
今日は建国記念日です。日本建国の様子を記した記紀の日付をどこまで信用するか、また西暦に当てはめて2月11日という日付が本当に日本建国の日に相応しいかどうかはともかく、日本国という国体がどこかの時点で成立したことは事実なので、一年365日のうちとりあえず今日に決めておく・・・ということは間違っていないと思います。

記紀よりも信憑性が高いと思われている歴史語り。それは、NHKの歴史番組です。
1960年のラジオ番組「歴史よもやま話」から現在の「歴史秘話ヒストリア」まで、日本の「歴史マニア」の多くは、NHKの歴史番組からその知識や面白さを学んだといって間違いないでしょう。
本書は、NHKの歴史番組を検証することで、そんな歴史番組が視聴者に「刷り込んできた」知識の多くの間違いを指摘するとともに、シリーズを通じてみた場合の「同じ歴史的事件に対する解釈の矛盾」の指摘、さらに番組のゲストが誤った知識を拡散してしまう例について、いくつもの具体例を挙げて説明しています。
NHKの歴史番組の問題は、過去の番組を見た人が「その内容を正しい歴史的事実と誤認したままになってしまう」ことです。放送当時に「真実」として語られたことが、後の研究で覆っても、NHKがお詫びの訂正放送をするわけではなく、その時々で好き勝手に番組を(過去の番組との関連無く)制作して放送するので、視聴者にとっては過去の誤りを補正することが出来ない、ということです。
たとえば、「長篠の戦いでの鉄砲三段撃ち」は、NHKの歴史番組の中でも再現映像によって「真実」と放送されてきましたが、近年(80年代以降)の研究ではそのような整然とした発砲が可能だったか、仮に可能だったとしても実戦に適合できたか、という点で疑問視されています。本来NHKはそういった新説を丁寧に説明し、過去の放送内容の誤りを補正する必要があるのでしょう。

もっとも、これはNHKの番組に限らず、歴史読本のような書籍文化にも同様のことは当てはまります。
問題は、NHKという権威がTV放送という形で視聴者に誤解をばらまいた上に、その尻拭いを怠っている点にある、と言えるでしょう。
(本文と写真は関係ありません)
去年の大河ドラマのお陰で、洗脳が解けました。
今朝の「朝が来た」千代は、同級生に教えられ、朝の偉大さを思い知る。
という、回でした。
サテシモンさん。歴史番組に、間違いはあったかも知れませんが、大方は、正しかったのではあるまいか。
長篠の三段撃ちも、出来ないことでは、ない。
歴史にIFがあれば、という人は多いが、それを検証してみるこれら歴史番組の意義を、あながち否定してしまうのは、どうであろうかナ。
老師の発言には凄い負け惜しみ(失礼)というか、ルサンチマンみたいなの感じるねwww
「仮に織田・徳川に3倍の数が有っても尋常な戦法で我が武田が負ける理由は無い。きっと常識はずれの戦法を使ったのだ!」
てな感じやね。ま、実際には数で押し込まれたってのが敗因みたいやけど。
サテ総帥さん。見誤っては、いけませんゾ。
私は過去にも一度も、負け惜しみは、云った事がありません。
逆に、ファンタジー某が、負け惜しみを云うのを聞いたことはあります。
信長の作戦も、我が精強な武田軍に対抗する為、野戦築城したり、三段撃ちを練習したりと、苦心をしているということをNHKの歴史番組は伝えたかったのです。これが無ければ、平地での合戦であれば、武田軍が勝利したと、暗に示唆しているのですゾ。
余談やけど、あの長篠だか設楽ヶ原だか行った事在るんよ。狭かったよ、回りは険しくてね。
で、小説やなくて何かの評論分読んだんやけど、あの合戦は中盤までは被害と言う点では“互角”やったらしい。負けが確定してからの撤退戦での被害が大部分なのです。尤も“被害”が互角なら徐々に磨り減って武田は負ける分けです。で、山縣さんが迂回突撃する為に部隊を再編成しようと駆け回ってた時に“流れ弾”が当たって…それから崩壊したって事です。
柵の内っ側に100人でも雪崩れ込んだら鉄砲は撃てんし、混乱起こしてる最中に外からも柵を打ち倒されるやろうし、負けるにしても(数が数だけに武田の“完全”勝利は無理だと思うんやワ。精々痛み分けやね。仮に山縣部隊が柵の内側に侵入しても其処は精強三河軍団やからかね)あんな再起不能は無いと思うんやね。
お浚いすればあの戦場…て時点で詰みだったと思う。もっと広闊な戦場なら迂回突撃はとっととやってたやろうし、難しい場所だから対応が遅れたんやろしね。其れでも其に気付いたのは名将山縣なんやろけどね。
サテ総帥さん。良い良い。
私は、揚げ足を取られたり、負け惜しみを云われても、一向気にしませんゾ。
然るに、自らの足で、戦場を検証された、総帥さんの意気たるや、佳し。やはり、武田勢と互角なるも、三河衆の加勢で、信長が辛くも勝てた戦い、という実相が見えたのですナ。
もっと広い戦場で、騎馬軍団の突進があれば、楽勝だった。そう考えると、惜しい戦いであった。
戦国時代が多かった・・・
「初代県令素彦と文(かみさんは関係ないと思うんやけど…)」
てデカデカと看板掲げて県庁に「鼻燃ゆ館」てこさえといて、沼田市では
「真田氏のもう一つの舞台」
てやっとんねやもん。アレこそ
「表裏比興の県」
よwww
というか、前橋って車でないと行きにくいんですよ。。
視聴率は19%ぐらいだそうですね。
歴史番組は、大河と連動せずにあえてマイナーな時代を取り上げてほしいです。
・・・と書いて深読みすると、「タイムスクープハンター」は実はそういう路線を狙ったのかもしれません。
レキシントン。青い珊瑚海!
デハ様、デハ様、国旗降納は、お済みでしょうか?老婆心までに。
「その時、歴史が動いた」で扱う歴史上の事件は、戦争ばかりで、科学史は扱ってくれないですね。ですね。
昨日の「重力波観測成功」なんて、確実に歴史が動いた出来事なんですが。
地味なので、仕方がありません。
地味だから、仕方がないのです。
ただ、「正岡子規が、柿食えばの句を詠んだ瞬間」というのはやっていた記憶があります。
私の詩も、そのうちにNHKの歴史番組で、取り上げられる日が来ることでしょう。
ほげらっほげらっ。
グンマーは、
表裏比興の者=真田昌幸
と同じ戦略な訳ですね。
今朝の「朝が来た」朝(パル演)は、いよいよ女子大経営を本格化する。
という、回でした。
サテ総帥さん。
群馬には、是と云った目立った人材が居ない為に、あっちにふらふらこっちにフラフラと、成る。
どこぞの、富士山南麓植民地と、同じ。
偉人を輩出は、しないが、住んだことがあるというだけで、大河ドラマで「地元」を名乗るのは、辞めて欲しいものですナ。
日本一の富士山の麓にお住まいなのに、心が狭いですナ。
だらくそ!だらくそ!ぱげ!ぱげ!かわずやまの、ケソン工業団地!
なんだその上から目線の物言いは!富士山の山頂から見下ろすな!噴火口に、落ちろ!
高齢者のお二人に、
謝罪せよ!はっ
謝罪せよ!はっ
雅子妃殿下の愛娘、愛子様が、ばみゅーんと飛んできて、シャッ!シャッ!と、悪を斬る。
愛子様、愛子様、ラマサバクダニ。
デハ様、私という、藤原氏は、皇族親政による、民主的な屑の一掃を、
願っています。
願っています。
民主主義は、一番馬鹿に水準が定まってしまうのが、間違いなのです、なのです。
菅原君に合わせては、なりません。
中国の発展も、いをちき人民元の為替操作のおかげだけなのです。
ばみゅーん シャッ!シャッ!
ハテファンタジーさん。山梨には、揺るぎもない信玄公をはじめ、多くの偉人が居るが、静岡には居たかナ?
青島模型を始めた、青島次郎氏。
田宮模型を始めた、田宮二郎氏。
長谷川製作所を始めた、長谷川勝呂氏。
フジミ模型と今井科学を始めた、今井栄一氏。
この四人しか、居ない。
嘘だと思つたら、デハサンに、聞くが良い。
「西の文珍、東の円丈」
て独断してるお師匠さんやけど、此の世界の人には珍しく名古屋の人やねんな。で、
司会者「三英傑では誰が好きです?」
師匠「三人とも嫌いです。だって三人とも故郷を捨てたからね」
てのがある。ノブさんは兎も角、ヤスは東京か静岡の人になってしもうたし、サル殿は大阪の人になってしまったからね。で、あまり強い匂いのするものは滋賀県、東京、大阪にあるからね。愛知県の人ってどっか冷めてるんちゃうか?
大膳太夫様はあの時代でも不便で土地も痩せてた甲府を棄てなかったからね(余所者としと冷たく言わせてもらえば、天下統一とかって言う概念を持ってはいなかったと思うんやけど)。その辺の差やないかな?仮説とも思い込みともどっちに取って貰っても構わんけど。
秀吉公と家康公の人気はイマイチですかね
諸説ありますが、源頼朝公も名古屋出身だと言われてますが、地味すぎて話題に上りませんね
近年では、吉宗公と向こうを張った尾張宗春公の人気が高まってますかね
自分は名古屋発展の基礎を築いた尾張家初代義直公が好きですね
義直公は尊皇の志が高く、朝廷と幕府との間で事が起これば先陣を切って江戸に攻め込むと憚らなかったそうです
そんな義直公を大伯父と呼んでぞっこん惚れ込んだのが水戸国学の祖である水戸光圀公です
水戸国学が明治維新の原動力を担ったことを思えば、義直公の存在は明治維新へと流れる歴史の大河の最初の一滴とも言えますね
「知らぬ!余は何も知らぬゾ!」
の宗春さんにスポットが当たってきたのは良いと思う。
「金を持ってる者は金を使う」
という当たり前の政策をやろうとしただけですからね。年貢と同様に商業にも妥当な税金を徴収する…という発想が当時には出来なかった分けやね。