2016年01月22日

ポールポジション

1982年にナムコが開発したアーケードゲームです。

POLE_position.jpg

レーシングゲームは、車の速さを競う競技です。実際にサーキットで競争できるのはプロのレーシングドライバーに限られますが、ゲームなら素人でも参戦できるのです。

jan614.jpg

コンピューターゲーム以前の時代に「ゲームセンター」に置かれていたレーシングゲームは至ってシンプルなゲームでした。
自車を真上から見たポジションで、道の曲がりくねりに合わせてハンドルを動かす程度のものでした。
80年代に入り、コンピューターゲーム(当時は「テレビゲーム」と呼ばれていました)になってからも、基本的にテーブルを真上から見下ろして操作する、という点では変わりがありませんでした。

ナムコが1982年に発表した「ポールポジション」は、画期的なレーシングゲームでした。
まず、実際にコクピットに座ったかのような低い視点から光景を写しており、実際に車で走行する時のように道路や他車が見えてくること。そして、ハンドルだけでなくギア、アクセル、ブレーキを駆使して走行できること。さらにこういったゲームを実現するための専用筐体を開発した点にあります。

富士スピードウェイのコースレイアウトで、最初に予選が始まります。これはコースを一周した時のラップを測定するもので、規定タイムより遅かった場合は予選落ちになります。コースアウトして看板に激突したり、水溜りにタイヤを取られたりするとタイムロスになります。
本戦に進むと、他車と競争して4周のタイムを競うのですが、他車とクラッシュするとタイムロスになります。またスピードを上げすぎるとコーナーをクリアできないため、大きなカーブの手前では十分なブレーキングとアクセル操作により上手くコースアウトせずに走行することを競うのです。

さらに上達すると、公道ではあまり使うことの無いドリフト走行等のテクニックが使えるので、二種運転免許の有無を問わず、多くのドライバーが技を開発しました。いわば「自動車版フライトシミュレーター」のような存在でもあったわけです。

jan626.jpg

現在の3D CGを多用したリアルな画面のレーシングゲームに比較すると至ってシンプルな背景ながら、1982年当時はまさしく画期的なリアリティを持つ3Dレーシングゲームの魁的存在でした。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 05:00| 東京 ☀| Comment(23) | TrackBack(0) | 趣味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
一度も本戦で一周出来ませんでした。
Posted by デハ at 2016年01月22日 08:12
酷寒となつた、甲府市内。
今朝の「朝が来た」いよいよ、ディーン(五代演)が、死ぬ。

という、回でした。
サテデハサン。人生、周回遅れでも、楽しめる時間は同じ。スローライフ、鈍行の旅が、一番ですゾ。
Posted by 百足衆 at 2016年01月22日 08:29
いつもクラッシュしてばかり。
コーナー曲がり切れませんでした。
Posted by ラー at 2016年01月22日 09:11
ぽおーる ポジ!ション!
立ちションべん。慰安婦像!

これは、
難しい、ゲームでした。
難しい、ゲームだったのです。

何故なら、見物人が多く、気が散ったからなのです。
特に、菅原君が見物していると、最悪でした。
この恨みは、まだ忘れない。シャー!
Posted by 藤原 at 2016年01月22日 10:33
当時としてはリアルなレーシングゲームだった。
他車の鬱陶しさは異常だった。
Posted by 燈台森 at 2016年01月22日 12:11
ゲームオーバーになるまでに何枚看板を倒せるか競った
Posted by デハ at 2016年01月22日 12:56
寒冷の儘、間もなく日没を迎える、甲府市内の夕まぐれ。
サテデハサン。この、レーシングゲームでは、看板を倒す度に、特典が貰える仕組みなのですナ。
それは面白い、今度是非、挑戦してみたいと思ひます。
Posted by 百足衆 at 2016年01月22日 16:23
百足衆さん

武田家の看板を倒すと、富士スピードウエイがgetできました。
Posted by 菅原 at 2016年01月22日 20:18
菅原君
だらくそだらずの、かわずやま!
リトビネン子!

富士スピードウエイは、北条氏政の領地だ!
間違ったお詫びに、信玄餅一年分を、すぐ送れ!
Posted by 藤原 at 2016年01月22日 20:55
藤原さん
今川の領土では?
安倍川もち1年分
Posted by デハ at 2016年01月22日 22:12
小田原北條ならういろう1年分アル。
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2016年01月22日 23:52
これはのちにポールポジションUになって富士以外にこうなります
テストコース(一番簡単な楕円コースでよほどひどい走行や
クラッシュとかしない限り予選は突破可能。ポールツーウイン2回経験)
鈴鹿(富士以上に難しい。S字〜ダンロップにかけてとヘアピンが激ムズ)
シーサイド(直角のようなコーナーがあり他車が抜けないしいきなり水たまりとかが出てきたりも)
Posted by マットマニア at 2016年01月23日 04:08
マットマニアさん

そうそう、シーサイドコースとか殆ど通行不能でした。鈴鹿の難易度が富士以上だと知ったのもIIのおかげです。
Posted by シモン at 2016年01月23日 07:40
菅原さん藤原さんデハさん総帥さん

富士スピードウェイのある静岡県駿東郡小山町付近は、信玄〜勝頼の時代は北条氏康の領地だったそうなので、藤原さんと総帥さんが正解と思われます。ういろう1年分。
Posted by シモン at 2016年01月23日 07:45
酷寒の八甲田山となつた、甲府市内の朝。
今朝の「朝が来た」朝(パル演)が、ディーン(五代演)をしのでんいると、ひょっこり初(宮崎あおい演)が義母と子供を連れてやってくる。

という、回でした。
サテ、駿東郡というと、信玄公が北条氏康と争った土地ですナ。沼津の興国寺城も、今川氏から北条が奪い、それを我が信玄公が甲相同盟で手中に収め、天目山での滅亡の頃まで領有していました。
Posted by 百足衆 at 2016年01月23日 08:21
思い出しました。
藤原さんの走りは、コースアウトを恐れてローギアのままで、いつも予選落ちでしたね。
Posted by 菅原 at 2016年01月23日 10:23
菅原君 この、
だらくそ!だらくそ!ぱげ!ぱげ!かわずやまの、大雪注意報!

安全運転第一だ!
Posted by 藤原 at 2016年01月23日 12:58
あぁそういうの居たなwww
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2016年01月23日 14:08
F1の世界で最もポールポジションを獲得したM.シューマッハ、スキー事故のあとどうなったんでしょうね。
Posted by 無名X at 2016年01月23日 17:40
シューマッハは、昨年前半頃に「徐々に回復している」と聞いたきり、音沙汰ないですね。

まだ闘病中なんだと思います。
Posted by ラー at 2016年01月23日 18:18
マー
Posted by 最近の若い男の人は車に興味がないらしいから、レーシングゲームも流行らないだろうなぁ。 at 2016年01月23日 21:12
F1の日本開催が定着するまでサーキットの知名度は富士>鈴鹿でした。ただ、1970年代に富士で開催されたF1は雨に弱く観客の死亡事故もあり2年で中止されています。

その後、トヨタが富士の運営権を取得し2007年に鈴鹿から日本GPの開催権を奪った時期がありましたが、アクセスが非常に悪く観客からクレームが殺到、裁判沙汰にまでなり、さらに翌年のリーマンショックでトヨタがF1から撤退したため、開催地が鈴鹿に戻りました。
Posted by HB at 2016年01月23日 23:06
HBさん

かつては、鈴鹿といえばオートバイの耐久レースが有名だったので車は富士、オートバイは鈴鹿という住み分けが80年代前半まであったような記憶があります。

富士に行ったけど場所が悪くて観戦出来なかったファンが訴訟を起こした事件がありましたね。2000年代のF1だったと記憶しています。
Posted by シモン at 2016年01月24日 06:37
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