2015年05月19日

湘南電車

東海道本線を走っていた電車です。

kuha80.JPG

東京駅から東海道本線に乗って横浜・藤沢・小田原を越え、熱海駅に差し掛かる付近には多くの蜜柑が栽培されています。
このあたりの景色のカラーにマッチするかのように、緑色とオレンジ色の二色に塗り分けられた電車は通称「湘南電車」と呼ばれます。

11may505.jpg

現在の東海道本線の電車は、アルミの車体の一部のカラーに緑とオレンジのラインを残すのみですが、車体全体をこの二色で塗り分けた「国鉄80系電車」に愛着を感じる人は多いことでしょう。

戦前から戦後すぐの時代、東海道本線の中〜長距離列車は機関車によって牽引されていました。
それでは東京近郊の混雑に対応できないため、長大編成による電車化が推進されました。
「湘南電車」の車両となった「国鉄80系電車」はその先鞭だったわけです。しかし導入当初は初期不良も多く、「湘南電車」ならぬ「遭難電車」と揶揄されたこともあったそうです。

湘南電車の内部は、4人掛けのボックスシートで構成されていました。長距離を走行するため車内に便所を装備した車両もあり、基本的に排泄物はタンクに貯めずに車外に捨てる構造のため、便所のある車両で窓を開けたまま駅弁を食べることは忌避されたそうです。

湘南電車の色は、上で書いたように「湘南地方(もしくは静岡県)の特産である蜜柑の実と葉の色」を元にデザインされたとする人も多いのですが、実はそうではなく、アメリカ合衆国の大陸横断列車「エンパイア・ビルダー」の塗装を真似た、ということが真相だそうです。
中央上部に1灯前照灯を設置し、目玉に相当する場所には赤色の尾灯を配置した顔は「湘南顔」と呼ばれました。
私が東海道本線に乗った70年代頃には、既に2灯前照灯の「国鉄113系電車」が主流でしたが、二色による塗り分けは健在でした。

11may503.jpg

今年の3月に東京-上野ラインが開通し、東海道本線は東京駅を始発とせず、高崎線などと相互乗り入れして運行されることが多くなりました。
おかげで、東海道本線の混雑は前にも増して酷くなったようです。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 05:00| 東京 ☀| Comment(15) | TrackBack(0) | 乗り物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。
湘南電車発祥の神奈川・静岡では「茶とみかん」と呼ばれていましたが、北関東ではかぼちゃと言われていました。
北関東で使われていた115系が、下膨れで、オレンジの面積が広い(113系も正面以外は同じですが)から、余計そう見えます。

80系の初期車は、客車に酷似した外観・内装でした。そのため、初期車の模型が発売されていなかったときは、後期型の顔とドアを、客車に継ぎ合せて作っていました。

ところで、80系は、つりかけ駆動+自動空気ブレーキの、いわゆる「旧性能電車」ですが、その自動空気ブレーキには増幅装置がついており、また、貫通路の幅が私鉄電車並みに広くこの二つの点から、他の電車と混結できず、他の旧性能電車とも、新性能電車とも、異なるものでした。そして、「高性能ツリカケ車」は、私鉄にはたくさんあったのです。
さらに、80系の正面デザインを途轍の多くが真似たため、いわば、80系は、旧型客車の客室に、私鉄電車の正面・妻板・性能を組み合わせたような電車になり、国鉄を代表する電車でありながら、国鉄らしくない、また、電車らしくない部分が目立つ車両でもありました。

その後継の153系と113系では、80系が兼ねていた急行電車と中距離通勤電車の機能を分け、153系は全てクロスシートとして洗面所を設置、113系は3扉になったものの、正面デザインや車体断面などは画一化されました。

153系のモーターを強化し、勾配用ブレーキを付けたのが165系、153系の交直流用が451/471系、165系の交直流用が455/475系で、165系に碓氷峠で機関車と連結できるようにしたのが169系、ドアを狭めた修学旅行用が167系です。
 113系に勾配用ブレーキをつけたのが、115系で、併せて耐寒耐雪構造になっています。115系の冷房付が300番台、耐寒耐雪機能をさらに強化したのが1000番台で合わせてシートピッチ拡大、シートピッチだけ拡大した暖地型が2000番台、2扉にしたのが3000番台、中央東線用に屋根が低いのが800番台、身延線用に2000番台の屋根を低くしたのが、2600番台でした。

113系は、横須賀線用が1000番台、湖西線用が700番台、一般型の改良型が2000番台、湖西線用が2700番台、横須賀線用が1500番台になっています。

が、みな同じ顔で、ほとんどが湘南色なので、一般人には同じに見えるようです。
Posted by デハ at 2015年05月19日 07:03
雨となつた、甲府市内。
今朝の「まれ」まれ(土屋大鵬演)は、小日向文世の店で、厨房に入らせて貰えず、困惑する。

という、回でした。
サテデハサン。甲斐の山々、中央本線は、紺と白。湘南電車よりも、格好良いですゾ。
Posted by 百足衆 at 2015年05月19日 09:51
しょぉーん なん! ナン!
インドパン。ナン!!

グラスの底に顔があるように、電車に顔があっても、
いいじゃないか、と言った岡本太郎さん。
没後、20年になろうと、しています。

ばくーん はつ!初!
芸術は爆発だ!私の詩も同じです。なのです
Posted by 藤原 at 2015年05月19日 10:56
老師
紺色とクリーム色の塗装は、横須賀の白い砂と青い海にちなんで採用され、「横須賀色、略してスカ色」と名付けられています。他に房総地区、中央東線にも採用された他、かつては飯田線、身延線、御殿場線などの旧型電車にも塗られていました。その中で、特に中央東線の車両を、「山の中を走る横須賀線」という意味で、「山スカ」と呼称する鉄道ファンが多いのです。そして今や、スカ色は中央東線にしか走って居ません。
Posted by デハ at 2015年05月19日 14:47
百足衆殿
>中央本線は、紺と白
中央本線115系(M7編成)ですな
Posted by 燈台森 at 2015年05月19日 16:30
そのスカ色も奇しくも東海道・東北・高崎線から追い出されてきた211系が入ってきて急速に減らしてきてまして、この電車が入ると強制押しボタン式で押さないとドア開かないなんてはめになります。
だから中央東線の各駅にこの電車が来たら押しボタンを押してドア開けてくださいの張り紙ばかり。
(ちなみに快速が直通する高尾〜大月はE233系も高尾過ぎたらボタン押さないとドア開きません)
最初は甲府以北の部分を中心に3両編成車が幅を利かせてましたが、ついに6両編成車も5両編成の車両が入ってきて、豊田車の3両編成も全部こいつになってしまいました。
豊田車唯一の富士急直通運用(戻りは甲府からのも合体する)も211系です。
Posted by 無名人 at 2015年05月19日 17:55
私はまだ211系山スカは3両と6両編成しか乗ったことがありません。日頃の行いが良いせいか、1番と1001番編成にしか当たりません。最近二回中央東線に乗り、一回目が行き1001番帰りが115系、二回目は行きが一番帰り1001番でした。ロングシート車や長野色115系ともすれ違いましたが、乗るのはクロスシート車や山スカでした。
Posted by デハ at 2015年05月19日 18:02
デハどん!(テポドンかと小一時間以下略)

身延線や御殿場線は、ボタンでドアを開閉するけんど、昔は人力で開けてたよ。
Posted by ファンタジスタ・サブロー at 2015年05月19日 18:17
晴れとなつた、甲府市内の夜。

サテファンタジー棒さん。手で電車の、ドアを開けていた、ですと?
どこのど田舎ですかナ。

まあ、足であけないだけ、少しはましですナ。
Posted by 百足衆 at 2015年05月19日 20:03
曇り空の、甲府市内の、夕間暮れ。
今朝の「まれ」小日向オリジナルのケーキ(名前失念)を流出させた犯人と疑われた希(土屋太鳳演)は、落ち込む。

という、回でした。
サテ、ファンタジスタサブローさん。
貴殿は、富士宮で商売はうまく行っているのかナ?

困った時は、いつでも尋ねて来なさい。
私の甥が、コンビニエンスストーアのレジ係を、募集していますので。
Posted by 百足衆 at 2015年05月20日 18:53
にしても「花燃ゆ」
10%切ったみたいで、もうジャンプ同様打ち切りしかないっしょ。

長い間ご視聴ありがとうございました。次回
「さらば文、永遠に」
大河先生の作品が見れるのは、N●Kだけ!
Posted by 燈台森 at 2015年05月20日 19:06
下の画像は、東海道本線というよりも、飯田線のようですね。
Posted by 菅原 at 2015年05月20日 19:40
この80系は、300番台ではないので、飯田線だとすれば、昭和53年以前の急行「天竜」の可能性が高い。クモハ52などの戦前型2扉車廃止後入ってきたのは、主に静岡地区から転属した(一部長野地区から)300番台だったので。
また、中央西線だと、切妻先頭車ばかりだった。
Posted by デハ at 2015年05月20日 20:53
いわゆるこの顔になる前の最も最初の先頭車(0番台)も飯田線でも使わなかったんですよね。
荷電(当時でいえば103系顔?)顔のクハ85は
元々グリーン車(いわゆる2等)のサロ85格下げでした。
双璧たる70系は横須賀線もつかの間阪和快速や新潟の雑運用(クハが足りないので片方51系のクハ68でごまかした編成もあった)末期は福塩線でした。
なお70系の初期のグループはいわゆる新快速の前身の京阪神急行にも使われていたので、スカ色前に茶色(ぶどう色)1色にしていた車両もあったようです。
Posted by 無名人 at 2015年05月21日 11:04
松本地区の70系は全編成片側がクハ68で、便所の位置を統一するためクハ76(本来の流線型70系先頭車)は全て偶数向き、クハ68は全車奇数向きに揃え、結果クハ76は本来奇数偶数で便所の位置が逆なのに逆位置に便所がある車両が現れ、51系本来のクハ68は全車偶数向きなのに松本地区だけ奇数向きにされてしまいました。因みに一本だけ両端がクハ68の編成があり偶数向きは古い横須賀線クハ47を3扉化したもので便所付きのため偶数でした。クハ68は2扉車から改造編入した車が奇数向き
Posted by デハ at 2015年05月21日 18:58
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