2015年03月22日

トワイライトエクスプレス

オリエント急行をモデルにした、大阪-札幌間の豪華臨時寝台特急でした。

twilight_ex.jpg

年号が昭和から平成に変わった1989年。
大阪から日本海に沿って北陸と東北を縦断し、青函トンネルを通って札幌までを約22時間で走る豪華寝台特急列車が臨時列車として運行を開始しました。

water.jpg

この特急の名前は「トワイライトエクスプレス」といい、日没後・日の出前の薄明かりをイメージして命名されました。この列車に乗っている間は、現実の世界とはかけ離れた「トワイライト・ゾーン」に浸れたわけです。

車内の構成を簡単に説明しましょう。
A寝台(スイート):2人用の個室寝台。ツインベッド、ソファ、液晶テレビ、オーディオサービス、冷蔵庫、シャワールーム、トイレ付。寝台料金:約50,000円。年金と貯金に余裕のある悠々自適な老夫婦向け。
A寝台(ロイヤル):1人用個室寝台。ソファ兼ベッド、シャワー、トイレ付。寝台料金:約17,000円。お金に余裕のある独身者の休暇向け。
B寝台(シングルツイン/ツイン):1人用B個室寝台がシングルツイン。昼間はソファ、夜間はベッドになるシート、天井部にはエキストラベッド(+約5,000円)があり、2人での利用も可能。寝台料金:シングルツイン約9,000円、ツイン約16,000円。そこそこお金と時間に余裕のある女性客またはカップル(ツイン)向け。
B寝台(コンパート):上下2段の開放形B寝台が向かい合った部屋に扉が付いた4人用簡易コンパートメント。寝台料金:約6,000円。おばちゃんの団体向け。
レストランカー「ダイナープレヤデス」:ランチタイム、ディナータイム、パブタイム、モーニングタイムと4回にわたって違ったメニューが注文できる。
サロンカー「サロンデュノール」:展望サロンカー。日本海の方向を向いている。
他にミニサロンもあり、このような豪華列車が臨時に運行されていました。

mar402.jpg

トワイライトエクスプレスは、平成元年から(自然災害や事故による路線の不通期間を除いて)運行を続けてきましたが、今年の3月のダイヤ改正を以って運行を終了することになりました。
2月16日と17日の両日、大雪のために下り列車がそれぞれ約25時間半・15時間半の遅れとなりましたが、その時の乗客の皆さんは、それだけ長い時間このプレミアム・トレインの旅を楽しめた、というところでしょうか。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 05:00| 東京 ☀| Comment(12) | TrackBack(0) | 乗り物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
トワィーン ライ! ライ!
ライラライ。 サイモンガファンクル!

トワイライトエクスプレス、一度は乗って、
見たかったです。
食べたかったです。
デハ様ご馳走様と言いたかったです。

くにょーん プリ!プリ!
アカプルコ。
Posted by 藤原 at 2015年03月22日 08:28
一度も乗ることが出来ませんでした。また、トワイライト、北斗星ともに昭和47年製の24系25型のうち最も初期の車両を使っていて、昭和54年製の一番新しい車両は銀河廃止時に廃車になっています。東京と九州に新車を回し東北にお古を回したからです。また大阪は物持ちがよく、福知山や和歌山や岡山では50年前の電車が平気で走っています。
Posted by デハ at 2015年03月22日 09:11
もともと寝台車は昭和33年デビューの20系と42年デビューの電車の581系でした。同時期に分割できる14系が加わりましたが、北陸トンネル火災で客車にエンジンを積むのが危険と判断され46年から電源車復活の24系になり、翌年二段ベットの25型になりました。これら24系は全て大阪→九州間に投入されました。25型投入で余った24型を日本海、ゆうづるに回し、51年からは東京発の特急も25型になり、余った車両で北星北陸が誕生したほか20系が急行用になりました。その後ダイヤ改正で削減されると大阪地区の車両が東北に回され、また最も初期のものが残留し、気がつくと東北大阪は老朽化してました。東海道山陽九州は廃止または電車化され先になくなったのです。
Posted by デハ at 2015年03月22日 09:20
JR西の車両は、国鉄のころ首都圏のお下がりを使っていたので、東海道線と片町線しかJRの新車が行き渡らず、最近ようやく北陸と広島に新車が入ったくらいです。大阪環状線も改造車ですが、逆に言えばそれだけ長持ちするのです。
Posted by HB at 2015年03月22日 10:47
昭和51年までは、片町線は日本一ボロい、戦時型、戦時改造車を主体にしていたのと隔世の感があります。他の線区は古くても汚くはなかった。オレンジ色の塗装が錆びに見えて錆色と言われていたそうです。JR東日本は平成になってからの新車もどんどん廃車しています。昭和末期省エネ電車ともてはやされた201系も全廃です。近郊型も国鉄型113系はなく山岳タイプの115系も風前の灯火、211系や209系すら廃車が出て成田エクスプレスやひたちも世代交代してます。それに比べ西日本はアーバンネットワーク(阪急などとの競合区間)から外れた地方は、大変古い電車を走らせています。
Posted by デハ at 2015年03月22日 13:12
207系への置き換えが始まった頃の片町線の103系は、色あせたオレンジの車両と比較的新しいのが混在していました。
あの路線は、ボロ車両時代は電化区間が長尾止まり、終点の木津までディーゼルカーでは私鉄と競合すら出来ませんでしたが、京阪奈学研都市の開発が進むと新車を入れ、学研都市線と名乗るようになっていました。
Posted by HB at 2015年03月23日 00:16
うほっ 今日は、よき日じゃ菅原君がいない、

偶然でした!かわずやまの、大塚家具の授業を吸うと凝固の動きによって微妙な変化をしている。勿体ないです。
Posted by 藤原 at 2015年03月23日 00:43
学研都市って学研のおばちゃんだらけの街みたいでイヤだなあ
Posted by デハ at 2015年03月23日 09:46
学研都市、西のつくばを目指したのは良いのですが微妙なネーミングの二番煎じでした。誘致できたのは同志社の理系学部(文系は京都回帰)と一部の研究所くらい、宅地化も都心に近い京田辺と木津だけで終わりました。計画当初は京大の誘致を狙っていたそうです。
Posted by HB at 2015年03月23日 19:43
藤原さんの支離滅裂詩。
とても素晴らしいです。
Posted by 菅原 at 2015年03月23日 22:13
田辺市には、京大の職員が多く住んでいました。

菅原君。
デハ様がたまにはウイリアムアダムスがたまにはありました。という
吸うとかを持ってきた。アリスっの動きによって微妙なので安心してしまう。
Posted by 藤原 at 2015年03月23日 22:27
皆さん
コメントをありがとうございます。
Posted by シモン at 2015年03月24日 04:54
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