなどありました(このあたりはデハさんに解説をお願いします)。
そんな車列の一番最後に引かれていたのが、「緩急車」という車輌です。

緩急車。別名車掌車とも呼ばれるこの車輌には、展望デッキのような部分がついていて、「ここに立って流れていく風景を眺めたら絶品だろうな」と子供心に思ったものです。
ちょうど昔の船にも船尾にこのようなデッキがあって、流れていく航跡を見ながら海の旅情に浸るのが絶品であるのと同様です。

何ゆえ「緩急車」と呼ばれるかというと、機関車に引かれる貨車の中で唯一ブレーキを有する車輌だったからと教えられました(=もちろん牽引する機関車にはブレーキがついています 為念)。確か側面にカタカナで「ヨ」と書かれていたのは、横須賀航空隊を連想させました(=実際は、「用務車」のヨだそうです)。

80年代までこの緩急車はよく見られましたが、90年代以降になって人件費削減のためか、貨物列車の車掌業務が廃止されたらしく、この車輌を殆ど見る機会がなくなってしまいました。
その辺りの事情は日本だけでなく、ドイツやフランスなどの海外でも同様だったようです。機関車の運転席で列車全体のブレーキを制御できる「貫通ブレーキ」が出来たことも廃止の理由の一つだそうです。

undokai-6.jpg

今ではすっかり見なくなった緩急車ですが、いまだに私は「いつの日か、列車の最後尾の緩急車のバルコニーに立って旅情に浸りたい」という気持ちが止むことがありません。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 18:00| 東京 ☀| Comment(12) | TrackBack(0) | 乗り物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
緩急車の連結廃止はもっと古く、昭和57年ごろから始まり、61年にはほぼ廃止されてしまいました。過渡期には、機関車の後部運転台に車掌(正式には、貨物列車の場合は「車両掛」と呼ぶ)が乗っていた時期がありました。とはいえ緩急車は全滅したわけではありません。「大物車」(トランスや橋梁などを輸送)の運転時や、やむを得ずバック運転の貨物列車が運行される際は今でも連結されます。その場合トップ写真の「ヨ8000型」が使われます。
 この「ヨ8000」型は、暖房とトイレを完備した最新の車掌車で、元々は北海道用として開発され、全国に広がりました。
 それ以前は、「ヨ2000型」「ヨ5000型」「ヨ6000型」が使われており、2000は戦前から存在し、5000はその改良型で、6000は一回り小型でした。
 模型では6000と8000が古くから発売され、5000は最近発売になりました。
 そのほかに、有蓋貨車の半分が車掌室になっている「ワフ」というものもありました。「フ」はブレーキのブから濁点をとったもので客車の緩急車(車掌室付車両)も「オハフ」などです。
 私鉄では、無蓋貨車の中央に車掌室がある「トフ」というものがあり、小田急と相鉄では比較的長く活躍しました。私鉄の緩急車は穂飛んでワフで、東武だけが国鉄以上に本格的な車掌車を使っていました。この東武の車掌車は、http://nesq.heteml.jp/jb_trainbox/ed5020p.htm東武伊勢崎線の杉戸高野台駅前に保存されています。
 また、秩父鉄道では、鉱石車に車掌室の付いた「ヲキフ」というものを使っています。
なお、国鉄や他の私鉄では、鉱石車はホッパー車の一部と看做され「ホキ」と呼ばれていますが、秩父では鉱石車の米国名「オアカー」から「ヲキ」「ヲキフ」と名づけています。
 他にも、コンテナ車に車掌室が乗っているものを「コキフ」、鮮魚冷凍車についているものを「レムフ」と言います。
 
ちなみに、亜米利加では車掌室を「カーブス」と呼びます。
 日本の「ヨ」はしゃし「よ」うの「ヨ」という説が濃厚です。

有蓋車は「ワゴンのワ」、無蓋車は「トラックのト」、コンテナ車は「コンテナのコ」、ホッパー車は「ホッパーのホ」、タンク車は「タンクのタ」、石炭車は「せきたんのセ」、家畜車は「家畜のカ」、通風車は「通風のツ」、冷蔵車は「冷蔵のレ」、長物車は「チンバー(丸太)のチ」、他に豚積み車は「ヴタのウ」、陶器車は「ポ」、鉄製有蓋者車は「鉄のテ」(秩父鉄道ではスチールのス)、職用車は「役所のヤ」、車運車は「くるまのク」などとなっています。
 そして重さによって、「無印<ム<ラ<サ<キ」となっています。通常小型の貨車はムで、ワム80000、トム50000、ワム60000などがあり、ラはワラ1とトム5500ぐらいしかありませんが夫々が多数ありました。
 サというと極端に少なく、特急専用鮮魚車のレサ10000と5000、それにLPガス用のタサ5700ぐらいしかありません。タサ5700は大型ですが、積荷の比重が軽いためキになりません。他の貨車はたいてい「キ」です。(コキ、タキ、ホキなど)
 貨車のムラサキの由来は存じ上げませんが、客車の軽い順から「コ・ホ・ナ・オ・ス・マ・カ」は、小型、ボギー、中型、大型、スチール、マックスウエイト、闊重の意味で、コは、いわいる「マッチ箱」客車を刺し、ホは4輪の客車を指します。大型化により、大型車より重いスチール車、さらに重いマックスときて、闊重とはこれ以上重いものはないという意味らしいです。カと付くのは寝台特急の電源車です。通常の客車はオかスです。
Posted by デハ at 2010年02月18日 21:28
さすがデハ様ですね。お詳しい。
ちなみに私は昔親戚が国鉄に勤めていたので、緩急車に乗せてもらったことがあります(停車中でしたが)。
Posted by ラー at 2010年02月18日 21:46
私は別名の車掌車で覚えていました。昔は一編成に多種多様な貨車が連結されていましたが、小口貨物のトラック輸送シフトで輸送効率の高いコンテナ車が大半となった頃から緩急車を見かけなくなりました。
最近の貨物列車は環境負荷と定時輸送のメリットを活かし、佐川急便やトヨタといった大手が専用列車を走らせています。日本の高速道路整備の遅れと言う盲点を突いた貨物列車復権策ですが、新型車だけでなく昔の牧歌的な貨物列車の最後尾に連結された緩急車をもう一度見てみたいです。
Posted by HB at 2010年02月18日 23:57
子供の頃

開かずの踏切で 通り過ぎる長〜い貨物列車を

弟と一緒に『ワム!』とか大きな声で

カタカナを読んでいた記憶があります。


「昔の船にも船尾にこのようなデッキ」

大きな船の船尾には 船長室と船長専用デッキが

あったようですね。
Posted by メンコ屋六文堂店主 at 2010年02月19日 08:58
みなさんコメントありがとうございます。

>デハさん
さすがに(期待通り)デハさんの詳しい解説は、私の書いた記事本文よりずっと深くて広い内容で恐れ入りました。
もう50年代初頭から廃止が始まっていたんですね。残念な気がします。あと私鉄の貨物列車のことはあまり知りませんでした。そういわれてみると東武鉄道で、かすかに見た記憶があります。

>ラーさん
緩急車に乗った経験があるなんて、うらやまし過ぎです!

>HBさん
「車掌車」の方が、ポピュラーなのかもしれません。
最近は佐川とかトヨタが専用列車を走らせているなんて知りませんでした。ご教示ありがとうございます。まだまだ貨物列車は「過去の運送屋」ではないんですね。

> メンコ屋六文堂店主さん
「ワム!」というと、ラストクリスマスを思い出してしまいます…
ワムとかクモハとか、暗号の符牒のような名前が印象的ですね。
それにしても船長は船がどっちに進むのか見てなくていいんでしょうか…確かに、船尾は快適なんですけど。
Posted by シモン at 2010年02月19日 20:04
あの歌手の「ワム」も、貨車由来と信じていました。

なお、車掌車のデッキですが、初期の頃は、客車の大型化で余剰になった2軸客車が流用されていた名残かもしれません。
 
船尾のデッキを「スターンウォーク」と言います。英国の重巡洋艦「ドーセットシャー」に装備されていたのが印象的です。WWTの頃の英国艦には大抵ついていました。(三笠等、英国製の艦にも付いていました)
 WWUでは、WWTの生残りは別として、新造時からずっと付いていたのは「ドーセットシャー」ぐらいではないでしょうか。ネームシップの「ケント」にも新造時にはあったようですが・・。
 それにしても、客車の最上級「展望車」も貨車の車掌車と同じオープンデッキだったのは驚きですね。
 ちなみにこの両端デッキ、ダブルルーフ、平行した鋼材の間に板を折り曲げたバネをつけた台車はいずれも米国ペンシルバニア流の設計で、機関車は英国式でありながら、客車については米国式で発達したのがわが国の鉄道の特色でした。

 佐川は、一歩進んで電車によるコンテナ列車を走らせています。貨物列車の電車化は、編成の増減や分割が難しいことからよほどのローカル私鉄以外では行なわれませんでしたが、佐川は列車を丸ごとチャーターすることにより実現しました。但し、東海道・山陽本線以外には、電化方式、軸重、編成長等の関係で入線できません。
 トヨタ号は一時増発されましたが・・・。
日産やスバルも車載コンテナを持っていますが、専用列車には至りません。
 日産はかつて、車運車(カートランスポーターの鉄道版)を座間工場から各地に運行していましたが、いつのまにか廃止されてしまいました。

 ついでに鉄道車両の形式についてですが、客車の場合、重い順にカ、マ、ス、オ、ナと頭に付き、一等車は「イ」(ただし、展望車のみ)、2等車(グリーン車)はロ、三等車(普通車)はハ、一等寝台(A寝台)はロネ、B寝台は「ハネ」、郵便車は「ユ」、荷物車は「ニ」、食堂車は「シ」、職用車は「ヤ」がつき、車掌室付きは末尾に「フ」が付きます。但し、郵便車・荷物車は付きません。
 そして、2種類の合造の場合、イロハユニの順になり、たとえば北斗星のロイヤル/ソロ合造の場合は「オロハネ25」となります。郵便荷物車は「スユニ」、客室があれば「オハユニ」などです。
 電車の場合はモーター付きはモハ、運転室付きはクハ、運転室付きかつモーター付きは「クモハ」となり、イロハユニシは客車と同じですが、電車にはいまだかつて「イ」は存在しません。電車では「クモハユニ64」という、1両に運転台が前後にあり、半分客室、残り1/4づつが郵便室と荷物室の電車がありました。
気動車の場合は、重さや運転室の有無に関わらず全て頭に「キ」が付き、エンジンがない場合は「キクハ」「キサハ」となります。エンジンがない車両は例外です。
以上は国鉄・JRの方式で、西武もこれに準拠しています。
 東武は運転室が付いていてもクモハではなくモハで、グリーン車相当車もモハです。
 東急、小田急、京急、京王では、モーター付きは運転室の有無に関わらず、すべてデハ、運転室付きでモーターなしは「クハ」(ただし、京浜急行には存在しない)、運転室もモーターもないものは「サハ」です。小田急にはグリーン車相当車(あさぎりの2階)があり、料金もグリーン料金を取りますがデハです。
 近鉄、名鉄では階級を示すイロハがなく、単に「モ」「ク」「サ」です。
 近鉄にもグリーン車相当車が存在しますが区分はされていません。
かつて近鉄では「デ」でした。
 東武方式のモハ、クハ、サハの3種類にしているところが圧倒的に多いです。

戦前、南海には運転室と一等室と食堂と荷物室が一緒になった「クイシニ」という車両が走っていましたが(日本の電車として初めての食堂車かつ冷房車でもあった)、食べたら死にそうな名前でした。
 近鉄でもグリーン室と荷物室が一緒になった「デトニ」というものがありました。
 また、現在のJR飯田線であ伊那電鉄にも、「サロハユニフ100」という、わずか16mの間に、グリーン席、普通席、郵便室、荷物室、車掌室がついた木造の電車が存在していました。この電車は電車でありながら運転室がなく、他の電車に客車のように牽かれて最後部に連結されました。これは当時飯田線が4社に分かれていて、電圧が異なっていたためで、全線直通するのはこの「サロハユニフ」だけでした。のちにグリーン室と郵便室はなくなり「サハニフ」になりました。この運転方式は瑞西に多いと聞きます。なお、「クモハユニ64」は、サロハユニフ100の後継者で、飯田線で活躍していました。
 余談ですが、瑞西にはパンタグラフで電気をとり、その電熱で湯を沸かして走る電熱式蒸気機関車というものがあります。
デトニは軌間が異なるため無理ですが、クイシニとサロハユニフとクモハユニを連結した編成を模型で実現したいと思っています。
 
Posted by デハ at 2010年02月19日 21:10
クモハユニ・・・懐かしいです。
私は高校時代身延線で通ってましたが、
その車両が「クモハユニ」でした。
Posted by Captured at 2010年02月19日 21:37
身延線のクモハユニは元は横須賀線用でした。身延線はトンネルが低いため、屋根が削り取られて低くなったため、異様に長い感じがしました。
Posted by デハ at 2010年02月19日 22:08
緩急車の乗務員は車両係ではなく列車掛です。緩急車の廃止は60.3のダイヤ改正です。列車掛は61.3で廃止。理由は貫通ブレーキではなく、TEと防護無線の完備です。TEはボタンひとつで非常ブレーキ、汽笛、車輪への砂撒き信号鉛管などはなど脱線転覆二重事故防止装置の設置により廃止になりました。列車掛は車掌(貨物において入換え誘導の旗や現車、延長、換算の確認。そのほかブレーキテストや編成の検査、クリアランス確認など)と車両検査係の有資格でした。
Posted by ハマカ at 2010年04月17日 02:18
追伸 緩急車の乗り心地は最悪で、とても現代の電車とは比較になりません。胃下垂も職業病でした。ですから国内列車があっても見向きもしない
Posted by はまか at 2010年04月17日 02:31
25年ぶりに北海道釧路にて緩急車に乗りました。SL冬の湿原号の最後部に連結されてました。多少改造しており客車との往来ができるように幌も付いていました。形式はヨ3500。乗り心地は相変わらず最悪でしたが、1軸のタンタンというレールジョイント音や石炭ストーブもあり懐かしく昭和時代を思いました(石炭ストーブ着火オイルのネオライターはありませんでした^^)。でも現役当時は少し乗り心地が良い空気バネで密着連結器、電磁ブレーキ仕様のコキフ50000に憧れていました^^。
Posted by 貨車区一貧乏 at 2010年09月13日 01:16
貨車区一貧乏さん
コメントありがとうございます。
昔、乗務されていたのでしょうか。
緩急車の仔細な様子をご教示多謝です。
冬の釧路、石炭ストーブは有難い備品でしょうね。
Posted by シモン at 2010年09月13日 05:18
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