2013年07月07日

ポロシャツ

襟がついているので、現代のクールビズのコードでもOKの夏服です。

polo_ralph_lauren.jpg

今日は七夕です。
80年代の男子大学生たちの多くは、まだ見ぬ織姫様との遭遇を夢見て、「Pop Eye」や「Hotdog Press」といったファッション雑誌の研究に血道を上げていました。

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そんな彼らが(私もですが)Tシャツよりもちょっとフォーマルな夏用の上衣(兼肌着)として着用していたものが、ポロシャツでした。
しかし、私を含め当時ポロシャツを着用していた日本人男性の99.99・・・%が、本来ポロシャツが着用されるべきスポーツである「ポロ」という競技を経験したことがありませんでした。

「ポロ」というスポーツは、決して野球などでフライを捕球し損ねたりするスポーツではありません(まして、「光線が目に入ったから」等という言い訳は通用しません)。それは「ポロ」ではなく、「ポロリ」という別のスポーツです。
ポロシャツのトップブランドであるラルフ・ローレン社が、親切にも同社のロゴにイラストで解説しているように、これは
「馬に乗ってスティックで球を打ち、相手のゴールに入れれば得点となる競技」
です。つまり、常時馬を飼って(=農業用でなく)、広い草原(私有地)で練習できる環境にある人しか出来ないスポーツなのです。参考までに、2013年現在の日本人の登録競技人口は3人だそうです。

こんな、紀元前6世紀のペルシャに始まり英国で近代化された伝統の貴族スポーツのユニフォームを、勿体無くも日本人の庶民が着用させて頂く事自体「おこがましいとは思わんかね」(=手塚治虫「BJ」の本間医師談)と言われそうでうが、何しろ大量生産されたおかげで80年代以降の日本人もその恩恵にあずかり、夏場の「Tシャツよりちょっとフォーマルなウェア」として重宝されています。

ton09.jpg

全く関係ありませんが、我が家の愛車は2世代前のフォルクスワーゲン・POLOです。
「Poor man's Golf」と呼ばれ、ゴルフより貧乏人が購入する格下のワーゲン、てな位置付けですが、POLOをplayできる人の方がゴルフ親父(特にバブル以降)よりずっと「Rich Man」に思えるのは、私のひがみでしょうか。

(本文と写真は関係ありません)
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posted by シモン at 05:00| 東京 ☁| Comment(30) | TrackBack(0) | ファッション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます!
最近は、ポロシャツでも暑いぐらいですね!
良い週末を!!
Posted by Captured at 2013年07月07日 08:15
はじめ英国発祥の高級品とは知らず、穴がたくさんポロポロ空いているからポロシャツと言うのだと思っていました。現在はバーバリーのポロシャツを愛用しています。
Posted by デハ at 2013年07月07日 17:08
私の場合はポロシャツで出勤する場合、胸ポケットがないと何かと不便なので、ブルックスブラザースのポロシャツを着ています。
スマホとかIDカードとか、胸ポケットに収納したいものが多いので、スタイリッシュじゃありませんが実用優先の選択です。
Posted by ラー at 2013年07月07日 17:31
私はラコステの俗にいうアイゾットというのを愛用してましたがね…どうもあの風合いは今のやつはないんだよな。
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年07月07日 17:33
ポロという競技は、日本にも奈良時代にペルシアから伝わり、「打毬」という競技になっています。

それは平安時代、宇多天皇が右大臣源能有に「弓馬之礼法」を制定させた際に、「打毬之事」として一章を設けられました。
源能有は、これを貞純親王に継承せしめ、貞純親王は六孫王経基に伝え、それより満仲、頼信、頼義を経て八幡太郎義家へと源氏が世々相伝しました。
これが甲斐源氏の始祖であり、義家の弟である新羅三郎義光へと伝承されています。

現在の、甲州流鏑馬祭の中で、打毬も披露されています。なので、文中「2013年現在の日本人の登録競技人口は3人」といふのは、間違いで、本当は甲州、相模、その他武田流流鏑馬の継承者たちが多く親しんでいる競技です。
Posted by 百足衆 at 2013年07月07日 17:55
あぁ確かにあの打毬ってのはポロだ。十八史略だかにも打毬に関するの読んだ事ある。レスリング=相撲てな感じで人間の考える事ってのは似て来るんですな。「レッドクリフ」観たときも曹操が兵隊のレクリエーションとして大蹴鞠大会やってましたがもろにサッカーでしたな。あれは本当にあんな形で中国にあったのかただのウケ狙いなのかはわかりませんが…
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年07月07日 18:35
蹴鞠のルーツはイングランド発祥のサッカー・・・ではなく、中国の蹴鞠(しゅくきく)だそうです。
こちらはフットボール系ではなく、東南アジアで盛んなセパタクロー系なんだそうです。

Posted by A2Z at 2013年07月07日 18:53
愛國赤旗党総帥さま

騎馬でなく徒歩で行う「徒歩打毬」って要するに「ラクロス」ですよね。
そう思うと、意外と古代日本は世界に門戸を開いていたんですね。
Posted by A2Z at 2013年07月07日 19:02
まぁ人間の考える事なんて必要なものであれ娯楽であれ落ち着く所は同じなんだな。「馬乗れないやつはどうするんだよ?」てのがラクロスに為ったてことか。
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2013年07月07日 19:23
日本の合戦も、源平の頃は騎馬武者中心だったのが歩兵による集団戦に変わっていきましたよね。

ヨーロッパで重装騎兵が歩兵に取って代わられたのはいつ頃なんでしょうか?
Posted by ラー at 2013年07月07日 19:43
そういえば海外ではポロの4ドア・サルーンが売られていますが、日本ではハッチバックだけですね。
Posted by 無名X at 2013年07月07日 21:20
Capturedさん

おはようございます。
今週もポロシャツで頑張りましょう!
Posted by シモン at 2013年07月08日 05:48
デハさん

おはようございます。私はポロ=ボロと誤解してました(小学生の頃)。
バーバリーのチェックのポロは高級感ありますね。
Posted by シモン at 2013年07月08日 05:50
ラーさん

おはようございます。
ポケットレスのシャツはカッコいいけど不便ですよね。
私も外見より実用です。
Posted by シモン at 2013年07月08日 05:51
愛國赤旗党総帥さん

おはようございます。
ラコステの風合いは、ポロの鹿の子編みとはちょっと違いますよね。

「レッドクリフ」でのサッカー、現代の中国の「少林寺サッカー」よりフェアプレイが徹底していて笑えました。

人間の考えるスポーツはどこでも一緒って確かにそうですね。
Posted by シモン at 2013年07月08日 05:54
百足衆さん

おはようございます。
甲州の騎馬軍団、ポロに相当する競技を伝えられていたのですね。
私の記事の誤りをご指摘くださって、ありがとうございます。

ただ、「競技ポロ」として定義されたプレーヤーは本当に3人しか登録されていないので、日本代表が組めないそうです(最低4人必要だとか)。
甲斐の騎馬軍団、後詰めをお願いします!
Posted by シモン at 2013年07月08日 05:57
A2Zさん

おはようございます。
蹴鞠はサッカーのルーツではないんですね(=当然か)。
奈良時代に結構日本は唐経由でいろんな西域文化を輸入・定着していたんですね。
Posted by シモン at 2013年07月08日 05:59
無名Xさん

おはようございます。
ポロのセダンは、写真で見ましたがカッコ悪いですね。あれは日本では売れないような…
FITやヴィッツにセダンがないのも同様ですね。
Posted by シモン at 2013年07月08日 06:01
ビッツのセダンがプラッツで、たしかフィットにもセダンがあります
Posted by デハ at 2013年07月08日 09:31
>たしかフィットにもセダンがあります

フィットアリアです。
実は我が家の車がこれです^^;
Posted by FYI at 2013年07月08日 10:54
ラーさん

ヨーロッパで戦場の主役が軽装歩兵に取って代わったのは、日本と同じく火器を使った武器が発達した時代からですね。

火器を前にしてはどのような重装備でも意味がなくなっちゃいますからね。

そんな時代であっても、第1次大戦の前までは騎兵は戦場の花形として活躍してましたね。

シモンさん

平城京は国際都市としての一面を持ってましたからね。

ただ、平安時代に入ると日本人の知識レベルの向上と唐王朝の混乱を理由に唐とは公式に国交を閉ざしましたね。

教科書的な見出しで書くなら「唐風文化から国風文化へ」となるのでしょう。

とはいえ、公式な国交が途絶えただけであり、草の根レベルや民間レベルでの交流は続いており、外国の文物が有力貴族の目を楽しませていたそうです。

Posted by 田舎帝王 at 2013年07月08日 12:08
田舎帝王さま
なるほど!火器の発達が歩兵中心の戦術を促したわけですね。
取り扱いが易しい火器で、専門戦闘集団である騎士たちを打ち破ったことこそ戦いのターニングポイントだと理解しました。
近代国家では「誰でも戦闘員になれる」ことから徴兵制が行われたのも、その遠因は「誰でも歩兵になれる」ことから来ているんですね。

騎士の発展形は戦車部隊で、さらにWWII以降だとヘリコプター部隊ではないでしょうか。コッポラの映画「地獄の黙示録」で、ヘリコプター部隊の攻撃のときにワグナーの「ワルキューレの騎行」の音楽を流していたのはそういう意味だったかもしれませんね。
Posted by ラー at 2013年07月08日 12:29
とはいっても、戦国期が終わるまで鎧がなくならなかったように、銃火器の発達に合わせてヨーロッパでも鎧の形状が変わっていきました。


その代表格なのが、胸甲と呼ばれる上半身だけ覆う鎧ですね。

逆への字に伸ばしたカイゼル髭に鉄兜を被って上半身だけ鎧をつけた将軍様の肖像画を目にしたことがあると思いますが、それが胸甲です。


Posted by 田舎帝王 at 2013年07月08日 15:05
田舎帝王さんの仰られる「胸甲」が、日本に輸入され、草摺と佩楯、それに手甲を加えて「当世具足」になりました。
Posted by 百足衆 at 2013年07月08日 15:17
騎兵の系譜で第二次大戦時の戦車部隊をたとえると、
大戦初期の機動戦重視の頃の戦車(二号〜四号戦車あたり)は軽騎兵、即ち甲冑なしの快速騎馬部隊に相当しますが、大戦中期〜後期は機動力よりも火力・防御力重視(タイガー、パンサー)になり重騎兵部隊のようなポジションに重心が移ってきています。

突撃砲戦車も、当初は短砲身で歩兵に随伴する装甲付き山砲のような位置付けでしたが、長砲身・大口径化が進むと結局中〜重戦車となんら位置付けが変らなくなりました。
Posted by A2Z at 2013年07月08日 18:39
日本における騎馬隊と西洋における騎兵隊とは同じ馬に乗っているけど、まったく別個のものですね。

戦国期おける騎兵隊は伊達氏が編成していた騎馬鉄砲隊がそれに近い形じゃないでしょうか(この辺りの見解は、甲州人の百足衆さんに一家言ありそうですが(汗))。

日本が再び騎兵に目を向けるのが明治以降で、秋山好古が日本騎兵隊の父と呼ばれていますが、秋山が育てた騎兵隊も日露戦争で活躍しただけで、以後、その役割は戦車へと受け継がれていくのがAZZさんやラーさんが指摘する通りですね。



Posted by 田舎帝王 at 2013年07月08日 19:23
田舎帝王さん、伊達氏や加藤清正の騎馬鉄砲隊は、馬上で撃つため拳銃のような「馬上筒」を装備していました。
しかし、銃身が短い上、移動中の馬上では狙いも定まらず、さりとて停止すれば狙い撃ちされるため、威嚇以上の効果はなかつたでしょう。

武田家は、長篠の時も相当数の鉄砲衆を引き連れていきました。竹束を弾除けにし、織田徳川軍の馬防柵に肉薄し狙撃しましたが我に利在らず、惜しくも敵方の火力が勝って敗退となりました。
Posted by 百足衆 at 2013年07月08日 19:46
WWII時にもコサック騎兵軍団は存在し、ナチスドイツ軍とソ連軍に分かれて戦ったそうです。
Posted by 無名X at 2013年07月08日 20:52
日本の近代騎兵の父、秋山好古大将。
WW2では、騎兵出身のバロン西が戦車を指揮し、
現在は秋山大将のお孫さんが陸自の戦車隊指揮官だそうです。
Posted by デハ at 2013年07月08日 23:17
秋山好古の精神は現代まで引き継がれているんですね。
Posted by シモン at 2013年07月09日 04:58
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