
80年代。管理教育や社会に不満を持つ不良少年たちは、「ツッパリ」と呼ばれていました。

ツッパリの人たちがツッパる理由には、様々な要因があります。
(1)管理主義的な学校教育システム、偏差値一辺倒の価値観を先生や親が押付けることに反発するケース
(2)私的なきっかけ(先生とのいざこざ、極度の劣等感など)でツッパリに走るケース
(3)友人や先輩、朝日新聞や尾崎某に触発されてなんとなくツッパるケース
(4)何も考えずにツッパる単なる馬鹿
大体こんなところです。
80年代のツッパリファッションは、当時の警察署の配布資料によれば、次のようなものでした。
男:髪はリーゼントかパンチパーマ。学ランの襟は高く、丈が長い。腕まくりする。下にはカラーTシャツを着込む。ズボンはダブダブ。学生カバンは薄くてステッカーを張ってある。
女:髪はパーマで染めている。眉毛は剃って薄く描く。スカートは地面スレスレまで長い。胸元を開けてネックレスをしている。学生カバンの中身は教科書でなく化粧品。
2013年のいまどき、こんな人を見かけたらツッパリではなく、コスプレイヤーであることはほぼ間違いないでしょう。
ツッパリの黄金期は、彼らのカリスマ的な存在が芸能人として活躍していました。「横浜銀蝿」のみなさんです。その代表曲「ツッパリHigh School Rock'n Roll」には、「登校編」の他、「試験編」もありました。
♪今日も元気にドカンをきめたら
ヨーラン背負ってリーゼント
つっぱり High School Rock'n Roll
つっぱり High School Rock'n Roll
という、現代人には意味不明の歌詞なので現代語訳しますと、
♪今日も元気に土管(地中に埋設される管)を選んだら
洋蘭(鑑賞目的の蘭の花)を背負ってリーゼントヘアーに整髪しましょう
つっぱり高校 ロックとロール
つっぱり高校 ロックとロール
こういう内容です。
ツッパリに欠かせない乗り物は、改造オートバイです。彼らは徒党を組み、「暴走族」として騒音を撒き散らしながら公道を練り走りました。そんな彼らを擁護し、賛美する写真集「暴走列島1982」のような本が出版されたりしました。「こんな彼らだけど、本当はみんな純粋でいい子たちなんだ」というような文章が書かれていました。もっと大人しくて純粋でいい子たちのことは「覇気がない」「管理社会のいいなり」「個性がない」と切り捨てられていました。

暴走族は、1979年の道路交通法改定で弱体化し、流行らなくなりました。現代では、暴走族は「珍走団」と名前を変え、細々と地方都市の夜道を走っているそうです。
(本文と写真は関係ありません)
シモン様、今朝取り上げた「つっぱり」は、相撲と関係あります。いや、ひとりだけ関係するのです。錣山親方は、もと「つっぱり」でしたが、母の遺言によりそれまでの行いを改め、父、井筒親方のもとに入門し、四股名を母の旧姓から採って「寺尾」と名乗り、「つっぱり」を武器に自分より大きな力士を次々倒したのです。
長兄の鶴嶺山は大成しませんでしたが、父・鶴ケ嶺(元井筒親方)、次兄・逆鉾(現・井筒親方)、兄弟子・霧島(現・陸奥親方)とともに、「薩摩隼人の部屋である井筒部屋」の最盛期を打ち立てたのです。
「ごちそうさん」では、最後に、近藤正臣が登場しました。果たして、どんな役柄なのでせうか。明智光秀のような、人物かも、知れません。
サテ私が中学校に奉職中、多くのツッパリ生徒が、いました。ガラスを割ったり、オートバイで暴走し、夜警察署に呼ばれて行った、などということは、ザラでした。
ですが、彼らがみんな悪いわけではなく、むしろ実社会に出てから活躍している者が、多くいます。
以前話したかもしれませんが、いまだに私に届け物を欠かさない生徒は、元ツッパリで、今は建設会社の社長です。一家の写真の年賀状を毎年送ってくれます。さうだそろそろ、賀状の準備に、かからねば、なりません。
余談ですが鹿児島には「〜薗」姓が多いですね。
「寺尾」は、寺尾関のお母さんの旧姓です。
それだけお母さんを慕っていたと思います。デハ様が書かれているように、お母さんの遺言によって角界入りしたわけですから、思いも強かったことでしょう。
同感の思いです。
マスメディアから見たら、構成した不良の方がネタとして面白いからだと思います。
マスコミに取り上げられる有名人が立派なものではない(むしろおぞましい)ことに、そろそろ視聴者も気付いてきました。バラエティ番組を筆頭に、テレビ離れが加速しているのも、至極当然です。
テレビ界の有名人で、最もおぞましい人が「美○子」さんという人です。
東幹久が助さんなんかやるから水戸黄門打ち切られた。
もっとも、水戸黄門もつっぱりから更生したクチですが。
それと老師。
今の不良には老師の教え子のようなものを期待してはダメです。
昔の不良は、体育会系の風潮がありました。
しかし現在は、そういうかたぎがなくなったので、不良は絶対更生しませんし、そもそも日本人ではない者が不良の大半、またはリーダーなので日本の美学が通用しないのです。
更生して恩師を忘れない不良が最も多く出ていたテレビドラマは、スクールウォーズです。
「川浜一のワル」大木大助は見事更生し、名ラグビー選手になりました。
番長の水原は先生の背中を流し、極悪キャプテンの尾本は消防士になりました。(川浜消防署は良く採用したと思いました)極悪副キャプテンで花という字すら書けなかった内田も更生し、部に尽くし、弟を鍛えました。
ツッパリではありませんが、一時ナチス独逸、ヒトラー総統に傾注していた時期がありました。ナチスの腕章・徽章・ルガーのモデルガンなどを携行しました。
しかし親に辞めさせられました。
また、その後よく調べたら、ヒトラーがカイザーを阿蘭陀に追放したことを知り、ヒトラーは極左テロリスト、不忠者であると結論付け、以後はナチスが大きらいになりました。
デハサンは覚えておられるかわかりませんが、栃木県の黒磯市で、中学生の生徒が、注意した女性教師を、バタフライナイフで刺殺した事件がありました。
日本人の美学では、女性に刃物を向けるなど、ありえないことで、昔のツッパリは、それを含めていろいろな不文律を、守っていました。
なのであの犯人は、従来のツッパリではないのです。
にも関わらず、TBSの筑紫哲也は、「注意の仕方に、問題はなかったのでしょうか」などと、あたかも被害者に落ち度があるかのような発言を、していました。私は、この一言だけでも、筑紫哲也は屑哲也とでも、改名したほうが良いと思いました。
こんな連中が、「社会になじめない、本当は優しい子」の犯罪を、助長したように、思えます。
中2の時ソフトボール大会が有ってね、敵のピッチャーが番長的な奴でね。0-2で負けててね、最終回裏にランナー一人置いて2番の私。速球だけ来たら粘って四球が多分精一杯。ただコイツ頭脳派気取ってたのか追い込んだらタイミング外すつもりで弛い球を投げるんよ。此方は一か八かわざと2ストライク1ボールまで追い込まれて次の球に大ヤマ張って叩いたら依りに寄って同点ホームランwwwまぁソイツが騒ぐ騒ぐ。着替えの時も「コイツがホームラン打ったから俺の勝ちが消えた!」
「殴られるのかな?」と不安ながら数ヶ月…
ここにいる誰もが総帥さんを「見直した」と思います
(=これまで見下してたとかじゃなく、そこまでスポーツマンだとは知らなかった、の意味です。)
「俺が四番やからお前は三番な!ランナー出てたら貯めろよ!居らんかったらお前が必ず塁に出ろ!」とまるで海空高校の辰巳君みたいな事言いよる…
良く考えてみたら不良には絡まれなかったから変に気に入られて回りに牽制してくれたのかな?修学旅行でも同じ部屋でいきなりビール飲み始め「先生が何か言ったら構わんから“俺”と言え」と突っ張り倒しよったがな。美学みたいなもんはあったんかな…因みにソイツは3年前に別れたかみさんをドキュン夫から庇って刺されて…
違うよ。振り回すから当たったらデカイのよ。
いろいろあるんですなあ。
男気があると、刃傷沙汰で落命するのは、不可避です。
私の教え子たちのうち、二人、そういった壮絶な死に至った者を知っています。
総帥さんも時々その人を思い出し、供養されてください、老人心ながら。
今でも「護身用」といいながら物騒なモノを持ち歩くガキがいそうなので、電車内ではトラブルに巻き込まれないようにしています。
ご指摘ありがとうございます。
ツッパリを卒業して相撲取りになった人といえば、千代大海もそうですね。朝青龍も一種のツッパリかもしれません。
コメントありがとうございます。
元ツッパリは、大人になると情が深くなる人もいますね。
教え子さんから毎年贈り物をもらえて、羨ましいです。
「薗」がつく姓が鹿児島に多いですね。
私の職場にも、大薗さんとかいますね。
コメントありがとうございます。
感動的なエピソードですね。遺言は守らねばなりませんからね。
コメントありがとうございます。
マスコミは、突拍子もないものをまつりあげることで商売になるわけですから、バイアスがかかってますね。
例の大家族のお父さんの方は、相応の努力をされたとは思いますが、・・・
コメントありがとうございます。
実際のところ、不良の更正率ってどのぐらいのものなんでしょうね。
「更正を誓う」ことで、裁判で減刑されることが妥当かどうかという議論にもなりそうですね。
マスコミに登場する人は、嫌われ役でも認知度が上がれば「成功」なんでしょうきっと。
中学時代は野球少年だったようですね(=ソフト少年?)
振り回しても当たるからいいじゃないですか。
基本的に嫌いだった人間でも、早世したと聞いたりすると、一度は会っておきたかった、なんて後悔するものですね。
もう私の中学時代の同級生も、かなりの数が別の世界に行ってしまいました。
でも何故かツッパリ女子のスカートは長いままでした。ミニスカート風の穿き方はむしろ地元で名門にランクされる女子高で流行ってました。
コメントありがとうございます。
HBさんも、そういうファッションの時代があったとは驚きです。
あの長いスカートは今見ると滑稽ですね。
中学時代は、最初の頃は体力を持て余して暴れて、次第にツッパリの世界から人が寄ってきて、中三で急に落ち着いた(と言うか斜に構えた)男の子になりました(笑)。同時に、学ランはそのままに、髪型や私服が中性的な方に行って高校時代まで変わらず、でした。
長いスカートは学年に10人くらいで、あとは普通の膝下丈でしたね。この頃既に前述のミニスカ風制服の女子高生を見ているので、今のJKの着こなしを非難する論調に違和感を覚えます。
自分が悪いことをしていると自覚しているのなら、更生の使用もありますが、世の中には自分が悪いことをしているなんて露程にも思っていない連中ばかりですからね。
そんな連中は問答無用で長谷川平蔵様に斬捨ててもらいたいです。
そういう意味では「ライトな不良」みたいな位置付けでした。
「ごちそうさん」は、遂に近藤正臣が「ほうるもん爺さん」して、登場した。
総帥さんが、以前自分は近藤正臣に似ている、と仰られていましたナ。 ご尊顔を想像しました。
サテ、今ビジネス最前線で活躍中のHBさんA2Zさんたちが、意外や中学生時代は少しヤサグレていた(失礼。)のは、それほど中学生時代が多感な時代ということの裏書きとも言えましょう。まろんさんは、或意味中学生のままなのかナ?
齢八十にして、人間の事が徐徐にわかってきたやうです。
百足衆殿
似てへんよwww40位までの「コンドオー」さんに似てるなら幸せだな。何やっても様になる。
さんまと近藤正臣が楽屋でテレビ観てた時、藤竜也が出てきてそうな
近藤「さんまちゃん。どうしてこの人格好つけながらしか喋らないのかな?」
さんま「(それはアンタやプププッ)…」
てことが曾てあったそうな。
総帥閣下に、「八十年の人生で培った人間を見る眼」を否定されてしまいましたね(;_;)シクシク
「二枚目違うよ」て言うてるだけやがなwww近藤正臣の大久保利通や土方歳三は格好良かったな。あんな風に生まれたかった…
胸に刺さる御言葉謹んでお受け致します。
惰眠をむさぼった儘、齢八十まで来てしまいました。先人たちの二十年にも劣る我が生涯。
皆様どうか他山の石とされますように。
敢えて叱責を覚悟で諫言させて頂ければ、
我々の80年(乃至40年ちょっと)の人生と、
近藤勇や土方歳三の濃密な20年強を、
比較すること自体が間違ってます。
あんな激しい生き方したら、そら30年やそこらで死にますよ。
現代人は、安逸の長寿命を保証されている代わりに、退屈な人生を選ぶように仕向けられているんです。
どひゃめら、どひゃめら、どひゃめら、
わっをっ!!
百足衆様。
ならば、貴殿の余生の20年を、その先人たちの20年に匹敵するよう,燃焼させたら、良いのではないでしょうか?
人生、80年では終わりません。否、終わることを考えて、計算ずくの、人生など、ありえません。
ならば、今を今しかないと思い、生きるのです!生きるのです!
私の一見変な詩(菅原さんだけ、わかってくれているようですが。)は、文字にできても言葉にならない、魂のほとばしりなのです。
お金でも、名誉でもなく、でも自分の好きな生涯を、思いっきり生きたら、いいじゃないですか、百足衆様!
まだまだ20年も、ありますよ!!
不覚にも、涙しました。
気に障ってなど、ないですよ。剣呑剣呑。
ありがとさんです。
「そろそろ拙者の退屈の虫が騒ぎだしてきたワ…」総帥閣下どころか社畜退屈男だワwww
blogのネタが私好みなら良いがそうでなくければ「トラベラーズチェック」を「山吹色のお菓子」に「ダイアナ妃」を「キリヤマ隊長」wwwに変えた如く、食える枝葉を辛抱強く待ちます。ではオヤスミ…寝れんかったら又食いつくかもですが…
「社畜退屈男」それ私ですw
早く足が治りますように。
明日のblog記事はきっと退屈ですが、突っ込んでくださいね。
お大事になさってください。
大阪に早く帰省できますように!