2011年08月03日

守貞謾稿

江戸時代の庶民の生活を伝える第一級の資料です。

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現代に生きている私達の生活は、200年後の人達にどこまで理解されるのでしょうか。
大きな事件の記録はおそらく残るでしょうが、例えば2010年代にAKBの総選挙で誰が人気になったとか、B級グルメで富士宮焼きそばがブームになったとかいう話の大半は、200年後には忘れられているのではないでしょうか。なにしろほんの30年前の80年代の風俗も、そのかなりの部分は既に歴史の記憶から失われています。

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「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、喜田川守貞という人が、天保8年(1837年)から30年間にわたって書き残した江戸時代の風俗誌です。全35巻、1600点にも及ぶ説明図と仔細な解説文は、この時代の風俗を現代に伝える一大文献です。
喜田川守貞は大阪で生まれ、数え年31歳の時に江戸に移住しました。上方と江戸の風俗の大きな違いに驚き、その比較を細かく記述したのです。

例えば、上方と江戸での鰻の焼き方の比較です。
上方では鰻を腹から裂き、首尾全体に鉄串をさして焼き、串をとって朱塗の大平椀に盛ります。一方江戸では、背から割いた鰻を二〜三寸に切り、それぞれに竹串をさして焼き、串をとらず陶皿に盛ります。これは現代でもその伝統が守られていますが、既に江戸時代にその違いがあったことがわかります。
鰻飯の呼び名も、「京坂にて「まぶし」、江戸にて「どんぶり」と云ふ。鰻丼飯の略なり」と記録しています。いわゆる「ひつまぶし」は上方風の呼び名で、「鰻丼(うなどん)」は江戸風の呼び名というわけです。

「守貞謾稿」には、江戸時代の職業のことも細かく比較・解説されています。
「京阪にありて江戸にこれなき生業」即ち、「上方にあって江戸にない職業」として、以下の職業を列記しています:
・素襷屋(いろや):京阪では、弔いのときに親族は無紋の麻裃を着ますが、これを貸し出す職業です。上方と江戸での葬儀の流儀の違いがわかります。
・悉皆屋(しっかいや):衣類の染め・洗い張りなど一切を請け負い、これを京都の業者に送って調製させた染物の商売です。
逆に、「江戸にありて京阪にこれなき生業」として、
・献残屋(けんざんや):武家が進物したり町人が献上したものの残りを売る商売です。
・酒問屋:意外なことに、これは江戸にしかありませんでした。上方では、酒造家から直接小売店に売るため問屋がなかったそうです。
・刺身屋:鰹やまぐろの刺身を売る商売です。上方では江戸前の刺身のようなものを売っていなかったわけです。
・菜屋(さいや):江戸名物のあわび・するめ・焼き豆腐などを煮しめにして売る商売です。いわゆる「惣菜屋」です。これも上方にはなかったそうです。

「沐浴の項」では、公衆浴場について「京坂にて風呂屋と云ひ、江戸にて銭湯あるひは湯屋と云ふ」と、よび名の違いを記録していることから始まり、薬湯・塩風呂・丹前風呂に至るまで細かく解説しています。
この時代、江戸の銭湯には矢をつがえた弓を目印にしたものがあると記述しています。その理由は、「ゆいいる、と云う謎也。「射入る」と「湯に入る」と、言近きを以て也。」と解説しています。
「今世、江戸の湯屋、おほむね一町一戸なるべし。天保府命前は定額あり。湯屋中間と云ひ戸数の定めありて、これを湯屋株と云ふ。この株の価ひ、金三、五百両より、貴きは千余金のものあり。」とあります。即ち、銭湯は一つの町に一軒しか営業できず、そのためには高額な「湯屋株」が必要だったことがわかります。

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このように、仔細に江戸時代の風俗を記録した「守貞謾稿」は、岩波文庫から「近世風俗志―守貞謾稿」全五巻として発刊されており、その平易な文章と絵は現代でも手軽に読むことができます。

(本文と写真は関係ありません)

posted by シモン at 18:00| 東京 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 古典 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ひつまぶしをひまつぶしだとずっと思っていました。有楽町駅の寿司屋の看板料理ですね
Posted by デハ at 2011年08月03日 18:16
デハさん
一度、秋葉原で美味しいひまつぶしもといひつまぶしをご馳走しますよ。
鰻の白焼きも美味しいですよ。柚子胡椒で食べるんです。
Posted by シモン at 2011年08月03日 20:16
「ラーメンは、京阪では味噌味、江戸では醤油味を好む也」
とか書いてありませんか。
Posted by ラー at 2011年08月03日 21:36
いつも楽しく読ませていただいていますが、内容が本当に面白いですね。
最近は雑誌にくらべても面白い気がします。


京都の方に刺身が売っていなかったなんて、今回初めて知りましたよ。
Posted by 国重 at 2011年08月04日 08:54
ラーさん
コメントありがとうございます。

ラーメンは、江戸時代、水戸黄門しか食べたことがなかったそうです。
その味は果たして醤油味?かどうかは、謎です。

国重さん
コメントありがとうございます。
そういっていただけると、励みになります・・・リップサービスでも結構ですから、今後ともお付き合い願います。
刺身文化は江戸前寿司のものなんですね。一方京都は、福井からの鯖の熟れ寿司とかきずしの文化だったようですね。
東西の文化の違い、今の世の中もいろいろあるようで面白いです(例:関東:体育祭 関西:体育会 とか)
Posted by シモン at 2011年08月04日 20:23
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