2013年06月25日

雪駄

竹皮草履の裏面に皮を貼り、かかとに金具を打った履物です。

setta.jpg

早くも7月が目前になりました。そろそろビーチに出かける季節です。
80年代にはビーチサンダルのことを「セッタ」と呼んでいた人が多かったのですが、日本の伝統的な履物である「雪駄」とは、形が似ていても風格が違います。本来の雪駄は、茶人や落語家など、和装の人の足元に似合う日本の伝統的な履物だからです。

fukuko7.jpg

雪駄は、古くは「席駄」と呼ばれていました。
「席」とは、筵・竹・草などで編んだ履物のことで、「下駄」の「駄」即ち「履物」と組合せて作られた言葉です。
文字が「雪」に変化した理由は、「せきだ」→「せった」と発音が変化すると同時に、「雪の上でも防水機能により使用できること」からこの字が当てられるようになったと言われています。一説には考案者は千利休と言われ、水を打った露地で履くための履物だったそうです。

雪駄は、和装の男性の足元にフィットした、現代でも実用的な履物です。
かつて、道路が舗装されていなかった時代、土や砂利道の上を歩く時は、下駄のように歯を打ったものでないと履物の底がぬかるんだ道に埋まってしまって歩きにくかったのですが、現代のアスファルトで舗装された道を下駄で歩くと下駄の歯の磨耗が早いのと、階段のような通路で下駄は滑りやすいという欠点から、雪駄や草履の方が実用的な履物になりました。

雪駄は一見シンプルな履物ですが、その「台」という足を載せる部分や、鼻緒の部分に様々なバリエーションがあり、履き心地も千差万別です。
たとえば、「野崎平表」と呼ばれる比較的庶民的な作りの竹皮の編み方から、「南部表」という質が良く編みも最高のものまでいくつもあります。
鼻緒も、蛇革だと遊び人風ですが、白や黒だとフォーマルな風情になり、日常的に履くには無難な瓢箪柄等と、これも様々な選択肢があります。
和装に凝るようになると、雪駄の選び方一つでもかなり悩まなければなりません。それだけ奥の深い世界がここにもあります。

fukuko8.jpg

かつて、日本全国の雪駄の70%以上は、愛知県津島市で作られていました。
その中でも有名な老舗が「木村義信商店」ですが、残念ながら2010年に第一人者だった職人が亡くなられてしまい、製作所が閉鎖になってしまったそうです。
ともあれ男性の和装が中高年を中心に静かなブームとなりつつある今日において、雪駄なくしては和装の外出はあり得ないでしょう。

(本文と写真は関係ありません)
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posted by シモン at 05:00| 東京 ☁| Comment(38) | TrackBack(0) | ファッション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
普段着に着物着れるような身分になりたいなあ
Posted by デハ at 2013年06月25日 23:13
デハ殿
社会的なものはわかりませんが私のような新参者としては御貴殿をこのblogの筆頭家老のような“御身分”と心得ておりますぞ。
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年06月26日 01:27
愛國赤旗党総帥様

身分で思い出しましたが、雪駄のような身分制度のあった時代の履物の方が、ない時代のビーチサンダルよりも凛とした美学があるように思いますが、如何でしょうか。
Posted by A2Z at 2013年06月26日 02:11
デハさん
おはようございます。

デハさんのような立派な体型の人なら、和装も似合うと思いますよ。
Posted by シモン at 2013年06月26日 05:03
愛國赤旗党総帥さん
おはようございます。

blogに身分制度はないので、自由にコメントを楽しみましょう。
Posted by シモン at 2013年06月26日 05:08
A2Zさん
おはようございます。

まあ、ビーサンは大量生産品で素材もゴムとかですから、雪駄の風格にはかないませんよね。
Posted by シモン at 2013年06月26日 05:09
A2Z殿
それは言えるでしょうね。私程度じゃ上手く表現難しいんですが…善きにつけ悪しきにつけ制度とか規制とか型ってのは秩序その物だと思うんですよ。例えば殿上人の衣冠束帯(漢字間違ってないかな?)とか坊さんの袈裟だか衣だとかも位が色で定められてるじゃないですか?何なりの意味はあったと思いますがあれはそれが「順に並んだら綺麗だな」ってのも有ったんじゃないですかね?単体の美しさじゃなく全体の美しさ…秩序美って言葉はあるかどうかわかりませんが、昔小林よしのりと仲良かったのに仲違いした元東大教授の西部先生だっけ?が「世の中は何につけ規制を無くすべきだという。その反面秩序の崩壊を嘆いている。阿呆である。規制が秩序なのである。それを崩せば…」と何かの本の序文で謳ってた言葉は其を表してませんかね?
ま、その型を無視して良い物、美しい物を産み出すのが天才ですがそんなのはそれこそ何百年に数人で私達凡下にはお目にかかれるかどうか解らないし仮に会っても理解出来るかどうかは解りません。理解出来なけりゃそれは只の異物としか感じられません。それがA2Z殿が感じた「凛とした美学」じゃないですかね?
…というのが私の「思い込み」です。又、巨大な枝葉を茂らせてしまった…
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年06月26日 05:32
愛國赤旗党総帥様
古来、人間の作り出してきた美術品や建築作品は、すべて身分制度がなければ成立しなかったものではないかと思います。

ダヴィンチだってミラノ公とかフランス国王フランソワ一世とかのパトロンがいて初めて作品が作れたわけですし。

人類の長い時間のうち身分制度が形式上なくなった民主主義の時代なんてほんの僅かな時間に過ぎないです。
「なんでもかんでも平等」を金科玉条にする時代には、秩序に基づいた美学なんて消し飛んでしまってますね。

まあ、そんな中でJobsが作ったiPhoneなんてのは、「大量生産品の芸術」というか「型にはまらない美品」なんで、例外はどの世界にもあるわけですが。
Posted by A2Z at 2013年06月26日 06:35
A2Z殿
概ね賛成ですね。茶の湯がそうですね。珠光や利休が作った型を更に豪商や武家がそれぞれの階級に馴染むよう洗練させたわけですから。洗練させるにわ教養や力が必要ですから。例を一つだせばデハ殿の嫌いな秀吉もこれには貢献してるわけで…
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年06月26日 07:15
愛國赤旗党総帥様
「衣冠束帯」を秩序の美として解説されたのは貴殿が初めてかもしれません。
お見事です!
Posted by 無名X at 2013年06月26日 07:16
無名X殿
いやwww別に文献調べたわけでもございませんしwwwタダ私の妹の亭主が真宗大谷派の坊さんでしてその正装を見た時にフッと思った事が有ったもんで「あぁそういえば公卿の冠だか衣装も位で色が決まってたな。入り乱れたら汚いだろうな…」と思ったことが有りましてね。まぁ根拠は無いので私なりの仮説…というよりは「思い込み」と…
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年06月26日 07:52
デハ様は秀吉をお嫌いでしたか?(嫌いなのはシエの方かと思ってました)

茶の湯は武家権力が大成した芸術ですし、西洋のクラシック音楽も教会や皇帝がパトロンとして創り上げた芸術ですよね(五線譜なんて「秩序」そのもの)

愛國赤旗党総帥様、文献調べて書かれたのなら単なる受け売りでして、貴殿の直観に無名X様も私も感じ入ったわけであります。
Posted by A2Z at 2013年06月26日 08:03
女性の私にも一言発言させてください。

男女平等参画社会の平等主義は結構なことだと思います。
ただ、それを主張している人たちが、もう一方で
「良妻賢母は封建的なので悪い」
と主張していることに問題があると思います。

女性は子供を産む道具じゃないし、自分の人生は自分だけが楽しめれば良く、後がどうなろうと知ったことではないという身勝手な解釈をする人が大勢出てきています(=その典型例が最近話題のYさん)。

美学を貫くには、女性の側から見ても、秩序や差別は不可欠かもしれませんね。

Posted by FYI at 2013年06月26日 08:29
FYI殿
あぁそれは男性からは言いにくい事なんですよね。私は福島瑞穂って嫌いでね。政治的な立場も嫌いだけど人間としても好きになれない…と言うかどのバカ政治家でも(例えばポポ山さんでも)人は良いんだろなとは思える部分あるんですがこの人にはそれを感じないんですよ。幾つも理由はありますが一つだけ言えばこの人の著書に「娘が18になったら家族会議をして家族の解散式をする。私も主婦でも母でもなく自由だー」ってのが有りましてね「コイツは娘に愛情とか心配とか無いのか?」と思いましてね。FYI殿の感想に近いものを感じましてね…
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年06月26日 08:57
愛國赤旗党総帥さん
そういう意味では、ここは福島さんファンは来ないので大丈夫です。シモンさんが展示されている写真を見て、せいぜい捨て台詞を吐いて一見さんで終わりです(=シモンさんひょっとして厄除けのために画像載せてるのですか?)

社民、同類の民主が都議選で共産党より議席が取れなかったのも理解できます。共産党は、そういう点では女性の美学的生き方を尊重してますね。
(でも共産党支持者と誤解しないでください。でも公明党=某学会ではもっとないなー。でも自民でもT市早苗女史とかN田聖子女史とかは大の苦手です。伏字になってない(笑))

とにかく、「社会でバリバリ働く女性=美しい女性」という固定観念を植え付けようとしているのが「八重の桜」かもしれません。
私の理想は「華岡青洲の妻」なんですけど。
もっとも、今の大河ドラマでリメイクされたら、あっちこっちに加恵が出没して薀蓄を垂れた挙句、麻酔実験の後に青洲に医術をあれこれ指南したりする内容に改悪されかねませんね。
Posted by FYI at 2013年06月26日 09:32
デハさんサポーターの私が来ましたよ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━

秀吉は、草履を尻に敷いていたのに機転で信長公を騙し、天下人の成り上がったからデハさんも私も嫌い< `∀´ >です!!

茶人としての秀吉も、キンキラ金の金無垢が好きだったみたいで、侘び・錆を理解してなかったんで利休に切腹を申し付けることに・・・

とにかく、成り上がり者が主張する権威や身分制度はキライです!(`・ω ・´)キリッ
Posted by まろん at 2013年06月26日 11:31
これから壮大な枝葉を茂らせます。好き嫌いはそれぞれなのでその事でお互い茶々入れるのは良しとしましょう。
草履云々と言うのはまぁ落語みたいな物ですからムキにならんとして…茶の湯に関しては違う感想があるんですよね。立場の違いってのがあると思うんですよね。「茶の湯」ってのは一言で言えば「おもてなし」なんですよ。「茶室に入れば上下はありません。お客さんは何も気を使わずに寛いで下さい」ってのが肝心なんです。茶の湯を形づくった(としておきましょう)利休居士は商人です。
「侍は物騒な物持ちやがって偉そうにしやがってこれじゃ言いたい事も言えんがな…茶の湯の場は異空間として偉そうに出来んようにしよ。物騒な物は外の刀架けに置かして丸腰にしたれ。入り口は小さくして亭主の私に膝まづく形にしたろwww…」てな感じでルールで縛り付けることで上下の無い空間を作ったのです。
さて秀吉は史上最大の成り上がり者です。元は賎しい者(異説も有るようですが)「今は俺の上は陛下しかいない」…ってな感じでしょうね
「あぁ疲れた…茶でも飲むか…又ざ、三河守殿一緒にどう?新しい掛軸も買ったし珍しいお菓子もあるんやけどどう?」で3人でお茶を飲むわけ。で、「向こうの廊下に佐竹と伊達がお伊達がおるわ。アイツラも誘おう。え?なんや又ざ?あの二人は仲悪いから止めとけ?阿呆この国から戦は無くなったんや。それやのに隣同士の殿様が歪み合っとったら又戦が起こって百姓が難儀するがな。そんなんなったらワシがアイツら滅ぼさなあかん。寛いで茶でも飲んだらそんな気持も緩むやろ。オーイ!常陸!陸奥ノ少将!こっち来ーい。ワシが茶を振る舞ってやる!」とルールで縛り付けて上下を無くすのでなく逆に緩めて上下を無くす型にしたのです。秀吉は利休を理解してない?いや違います。利休は「他人と違う事をしなさい」と言っていたので決して間違ってたとは思いません。空手だって剣道だって茶道にも流派があるじゃないですか。まろん殿は「秀吉はきんきら金の成金趣味」と言っておられたがあの時代は金は普通に綺麗な珍かなる物となってたのでふんだんに使っただけでしょう。質素なイメージの家康や謙信の残ってる衣装はきんきら金の派手な物多いそうですよ?今の感覚で16世紀を推し量ってはいかんでしょう?ま、好き嫌いはどうしようもありませんがね。認める必要はありますよ。
とんでもない枝葉生やしてすみません。もうしませんから。
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年06月26日 17:16
あっ17番目のレスは勿論まろん殿への物にて御座候う。
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年06月26日 17:44
あっ、勿論17番目のレスはまろん殿への物にて御座候う。
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年06月26日 17:46
秀吉の話題に
「茶々入れるのは良しとしましょう」
と、淀君で返す愛国党さん、なかなか槍ますね( ゚∀゚)

>今の感覚で16世紀を推し量ってはいかんでしょう
うぅ!
コレを言われると、何やら自分が田淵久美子や小松恵利子になった気分!

でも愛国党さんみたいに、直截にモノが言える人は、私は嫌いじゃないですよ!( ^ω^ )

でも秀吉は、最後にトチ狂って死んじゃったことは事実だし、大粛清はしたし、茶の心を秀吉流に理解してたとしてもやってることが16世紀の基準でも正気じゃないから受けつけられませーーーーーーーーん!!<`∀´>
Posted by まろん at 2013年06月26日 18:06
まろん殿
〉でも秀吉は、最後にトチ狂って死んじゃったことは事実だし、大粛清はしたし、


此は事実やね。あの時代でも凄まじいと思います。もし仮に秀吉は最後まで正気(のつもりだったとしたら)坂口安吾の「狂人遺書」みたいな感じだったのかもしれませんね。暇があったら読んで見て下さい。短編だからそんな時間取りませんし、読んでてそら恐ろしくなりますよ。
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年06月26日 18:37
秀吉は、「狂人の星」として燦然と光り輝いたことでしょうね。
背番号「16」は、16世紀に生きたことの証かも。
Posted by 無名X at 2013年06月26日 18:52
愛國赤旗党総帥さん

戻ってみたら、枝葉を茂らせてくださったお陰でコメント欄が凄いことに!!
いい加減にしてもらえませんかな、私はそれほど暇じゃないんだ。(味沢匠風に

それはともかく、衣冠束帯で定義された「色の序列」という概念が、本来自然科学的には波長の違いでしかない「色」の世界に「美学」を持ち込んだのは「秩序」の為せる業、という説はサスガですね。

茶の湯の世界の美学も、秩序による様式美ですよね。なるほどなるほど。
Posted by シモン at 2013年06月26日 19:17
FYIさん
>さんひょっとして厄除けのために画像載せてるのですか
→いえ別にそういうつもりではなく、単に7〜90年代を回顧するためだけですよ(ホント
でも結果として、フェミニズムの人は寄ってこないし厄除け的な効果はあるかも。
あと過剰なエロスを期待する人も来ませんね。そういう意味ではリトマス試験紙的な役割を画像が担っています。
Posted by シモン at 2013年06月26日 19:19
まろんさん
>侘び・錆
→寂びですね。
Posted by シモン at 2013年06月26日 19:20
無名Xさん
「狂人遺書」はデカダンスの安吾の死の年に書かれてますので、まさにデカダンスの塊
秀吉をヒューマ星にたとえると、大リーグボール3号以降の世界ですよ。
Posted by シモン at 2013年06月26日 19:22
わたしが猿が嫌いなのは事実です。あの者の行なったことは、鳩山由紀夫、菅直人がやったこと同様「無かったことにしたい」です。

私は伝統や秩序、「血」と「地」を重んじます。
従って、伊達や島津、南部こそが正義なのです。
なぜ、源頼朝公からそれぞれ東北地方と九州の支配を委ねられ、連綿と「地」と「血」をつないできた伊達・島津が猿ごときに討伐されなくてはならないのでしょうか。
 神君=悪、猿=善、義という図式もきにいりません。
サルに落ちぶれさせられた山名氏や今川氏、武田氏、畠山氏を高家に取り立てたのは神君で、善だと思います。
 民主党政権でやくざや芸人がにほか議員になり次々悪事を働いたのは猿が天下をとり野武士や山賊がにわか大名になったのと酷似しています。
 また、不祥事をおこす芸能人の生い立ちや家族構成をみてください。まともじゃない育ちの者が多いことに気付かされるはずです。
 佐々木氏の末裔「らしい」怪しい黒田が由緒正しい島津を押しのけるなんて許せません。
 
私は崇源院は嫌いではありません。それどころか、唯一の真の将軍御台所として尊敬しています。ただし、のだめが演じたシエは別です。
Posted by デハ at 2013年06月26日 23:20
あと私が「歴女」といわれている人たちに対して抱いている最大の不信感と疑問はなぜ石田三成と直江兼続が過大評価されているかということです。はたして鎌倉以来連綿と続く家を滅ぼし、山賊を大名に取り立てる猿とその妾の不義の子をたてることが義なのでしょうか。滅亡寸前の将軍や管領や小笠原や村上を助けることに生涯を費やした謙信公の精神を受け継ぐことなのでしょうか。私には全く逆に感じてなりません。
 猿、三成こそが義を否定し、私の重んじる「血」と「地」よりも「知」と「痴」を重んじる人間だと思います。現在の腐敗エリート官僚、松下政経出身の青い政治家たちも「痴」と「知」ではないですか。「智」ではなく、単に詰め込んだ知識の「知」です
 それと卑猥で下半身がゆるい「痴」。
今も昔もかわりません。

私は「知」と「痴」を否定し、最後の1人になろうとも「血」と「地」を守ろうと思います。
Posted by デハ at 2013年06月26日 23:28
デハ殿
好き嫌いに関しては議論する気はありません。ただ政治は実績です。家康嫌いですが250年の平和を作ったと言うのは事実です。ただその前に当時国家として「他力救済」を実現したのは世界中で秀吉が最初ですよ。「惣無事令」言いましてね。「戦争は終った。争い事はするな。もし揉め事があれば最寄りの代官所なり奉行所なりに訴えでよ証拠を吟味し公正に裁くであろう」と宣言したのです。これは当時の強国、イギリスやスペインですらここまで徹底出来なかったのです。ナポレオンは「余の自慢は戦での連戦連勝では無い。民法典(ナポレオン法典)を纏めた事だ。」と宣いました。秀吉の偉さは成り上がりの巨大さではなく世界初の他力救済を実現した事です。(晩年グダグダなのは皆様と全く同意ですがね)最強、最大、最高という言葉があります。他力救済実現するためには力がいります。秀吉は間違いなく日本史上最強の武将でしょう。最高は武家政治を体系づけた源頼朝か大革新をした信長。家康は250年という世界史にも見ない平和を築いた最大の武将です。感情的になるのでお互いに意見を陳列するだけにして議論は止めましょう。
因みに私がホントに好きな武将は幽斎さんですwww
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年06月27日 00:02
まあ、好き嫌いを思い切り吐露したあとは仲良くしましょうよ
その辺はデハさんも愛國赤旗党総帥さんも他のみなさんも私もヨロシクってことで。

細川幽斎さんは安土桃山時代きっての教養人ですね。私も好きです。

Posted by シモン at 2013年06月27日 05:55
細川幽斎藤孝が好きだという人が居て嬉しいですね。

自分も細川幽斎が好きですね。

安土桃山期きっての教養人であり、世渡り名人。

自分も天下を狙わずも、あんな風に自分の才覚ひとつで世の中を渡り歩きたいと憧れます。

Posted by 田舎帝王 at 2013年06月27日 10:42
三英傑論争は面白いですね。

自分は信長→秀吉→家康と上手くバトンが繋げた事こそが、日本の最大の幸福だと信じてます。

信長が天下統一の筋道をつけ、秀吉がそれを形にして、家康が永続させた。

地元、尾張出身で幼いころから三英傑に親しんだ僕からすれば、信長も秀吉も天下の静謐を永続させるだけの力量は持ち得なかったと思います。

家康だからこそ、信長、秀吉の衣鉢を受け継いで250年に及ぶ徳川の平和(パクス・トクガワーナ)の時代を迎えられたものと思います。

Posted by 田舎帝王 at 2013年06月27日 11:03
田舎帝王殿
私も同感です。私は大阪なもので秀吉に愛着があり家康は嫌いだったわけです(家康嫌いは少し揺らいでおります。あの人物は調べれば調べるほど面白い。秀吉は逆に恐ろしい)が秀頼がもう15年早く生まれてれば解りませんがあの状況だと仮に秀吉は呆けてなくても家康が政権取るべきだったと思います。何も根刮ぎ滅ぼす事も無かろうにとは思いますが…
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年06月28日 01:50
田舎帝王様
コメントありがとうございます

尾張は人物傑出の地で(家康は岡崎ですが)、今でも自然科学の分野では名古屋は人材の宝庫だったりしますね。

三英傑は(スイーツ大河では酷い扱いされてますが)まさしく英傑だったと思います。
Posted by シモン at 2013年06月28日 05:00
3英傑に加え、源頼朝公にも尾張生誕説があります。
また、尊氏公は直接は関係ありませんが、鎌倉時代尾張・三河の守護は足利家で、細川、吉良、今川などはその地名に由来します。
 
 なお、もし織田信長が今川義元に敗れた場合でも、最終的には天下は徳川のものになった、と思われます。
その場合、義元が将軍になり天下統一すると思います。しかしそれは完全なものではありません。
 義元存命中は、なんとか治まるも、氏真の代で謀反があいつぎ、それを家康が討伐し、執権になります。
大原雪斉は氏真、家康の2人を育てたことで有名ですが、二人の資質を見抜き、家康に英才教育を施し、氏真が凡庸でも家康が補佐すれば今川が滅びないようにしていました。よく辛い人質時代、というものの、もしそうであれば、主君の師匠を家庭教師につけられるはずがありません。(もっとも孕石主水という者は苛烈ないじめをしていたそうで、のちに報復されています)
 山岡荘八は、家康は秀頼に、「公家になれば格式の保障をする」と言って権力の禅譲を求めるも、拒んだため滅ぼされたと書きました。
 これを氏真に当てはめると、彼の性格、またのちの今川一門に対する扱い(高家や若年寄にとりたて、分家も高家にする)を考えると、もし氏真が、公家にするから秀忠なり信康に将軍の座を譲れ、といえば素直に譲り、以後反抗すること無く、本当の公家になった可能性はありえないものではないのです。もちろん、実験は氏真でも秀忠でもなく、家康が握っています。

Posted by デハ at 2013年06月28日 07:13
デハさん。頼朝公の出自は明らかでなく、由良御前が熱田神社の廊御方だったため、尾張で出生した可能性も確かにあると思いますが、義朝公が身重の由良御前を久安年間に京の邸に呼び、そこでお生まれになったというのが私の近年の研究の結論です。

河内源氏の正嫡は、公暁による実朝の暗殺の暗殺で途絶えましたが、甲斐源氏は新羅三郎義光以来の河内源氏の血筋を守って、鎌倉・室町を生き抜いています。
佐竹氏や南部氏も、甲斐源氏の一族なのです。
富士山を所有する守護大名は、いわば武田氏しかなかったことが、これでおわかりになって頂けたかと思います。
Posted by 百足衆 at 2013年06月28日 11:16
百足衆様、
僭越ですが今川氏も守護大名だったかと存じます。
Posted by 無名X at 2013年06月28日 17:51
今川氏も源氏の名門ですね!しかし本家の足利氏が天下をとってから隆盛した今川よりも鎌倉時代から守護であった武田の方がさらに名門です。
Posted by デハ at 2013年06月28日 19:22
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