2014年04月25日

ザ・タイガース

60年代グループサウンズの最高峰のバンドでした。

The_Tigers.jpg

60年代末期。
後楽園球場での巨人戦のために新幹線で移動していた阪神タイガースは、東京駅の新幹線ホームに
「歓迎!タイガース」
の垂れ幕と一緒に若い女性ファンが詰め掛けているのを見て、東京にも熱狂的な阪神ファンがおるんやなあとぬか喜びしたのもつかの間、実はそれは同じ新幹線に乗り合わせた「ザ・タイガース」の武道館コンサートを歓迎する一行だったことに気がついてどっと疲れが出たそうです。

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ザ・タイガースは、英国のザ・ビートルズを模倣して作られたグループ・サウンズの一派の五人組のバンドです。ビートルズが四人組なのに何故五人組だったかというと、「沢田研二が歌以外にはタンバリンしか演奏できなかったから」という説がまことしやかにささやかれていますが、それは誤りで、実は江戸時代の「五人組制度」を踏襲したからでした。

では簡単にメンバーを紹介しましょう。

岸部おさみ:リーダー。ベースギター担当。愛称は「サリー」。魔法使いサリーの大ファンだったため。後に岸部一徳と改名し、ドラマの世界に進出する。
沢田研二:ボーカル担当。タンバリン奏者でもある。愛称は「ジュリー」。女優のジュリー・アンドリュースの大ファンだったため。ピーナッツのお姉さんの方と結婚するが、後に女優の田中裕子と再婚する。
加橋かつみ:リードギター、ボーカル担当。愛称は「トッポ」。トッポジージョの大ファンだったため。甲高い声で歌った「花の首飾り」が、ザ・タイガースの通算NO.1のヒット曲だった。1969年に脱退。
森本太郎:ギター担当。愛称は「タロー」。そのまんまである。まれにボーカル、作詞作曲もする。プロデューサーとしての才能が開花し、西城秀樹などを育成する。
瞳みのる:ドラムス担当。愛称は「ピー」。胃腸が弱く、年中下痢に悩まされていたため。解散後は、慶應義塾高等学校で教鞭を執るかたわら中国文学者としての道を歩み、多くの中国関係の書籍を著した。
岸部シロー:加橋かつみ脱退後に加わったメンバー。ザ・ドリフターズに例えれば、荒井注脱退後に加入した志村けん的な存在。外見はジョンレノンに似ている。愛称は「シロー」。そのまんま。

以上のような濃いメンバーが、60年代のJ-POPシーンをリードしていたのでした。

当時、NHKの「紅白歌合戦」では、出場歌手選考に色眼鏡を使っていたらしく(=現在は使っているかどうか不明)、グループサウンズは決して選ばれることはありませんでした。それでも、「シャボン玉ホリデー」のような民放の歌番組には、ザ・タイガースはしょっちゅう出演していました。UFOがやってくるという荒唐無稽な「銀河のロマンス」という映画も、ちょうどザ・ビートルズの「ビートルズがやってくるヤアヤアヤア(原題:A Hard Day's Night)」や「4人はアイドル(原題:Help!)」と同様のアイドル映画として制作されました。
私の家にも、45回転のドーナツ盤のレコード「君だけに愛を」がありました。このレコードのB面(=現在の20代の人に「B面」と言っても通じませんが)は、「落葉の物語」という曲でしたが、この歌詞に出てくる「愛のショコラーテ」って一体何だろう。と長年の間疑問でした。それが「チョコレート」を意味するフランス語だと知ったのは、大学入学後でした。

グループサウンズは、その模倣先であるザ・ビートルズが70年に解散したのをきっかけに退潮し、ザ・タイガースも71年の武道館コンサートを最後に解散しました。
しかし、80年代には「同窓会コンサート」と称して、中国研究で忙しい瞳みのるを除いて再結成され、「色つきの女でいてくれよ」等の新曲(80年代当時)を発表したりしました。
80年代中頃、私は京都の北白川に住んでいた高校時代の友人宅によく遊びに行き、沢田研二の家とやらが銀閣寺道にあることを教えてもらいました。当時京都には「河原町のジュリー」という別のアイドルがおり、「銀閣寺道のジュリー」と区別しているんだと教わったものです。

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2011-12年、沢田研二のライブツアーに岸部一徳、森本太郎、さらにこれまで中国研究ですっかり音楽界から姿を消していた瞳みのるまでもがゲスト参加することを表明したところ、前売りチケットは完売状態となりました。2013年に行われた「ザ・タイガース 2013」は、加橋かつみもツアーに加わり、結成当時のオリジナルメンバー五人組が勢ぞろい。さらに最終日の12月27日東京ドームでの公演では、脳梗塞に倒れた岸部シローも車椅子で参加し、多くのファンの感涙を誘ったそうです。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 05:00| 東京 ☀| Comment(14) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようさんです

沢田研二は今は顔のデカイ肥ったオッサンになっちゃったねェ。かなり長いこと高いレベルをキープしてたのに…沢田研二単体なら沢田研二だけどタイガースの沢田研二だと昔のファンは一度切れた歴史を巻き戻しちゃうからね。
「こんなんじゃない!」
てなっちゃわないかね?
洋楽でいうとストーンズなら年齢を取って身体も指も動きが悪くなったのを継続して見てるから気にならないんだけど、‘98’だっけかにツェッペリン(ジミー・ペイジ&ロバート・プラントのユニットとしてだったけど)観た時は(ジミーはまだ格好良かったけど)王子様みたいだったロバートがブルドッグみたいになって声も出てなかったから却って悲しかったよな…
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2014年04月25日 05:39
岸部兄弟がジュリーの仲間と知った時はびっくりしました。沙悟浄がジュリーの仲間って信じられなかった
Posted by デハ at 2014年04月25日 11:26
私も70年代末期に京都の東鴨川大学工学部というところで学生生活を送りましたので、河原町のジュリーと呼ばれた浮浪者、今の言葉でホームレスのことは懐かしく思い出します。

まさか自分が、それに近い境遇になるとは想像できませんでした。
ただ自分の場合は定職がないだけで、辛うじて食って行けるのですが。
Posted by 藤原 at 2014年04月25日 19:25
「色つきの女でいてくれよ」のレコードを買いました。
岸部シローはたしかバブル崩壊の煽りを受け、破産してしまったような・・・・。
Posted by ヨット at 2014年04月25日 22:38
岸部シローの自己破産はなぁ要領が悪い。あの人は年収一億チョット有ったわけで。で、借金は約4億。返せない額ではない。干されて破産したんじゃなく破産したから干されたわけですから。
本当ににっちもさっちもいかなけりゃ“自己破産”が良いがシローさんは上記の如くだから一度借金を洗い直して“任意整理”と云う手が有った(実際に任意整理なら“ルックルック”を
「降ろさなかった」
と日テレの重役も言うたそうだ)。
簡単に言うと全額を調べて出来たら一口、なるべく少ない件数に纏めて、自分の全財産も債権者に公開して改めて支払い方法を決めるちゅうやり方ね。藤田まことさんはこの手を使ったんやろな。で、後は年中無休24時間営業宣言してコツコツ返したわけ(あの人こそ自己破産と偽装離婚したら楽やったのに…逆に言うと其をしなかったから使えて貰って30億だか40億だかを10年で返せたわけだが)。ただこの方法は弁護士がアッチコッチに回って手続きが面倒くさいから、親切者じゃない弁護士だと嫌がって手続きが少ない破産を勧めるんやワ。
シローさんのトークなら平日はルックルックやって土日や夜はスーパーやパチンコ屋回りしてれば数年で返したやろに要領悪いからドル箱まで無くしてしもうたナ…
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2014年04月26日 00:05
もう一つ言うとシローさんの借金は自分の事業も有ったけど他人の“連帯保証人”になってしまったからてのもかなり有ったようね。あの人は見たままでお人好しみたいやから。

で、宗匠

旧称東鴨川大学て桂男子工業大学…つまり京都大学工学部でしょ?別名“狂徒大学”…
管理人殿もそうやけど凄いところ出てるな…私にとって国公立に理系て二重のコンプレックスですワ。
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2014年04月26日 00:16
総帥さん

ジュリー、顔が太りましたね。
顔の肉はなかなか落ちないんですよねwww
Posted by シモン at 2014年04月26日 06:03
デハさん

夏目雅子の仲間でもあったんですよね。
Posted by シモン at 2014年04月26日 06:12
藤原さん

まあ、食っていければいいじゃないですか、人生気楽にいきましょう。
Posted by シモン at 2014年04月26日 06:13
ヨットさん

「色つきの女でいてくれよ」の頃は、まだレコードでしたね。
Posted by シモン at 2014年04月26日 06:14
>愛國赤旗党総帥さん

連帯保証人という単語を世間に浸透させたのは、島倉千代子さんだったかもしれません・・・・。
おかげで子供でも
「うかつにレンタイホショウニンになってはいけない」
「ジツインを人に預けてはいけない」
をおぼえましたからね。
「トイチ」という言葉をおぼえたのは水原弘、ゴルフ場経営でコケると大惨事と印象づけられたのが小林旭、「千億単位の借金」が世の中には存在するんだなぁと驚いたのが千昌夫、巨額の負債を返済できる芸能人って凄いと思ったのが藤田まことと矢沢永吉、40万円の借金が返せずもめたのがビートきよし・・・・。
Posted by ヨット at 2014年04月26日 21:24
関係ありませんがジュリーのシングルで一バス好きなのは「コバルトの季節」です
Posted by デハ at 2014年04月26日 22:11
ヨット殿

まぁ金持ちが欲を掻いて“元”金持ちになってしまってるね。「金は天下の回りもの」云うが私の所に来んかね?回ってきたら止めてやるワwww億単位の金なら余計な事しなければ使い切れんよ。事業もせんし投機もせん。会社も辞める必要無い。
ある上司が
「お前は『小成に甘んずる』処があるな」
て言いましてね。
「違いますよ。少量の『幸せ』で満足出来るんですよ。満足出来ずに無理して身体壊したり、借金こさえても仕方ないでしょ?」
て言ったらイヤーな顔しよったがなwwwこの上司40代初めに役員(取締役事業部長)になったものの後は上手く行かず、それでギャンギャン吠えるから若手からも人望失って、身体も壊し、鬱にもなって平社員まで落ちた…家も買ったから辞めることも出来ん。
本質は良い人なんだけど上記の如く「熱い」人(私には「重たい」人)だから「満足」出来なくてオーバーヒートして自壊しちゃったんろね。身近にいるバブル成功→崩壊の縮図やね。
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2014年04月26日 22:41
総帥さん

元上司、パチンコで最初勝ってたからつっこんで大負けしたのとなんら変わりがないですね。

パチンコ可能年齢になったばかりの頃、少しだけ買ったところで玉を持っていったらなにやら古ぼけた箱入りボールペンを何本も渡されて「こんなのが商品?」と不審に思ってそれきりパチンコ屋には行かなくなりました。
景品交換所が別の場所にあってそこにボールペンを持っていったら換金できると知ったのはもっと後のことでした。
Posted by シモン at 2014年04月27日 05:52
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