
1960〜70年代の小学館の学年雑誌に掲載された、川崎のぼるさんの漫画作品「いなかっぺ大将」の主人公:風大左衛門は、音楽を聴くと何故か服を脱ぎ始め、下着一枚になってしまうという奇癖の持ち主でした。
そして、その最後の下着が、「ふんどし」だったのです。

ふんどしは、「褌」の漢字で表記される通り、「軍(いくさ)の衣服」でした。戦国時代、まだ布が高価だった頃は、日本人男性の中で褌を締めていたのは高級な武士に限られていたそうです。合戦に勝った軍勢が、戦場に残された敵兵の死体で侍と雑兵を見分けるために、褌の有無で判定し、褌を締めていた敵の首級を持ち帰ったのだそうです。
江戸時代に入り、安価な木綿が生産されるようになると、褌は徐々に一般庶民にも浸透しました。武家屋敷に奉公する足軽たち等の独身男性でひしめく町:江戸には、「貸し褌屋」が登場したのでした。
当時の六尺褌は1本248文と高価で、当時の足軽の給料では容易に買える物ではなかったそうです。
貸し褌屋に汚れた褌を持参すると、60文で洗濯してた綺麗な褌と交換してくれたそうです。江戸時代には様々な「損料屋」と呼ばれるレンタルビジネスが誕生しましたが、貸し褌屋もそのひとつです。
明治時代に入り西洋文化が流入しても、太平洋戦争終結まで褌は長い間男性の下着の座に君臨していました。何故かと言われても私は褌を締めたことが殆どありませんので想像ですが、西洋のブリーフのような下着よりも「褌をキリリと締める」ことで高揚感が生まれたからではないでしょうか。そういえば、女性も同様の下着が普及したのが昭和7年(1932年)の白木屋デパートの火災以降だとかで、日本人はそもそも下の下着をあまり着けない民族なのかもしれません。

太平洋戦争中、ニューギニアのビアク島方面に侵攻した米豪軍を撃退するために「渾作戦」が実施されました。
近年流行の「艦これくしょん」では、「褌作戦」と漢字を差し替えられていましたが、実は戦争当時も字面が似ている「渾」を「褌」と読み違えていた将兵は割りと多くいたそうです。
(本文と写真は関係ありません)
誤字というと以前紹介した比企熊本と似ていますね。
どしどしご応募ください。
どしらっ
デハ様、デハ様、百万円は、水に流しましょう。
トイレで流すと、
詰まりますので、ご注意ください。
詰まらないよう、ご注意ください。
サテフンドシといえば。
昔「博多んもんは横道もん青竹割ってへこにかくばってん」という長い名前の、吸収ラーメンがありました。
へことは、博多の言葉で、フンドシのことです。
このラーメンの、宣伝に出ていた、鮎川誠という音楽家の細君が、先日死去されました。
合唱。
>チェリッシュ、陳美齢、八神純子、シンシア、サーカスも歌ってました
褌の歌をですか。
(総帥さんご指摘多謝。スマホ変えたので・・)
越中守だった細川忠興が考案者、という説がありますね。
懸命に褌の考案をする殿様・・・むむ・・
そうです。かつて越中島には褌作戦を遂行する組織が駐在していたそうですが、市ヶ谷に統合されました。
とてもよい詩ですね。
ふんどしの歌。
是非作曲してください。
逆にいえば、殿様ぐらい時間に余裕のある人でないと考案できないかもしれませんね。
今月は残業カットが五月蝿くてね、今んところ2時間チョイで平和に済みそうです。
越中ふんどしに関しては無名Xさんのご指摘も飽くまで“説"の一つらしく、一般に普及したのは明治期からと言うことらしいですね。江戸期は六尺と云うやつで長州閥の首相の田中義一は駕籠掻きあがりなもんで“六尺"て渾名があったそうな。
で、この違いが未だによく分からないのだが、時代劇なんかを観ていて、
オヤジ「この時代にこういう職業の人間が越中ふんどしなんかするか。六尺や」
オヤジ「力士の廻しの色は番付によってやって良い色が有る。あんな色のモノをあのクラスの力士がするかい。アレじゃ廻しじゃなくて褌や」
私「でもお父さん、『他人の褌で相撲を取る』ていうやん?」
オヤジ「下らん知識で揚げ足を取るな」
と拳骨一発…
今朝の「マツサン」エリー(フォックス演)は、キャサリン(浜田演)に誘われ、マツサン(玉山演)と離婚して、スコットランドに行くよう誘われる。
という、回でした。
サテ総帥さん。貴殿の齢では、褌はよく分からないであろうナ。パンツ世代だから仕方なし。
かくいう小生も、褌は中学時代の水練の時に締めたのが、最後である。やはりパンツは脱着が、容易である。
と書いて、ウッカリ書き込むボタンを、押してしまううところだった。
廻しは、硬い木綿布で、長い。一人では巻けない。
六尺褌はもっと短いさらしの布で、水練の時はこれだつた。
越中は、布に紐がついているだけ。
大分、違うんですゾ。
うん、ヤッパリ理解し難い。実際見ることは殆ど無かろうし、時代劇すら激減しとる上に今は規制がキツいからな…
尺取虫。
えちゅふ!
総帥様、総帥様。
どうしても、違いが明確に、ならないのでしたら、
私が履いて、見せましょう。
私の画像で、違いがわかる思います。
お見せしましょう。お見せしましょう。
どこに、アップドーロすれば、良いですか?
尚、菅原君がアクセス禁止のところに限ります。
良いお父さんですね。
さすが、お詳しいですね。
もちろん、前もですよね。
全裸だと、さすがの秀吉も風邪を引きそうですね。
どうかおやめ下さい。
かわずやま。
ふぉげらっふぉげらっ。
フンドシを、豚肉で作ってみたくなりました。うほっうまそうじゃ、うまそうじゃ。
分析してはしょりましたって感じましたもあったしなーにも大好きです。
シモンさんに指摘されて、御乱心ですか。
しかし腐女子は、竹中直人秀吉は拒否しても、斎藤工や綾野剛の全羅秀吉なら喜ぶのではないでしょうか?私はいずれにしても木梨憲武以外は肖像画に似てないので却下です。独眼竜政宗で唯一残念なキャストが太った秀吉でした。信玄公や神君や竜造寺ならともかく、はっきりと痩せていた、と記録された人物を太らせたり、間違いなく百キロ越えてた南州を痩せさせることは、歴史に対する冒涜なのです。冒涜なのです。というわけで木梨主演の太閤記お願いします。
今朝の「マツサン」エリー(フォックス演)は、横浜から交換船に乗るのを、諦める。
という、回でした。
いや、御大
勝新の秀吉、アレはアレで有りだと思いますね。秀吉の“怖い"“恐ろしい"面を強調したい“演出"の一つやと思います。勝新さんは秀吉演るにあたって側近に秀吉関係のあらゆる資料を集めさせたそうです。小説、評論、絵草紙から古文書的な物まで。その中で北條攻め時に利休の弟子の山上宗二の耳鼻を抉った上で打ち首にした逸話を拾い
「これだ!」
となったそうです、つまり“残酷な恐怖の大王"的な秀吉をやろうとしたそうです。イメージは山口組三代目の田岡一雄だそうです。斯くして猿はゴリラになってしまったのですが、「政宗」の中では秀吉は魅力もある敵役ですからエンターテイメントとしてはアレも有りか?と。秀吉の当り役者は緒形拳で、あの人も結構長身ですしwww
「龍馬伝」の鯨海酔候山内容堂も30代なのに60過ぎの近藤正臣がやったのは「妖怪のような恐ろしさ」を出す為の配役、演出(尤も30〜40代で其が居ればベストだったでしょうが)だったそうで。因みに「政宗」で一番上手いなと思ったのは風見鶏が如く寝返りを繰返しあまつさえ父輝宗の死の原因を作りながら最後は政宗の忠臣になった大内定綱(寺田農)ですなwww
ただし、何で出たっけ?痩せた西郷さんいたな?アレと仲村トオルの秀吉…アレはアカンな。勝新みたいに何かを
「演じたい」
ていう特別な意志もあらへんし、そもそも演技力がなwww
「痩せた信玄公」ならば、かつて中井貴一が好演していますが、源頼朝の方が、似合ったかも知れません。
今は雲霧任左衛門ですナ。
中井貴一の頼朝公は、まるで肖像画から抜け出たようにそっくりでした。
甲府駅前の信玄公は中井貴一とは似ても似つかず、勝新太郎そのものでした。
どうしよう。ふめら!
デハ様、中井貴一の源頼朝は、タッキーが義経を演じた「義経」ですね。
でも義経は出っ歯だったようです。
菅原君が演じた方が良かったかも知れません。良かったかも知れません。
私思うに、中井貴一は仁左衛門より火盗改めの安部式部の方が嵌まると思うんが…かと言って誰が仁左衛門する?となると苦しい。
雲霧任左衛門は、50代であの役が出来る俳優というと、あまりいませんね。中井貴一以外では。
つまり、今の日本は役者不足ということですね。
うーん居ないね。貴一さんもアウトローやってみたかった部分もあるんやろね。長いこと正統派やってる人てたまにコメディや悪役やってみたがるて言うしね。ヨロキンさんが「仮面ライダー」出たがったていうし。
努さんはアウトローでも組織の長と云うより“はぐれ狼"的なイメージがあるんだけどね。
若くして自動車事故で亡くなるまで、正義のダンディであり続けた父君の佐田啓二の存在を乗り越えるためには、中井さんにとっては悪役を演じることこそが自己の存在を確認するための不可避な道だったのかもしれません。
視聴率が低迷した「清盛」(=私自身は嫌いじゃなかったどころか好きでしたが)で、平忠盛の中井さんの演技は、「義経」の頼朝より弾けていました。
3月には一度、富士宮でオフ会しませう。
ところで
「雲霧仁左衛門」って、池波さんのオリジナルじゃなくって、江戸期から既に歌舞伎ネタであったんですね。であれば、式部が貴一さんなら、雲霧役は香川照之でもいいじゃないでしょうか?
無名Xさん
私も「清盛」は面白く見ていたので。でもちょっと、一般日本人には難しかったんでしょうね・・・清盛。仲代達矢さんの「新平家」は(OPの能面といい)最高でしたが・・・。
将門=中井貴一、純友=香川照之
はあると思います。
3月OK。何とかしましょう。
菅原さんに書いた後に香川照之は浮かびました。一つだけ問題が有るなら
「又、香川か…」
て、事でしょうね。
「清盛」ねぇ、素材が難しいのかな。
吉川英治が「新平家」を書いた動機の一つが神戸港絡みのお祭りに呼ばれた時に、仮装行列みたいなのがあったのに肝心の清盛の役を
「やりたがる人が少なかった」
てのが有ったそうです(神戸開港の恩人なのにね)。私的には平家の方が源氏より親近感持てるんやけどなぁ…一族仲が良いやろ?源氏は一族で殺し合ってる。だから、源「氏」であり源「家」じゃないんやろね。吉川英治の作品のなかでは面白さではトップクラスでしょう。「太平記」は元作品の後半はグズグズですし、「三国志」は…断言しますが、アレは多分途中でヤル気無くしてるねwww張コウ(後半は重要人物なのに)が3回も死んでるし、3巻位からかな?後年、羅貫中の原作の翻訳物読んだら殆ど同じでしたから数段落ちますね。アレは横光さんが再び命を吹き込んだ物でしょう。(相変わらず余談が多いなwww)
其は有りやな。逆じゃ成り立たない。あの長い顔は純友じゃないwww只なぁ「清盛」「新平家」もそうやけど王朝物て戦国物、幕末物より金が掛かるらしい。となると、スポンサー持ってるジャニーズかバーニングが口を挟みよるからなぁwww
モーニカー!
総帥様、総帥様。
吉川晃司は、歌と、水球と、大河ドラマ出演だけでなく、
小説も、書いていましたか。
小説も、書いていたんですね。
最大の見せ場は、ちゅどーん本能寺!
「天地人」での大爆発の織田信長、天晴れでしたぞ!
どんど晴れ!
吉川英治です。
確かに、香川照之は至るところで見ますね。
つまりは、あの年代でどんな役もこなせる役者が少ないってことでしょうね。
雲霧役、変わったところで小日向文世さんとかどうでしょう。
式部役は、少し若い世代で井浦新さんとか。