
1980年代を代表するアニメーション「銀河鉄道999」に毎回登場したメンバーは、主人公の星野鉄郎君(別名鉄ちゃん)、同乗者のメーテルの他に、車掌さんがいたことを覚えている方も多いのではないでしょうか。
短躯にして色黒の顔に、目だけが光っていましたが、職務に忠実で、ダイヤ通りに999号を運行させていました。

車掌とは、どういった職業でしょうか。
wikipediaによれば、
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車掌は、機関士・運転士などの車両を直接運転する業務以外で、円滑な旅客・貨物輸送の確保にあたる乗務員である。世界的に共通して次の業務に従事する。
安全規則に基づく定時運行の確認
適切な旅客の乗降および荷貨物の積み卸しの確認
貨物運送状の作成
推進運転時における制動操作
車両入れ換えの支援
運行支障時における応急的な修理
乗車券の検札・集改札およびその他の旅客サービス業務
===
という内容の職務です。
80年代以前、日本の鉄道の車掌はほぼ100%が男性でした。それに対して、ワンマンバスでないバスの車掌はほぼ99%が女性でした。これは何を意味していたかというと、おそらく前者の仕事は力仕事が多く、後者は旅客と接するサービス業的な意味合いが強かったからだと思われます。
80年代に東欧を旅した時、チェコ国内を走る国際列車の窓から女性の駅長さんや車掌さんの姿を見て、「社会主義国では女性も鉄道に勤務しているんだ」と驚いた記憶があります。
90年代を契機に、日本でも女性の社会進出が増え、東海道新幹線では女性の車掌さんが乗務している姿がごく当たり前になりました。

ところで、私はまだバスの女性運転手さんというものを見たことがありません。タクシーでは既に女性のドライバーが当たり前になっている昨今、バスの運転台だけは男性が「死守」しているのでしょうか。デハさんのご見識をお伺いしたいです。
(本文と写真は関係ありません)
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錦林車庫行きです。
今は女性ドライバーが運んでくれるのですね。
時代は変わりました。
「特17系統」が走っていた頃ですね。
貴殿は北野白梅町の住人ちゃうんけ?205やろ?
わてほんまによういわんわ。
ソッコーの返信おおきに。
因みに私の勤務地は北白川追分町です。205系統よりむしろ#203の方に乗りますが。
早速のご教示ありがとうございます。
「はいからさん」に乗るために、会津若松に行ってみたくなりました。
ご教示ありがとうございます。
私は都バスにしか乗ってませんでしたが、運悪く?男性運転手ばかりでした。
名鉄バスも女性が普通になりつつあるそうです。
「銀閣寺道」のところで南にカーブした記憶があります。友人は浄土寺というところに居住してました。
「北白川追分町」というところで勤務地はほぼ確定してしまいますね。
私は殿馬の霊かと。
「子供が一人で仕上げた新聞って、どういう内容(レベル)のものなんだろう?」
と気になったりしたものです。
http://www.youtube.com/watch?v=DOX70tdkeEY
”電車が過ぎる高架線”
から
”河川敷の野球場”
に劇的に歌詞がスライドする秋元康作詞の「制服のマネキン」。
週刊ヘラルド、いつも売り切れだったみたいです。さすが天才エジソン。
鹿児島の名家の出身なのに「ズラ」なんですよね。
わてほんまによういわんわとは、どういう意味なのでしょうか。
九州弁は「男おいどん」で松本零士さんの得意な言葉じゃないでしょうか。
肝付家の末裔が使っても、少しも違和感ありません。
ひょれらっ ひょれらっ。
言葉に、
意味を見出そうとして、何か意味があるのでしょうか。
意味を見出そうとして、何か意味があるのでしょうか。
自家撞着しているのです、です。
言葉は意味(シニフィアン)を、確認しない世界で、共有できるのです。
ラー様が、小生に、
「わてほんまによういわんわとは、どういう意味なのでしょうか」と、質問するのと、
猫に、
「ニャーゴとは、どういう意味なのでしょうか」と、質問するのに、
論理的な差異は、ありません。
また、此れに答えたからと言って、
新たな「知」の地平が啓けるわけでは、ないのです。
「言葉は、それが意味することを理解され得る世界でしか、通用しない。」
此れが私の、モットーであり、ポリーシです。
どうしても、辞書的な意味で中身をお知りになりたいのであれば、
総帥様に、聞きましょう。
総帥様に、聞けばよいのです。
何故なら、総帥様こそ、関西の言葉に通暁しているからです。
私は、一時信州にいましたが、基本的に無国籍です。
菅原君は、論外です。(多くの、意味で。)
>わてほんまによういわんわとは、どういう意味なのでしょうか
やってられません、という意味です。
詳しくは総帥さんが解説してくれます。
https://www.youtube.com/watch?v=tBTgCBTNjw0
昭和初期から、「プロモーションビデオ」があったことに感動・・・ひたすら感動。
やってられません、という意味です。
もう一つ深く突っ込むと
「あきれてものが言えない」
とでも訳せば良いでしょうかな?但し実際に使う人に遭遇したことは有りません。
余談ですが名古屋でも
「美味うていかんワ」
とかと言う(そうです。美味くてはイカンのか?)方言のディープな部分は案外地元民でも知らなかったり聞いたことがなかったりするんじゃ有りませんか?
「名古屋にはヤット亀という大きな亀が居るそうだな?」
と名古屋の友人に聞いたら怒られました。
吉本とかで捲し立ててるのは大阪弁では有りません。下品なデフォルメです。生粋の大坂人…特に我々北部の人間に、アレを標準的な“大阪弁”とされると非常に不愉快です。冗談の範囲以上では使わないように。
余談の余談ですが本当の大阪弁てのは桂米朝師匠や春団治師匠、中村玉緒さん或いは故司馬遼太郎氏の対談なんかが視れればよく分かります。特に司馬さんのは面白いし本当の毒舌が分かります。あの人は自分の名前の持つ重みと言うのを生涯考えなかったんでしょうね…トップクラスの知性と上品な物腰に大阪のオッサンの感性を感じます。
古の、古き佳き上方言葉を、
「実際に使う人に遭遇したことは有りません」
等と、断じるのは、如何なものですかナ。
笠置志津子さんは、私達の世代の星であり、憧れの存在でした。
老師
「買い物ブギ」のことでしょ?ミスター・タイガースこと藤村富美男氏は彼女のパフォーマンスを観て感激し
「お客さんを楽しませてナンボや」
と“悟り”を拓かせた程のお方である事は私ですら知っております(そう言えば、又阪神負けよったな。ホンマに肝心な時には勝てんチームやな…)。
私は「無い」とは言っておりません。「遭遇」した事が無いと言ったので有ります。
それと文学とか流行歌、お笑いなんかから得た知識ってのは一応眉に唾つけて聞いておかんと危ない場合ありますよ。丁度関西弁、大阪弁がネタですので…大阪人を指して「ガメツイ」て言いますね?アレは昭和中期に菊田一夫ていう作家が大阪を舞台にした戯曲で「がめつい奴」ていうのをヒットさせてから出来た言葉です。麻雀でひたすら良さげな牌をかき集めるのを「がめる」と言います。その辺から出来た言葉で、この言葉は先ほどの言葉とは逆に昔は無かったのに今は“出来上がった”言葉と言えるでしょう。優秀な作家、パフォーマーというのは斯くの如く歴史すら変える程力強くもあり邪悪な者である場合もあるんであるんであります。