2010年03月06日

つくば科学万博

80年代最大の博覧会でした。

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以前ポートピア'81の記事にも書きましたが、80年代は博覧会の時代でした。その中で最大の規模にして最も成功を収めた博覧会が、'85年に開かれた「つくば科学万博」でしょう。

正式名は「国際科学技術博覧会」と表記されるこの博覧会には、48カ国の国と37の国際機関、そして多くの企業が出展しました。

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特に多くパビリオンを出展していたのが、80年代当時最も元気のあった大手電機メーカー各社です。松下、日立、富士通、東芝、三菱、SONY、NEC、日本IBMといったパビリオンはどこも長蛇の列で、ボディソニックによる3Dシアターやホログラムによる全周型立体映像やらライドに乗って巡るストーリーやらキーボードを弾くロボットやら、80年代当時の技術の集積による数々のエンターテイメントが観客を魅了しました。

ポートピアで出展していたUCCコーヒーは、ここでもパビリオンを設置し、ステージを見ながら中でコーヒーが飲めるようになっていました。
NTTは当時まだ電電公社でしたので、「でんでんINS館」というパビリオンで、「キャプテンシステム」の実演などを行っていた記憶があります。まだインターネットのイの字もなかった頃です。

トヨタや日産等の自動車メーカーは、何故か企業単独ではパビリオンを作らず、「くるま館」と称して氷上や砂漠のドライブを体感できるライドのあるパビリオンを開設していました。
鉄鋼メーカーも自動車会社同様、共同で「鉄鋼館」を開設し、立体映像で観客に向かってボールが飛んでくる(=みんな慌てて両手で顔を隠したものでした)立体映像で驚かせていました。

サントリーは「燦鳥館」というパビリオンでした。字を読み間違えてサントリービールのつまみに焼鳥でも食わせてくれるのかと思って入場した人もいたそうです。もちろん館内には飲食物はなく、多くの鳥を使った噴水ショーをやってました。
そういえば、万博敷地内の飲食店はどこも値段が高く、弁当持参の観客も多かったそうです。

他に目立ったのは講談社館とか集英社館といった出版関係です。後者は、大英博物館から借りたエジプトのミイラを日本初公開で展示していました。

会場内は、「HSST」というリニアモーターカーが行き来していました。今と違って元気だった日本航空が主体として開発した乗り物です。この乗り物の特徴は、「待ち時間の方が乗っている時間の数百倍長い」ということです。乗った感じは、なんとなく空中を浮遊しているようなそんな感じだったと思います。他にもビスタライナーとかスカイライド等の乗り物が、科学万博の先端技術を象徴していたものでした。

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あれから既に25年。科学技術が切り開くと予想された「明るい21世紀」とは、かなりかけ離れてしまった現実の2010年の日本ですが、これからも「世界で日本にしかない技術」を探しながら生きて行きたいものです。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 06:00| 東京 🌁| Comment(9) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
鉄道ファンの私にとって、つくば万博の思い出は、当時の国鉄車両を総動員した「エキスポライナー」です。
 通常の電車だけでは足りず、寝台車や気動車、さらに廃車予定の旧式車も期間中動員しました。ブルトレが白昼堂々とつくばに向かいました。そして夜は宿として提供していました。
 普段水郡線で2〜3両編成で走っていた気動車も12両編成を組んで東京と会場をピストン輸送しました。
 また、万博のイメージアップということで、常磐線の普通電車がくすんだピンクから、小田急モドキに変更されましたが、「万博期間中持てばいい」という考えから、廃車予定の401系という旧式車を延命した編成は、側面だけ塗りなおし、連結面は赤いままでした。終了と同時に廃車しました。まさに百鬼夜行の状態でなりふりかまわず輸送したのです。国鉄最後の輝きに見えました。
Posted by デハ at 2010年03月06日 08:12
以前もお話したとおり、その後つくば市は水戸を凌ぐ大都会となり、本当に茨城県なのか?という発展を遂げました。埼玉県ですらさいたま市大宮区以外でつくば市よりも都会的なところはありません。しかし、さらに「みらい」を冠している「つくばみらい市」は、どこが未来かわからない僻地で、かつつくば市より東京に近いという矛盾を抱えています。下手に矛盾した市名を冠するなら、いっそつくば市に編入したほうがよかったのではないかと思いました。
 つくば市は何度行っても「未来」「科学」「アカデミー」という感じのする素晴らしい都市だと思います。よって私は、史上最も成功した万博はつくば万博だと思っています。ありがとうコスモ星丸
Posted by デハ at 2010年03月06日 08:17
科学博へは3回行きました。ソニーのジャンボトロンと言う大型ビジョンが印象的でした。当初からつくばへのアクセス問題が指摘されていて、本数が少ない・車両がボロいと酷評された常磐線の改善がようやく始まり、臨時駅から会場まで連結バスが多数投入されていました。
ちなみに当時のJALは最大手の風格こそありましたが、この年の夏にあの墜落事故を起こしています。万博帰りの家族連れも大勢犠牲になったようです。
Posted by HB at 2010年03月06日 09:21
茨城県民の私は、比較的楽に行けた博覧会でした。
まだこの頃はつくば市になっておらず、桜村だったんですね。
デハ様の文章を読んで思い出しましたが、まだこの時代はJRでなく国鉄が走っていました。
HB様の文章を読んで思い出しましたが、あの墜落事故はつくば博開催期間中の出来事だったんですね。
いろいろ覚えているようで忘れていることもかなりあります。もう25年もの歳月が流れていることを改めて感慨深く思います。
Posted by ラー at 2010年03月06日 10:18
おはようございます。みなさんコメントありがとうございます。

>デハさん
「側面だけ塗装し直した常磐線」には、私も乗った記憶があります。外装に比べて内装はちょっとアレだな・・・と思ったものです。でも当時の国鉄もかなり頑張っていたんですね。
未来都市:つくばは燦然と輝いてますね。つくばエクスプレスの開業で、東京からも身近な学園都市になりました。

>HBさん
3回も行かれたんですか、うらやましいです(私は1回きりでした)。万博中央駅からのシャトルバス運行、懐かしいです。
JAL123便の事故は、あの年の夏でしたね。万博帰りのお客さんや帰省客で満席の状態で起きた悲劇でした。

>ラーさん
そう、まだあの当時「つくば市」は出来ていなかったんです。
茨城県のパビリオンなんてのもありましたね。県民は優待割引とかありましたか?(=あるわけないか)
Posted by シモン at 2010年03月07日 07:29
博覧会というと、この間の愛地球博の記憶が強くて、つくば博の記憶が途切れがちなお粗末な私ですが、80年代で最大の部類に入るイベントでした。
上海の万博にも行ってみたいですね。
Posted by 無名X at 2010年03月07日 19:48
つくば万博へ行った友人のお土産が

冒頭のマスコット(なまえはなんだったかな?)の

えんぴつキャップでした

まだ 家のどこかにあると思います。

Posted by メンコ屋六文堂店主 at 2010年03月08日 00:32
店主さんの言っておられるのは、「コスモ星丸」ですね(^-^)
Posted by まろん at 2010年03月08日 12:38
メンコ屋六文堂店主さん
コメントありがとうございます。
まろんさんも言っておられますが、このマスコットは「コスモ星丸」です。
えんぴつキャップですか!なかなか良いお土産ですね。私もボールペン買いましたが、行方不明になってしまいました。

まろんさん
コメントありがとうございます。
ご存知でしたか、コスモ星丸。2010年の今でも十分通用するこのデザインは、中学生の応募作品に、イラストレーターの和田誠さんがレタッチしたんだそうです。
Posted by シモン at 2010年03月08日 21:00
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