
1960〜70年代は、クイズ番組が人気番組でした。ゴンドラに乗って上下動しながらハワイを目指す「アップダウンクイズ」、チャンスカードで持ち点をすべて失ってしまう「クイズグランプリ」、一問も正解しなくても持ち点の少ない相手とめぐり合うと賞金5,000円は獲得できる「ベルトクイズQ&Q」などです。
これらは、いずれも出場者がクイズに答えて正解を重ねていくことにより覇を競う点が共通しています。

1976年、土曜日の夜7:30という「8時だよ全員集合」の前番組という時間帯に、画期的なクイズ番組が誕生しました。「クイズダービー」です。
出場者は、直接自分がクイズの問題に答えるのではなく、「解答者」と呼ばれる5人の出演者に持ち点を賭け、その解答者が正解すればその予想倍率に従って持ち点を増やしていく、という、いわば「誰が正解するかを予想するクイズ番組」だったのです。
では解答者を簡単にご紹介しましょう。
1枠:篠沢秀夫 学習院大学文学部教授のフランス文学者。支離滅裂な解答をし、正答率が3割程度と低いため、倍率は高い。最後の問題を「篠沢教授に全部」というのが、典型的な負けパターンであった。
2枠:山崎浩子 新体操の選手。美人だが、篠沢教授同様正答率は極めて低く、2割7分前後。そのため、倍率はかなり高め。
3枠:はらたいら 漫画家。7割以上という驚異的な正答率を誇り、出演前に正解を教えられていたのではないかと考える人もいた。最後の問題を「はらたいらさんに全部」というのが、王道の勝ちパターンであった。
4枠:竹下景子 女優。「三択の女王」と呼ばれ、三者択一の問題でははらたいらを上回る驚異的な正答率を誇る。
5枠:ゲスト枠。概ね正答率は低く、倍率が高いため篠沢教授同様最後の問題で全部の持ち点を賭けられることが多い。
ほぼこのような形式で、間接的なクイズ番組が進行していました。

現代の日本人の観点で見れば、「競馬や競輪といった賭博行為を煽り立てる」という理由で問題になっていたかもしれません。そういうことを気にせず放送していた頃のテレビ番組は、現在よりずっと人気があったことは確かなようです。
(本文と写真は関係ありません)
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、更に今や医院の経営者でもありますが。彼が出た時ははらたいらと竹下景子にしか入れずにキッチリ10万点取りましたが、アレはやっぱり“先代”の無茶ぶりを反面教師と捉えた上での行動なのか?それともああいう性格だから、先代に
「振り回されなかった…」
と云うべきなのか?
よく言われることですが、長男よりも次男の方がしっかりしている場合が多いようです。
けふの「とと姉ちゃん」とと(高畑演)は、鞠子の制服を発見する。真犯人は、下宿先の弁当屋の娘だった。
という、回でした。
サテクイズダービー。
篠沢教授が、爺。はらたいらさんが、総帥さん、竹下景子が、デハさん、といったところでしょうナ。
藤原さんが教授ですよ。
しかし巨泉があんな左翼だとは思わなかった。
総帥・菅原さん
私は長男なので、常に長男の味方なのです。キチガイでも家重を将軍にします。竹千代(家光)のほうが忠長よりいいのです。島津義弘の武勇も義久公の徳には及ばない。俳優だった石原裕次郎より兄の新太郎の方が細身でイケメンだった。正雲よりまさおの方がまだまし。
私海幸山幸みたいに弟が勝つ話が大嫌いです。
恒に兄が勝たないと気に入りません。
兄はえらいんです。親の者はすべて兄のものなんです。
武田も長男の義信を殺して4男で妾腹の勝頼に継がせたから滅んだ。
義経も兄に逆らたのだから滅びて当然なのです。
しかし、鳩山邦夫さんにはぜひ兄を滅ぼしてほしい。
ゆっきー はとぽっぽ!
私は、長男です。長男なのです。
デハ様デハ様ご安心ください。
次男坊の菅原君を、あと少しで、滅ぼして見せます。
ずめらっ ずめらっ。
ですかwww
でもね、鉢山兄弟て実は仲が良いのよ。よう手を出さんやろね。かといって言って争ったら醜いし。大体あの弟も自民が、麻生さんが一番厳しい時に裏切ったからね。石破と同じような奴やで。“自称龍馬”は大体ロクデナシや。
誤:鉢山兄弟→正:鳩山兄弟
ね。巨泉さんて確か「こんなものいらない」ではハッキリと
「僕は武装中立論者」
て言ってたのになぁ…
ちなみにはらたいらさんは既に故人、篠沢教授も巨泉も闘病中ですね。
パネルクイズアタック25は、当初「クイズダービー」同様、この回答者が優勝する、と思った後ろに観客が座り、見事優勝した回答者の後ろに座っていた観客は東洋リノリウムの玄関カーペットがもらえました。
「今日もスタジオには多数のお客様がいらしております。これから皆様には
ご自分が応援したい解答者の後ろへお移り頂きます。もし応援された解答者が
優勝した場合には、東リのカーペットマットをお持ち帰りいただきます。それでは
移動開始!」
♪にじゅうご〜 にじゅうご〜 パネルクイズにじゅうご〜・…パネルパヤ〜 パネルパヤ〜
「この番組は、喜びを敷きつめる 東洋リノリウムの提供でお送りいたします。」
あっそれ見た覚えがありますぞ
子供の癖に、はらさんと竹下さんにしか賭けないって堅実過ぎ!と思った記憶があります。賢ちゃんというか堅ちゃんでしたな
おそば屋ケンちゃんの時に、兄貴の次男坊の役で出演してました。けど人生は波乱万丈、でも今は勝ち組の兄貴の方がずっと面白そう♪
そり最も顕著な例が、羽柴秀長です。
太閤とか呼ばれている秀吉は、本当は醜くて卑しいただのサルなのです。しかし前人未踏の全国統一をなしとげたのは、頭脳明晰で人徳のある弟の秀長がおぜん立てし、フォローしたからなのです。
そのため、彼の死後豊臣政権は急坂を転げ落ちるように崩壊しました。
また、信玄公の弟で武田の副将だった典厩信繁公もそうですし、九州を席巻し朝鮮人を倒し、神君や太閤にも一目置かれた島津義弘も、生れてきて一番良かったことは義久公の弟に生まれたことであると述べ、決して義久公を粗末にしませんでした。
母親や伯父や家来、あるいは権力者にそそのかされて、兄になり替わろうとするものは青いと言わざるを得ません。
全国の弟たちが、秀長公、典厩、義弘公のようになればよいのですが。
しかし、岩下志麻が演じる母親の次男に生まれた奴らは、そうではないようなのです。
この番組には結構思い入れがあります。放送されていた当時(まだ10代だったのですが)、篠沢教授と外見が似ていると言われておりました(笑)。今にして思えば、そのままフランス語学科か仏文科に行けば良かったかも(爆)。
それと、大橋巨泉さんの日本での家が我が大網白里にあるのです。この人もいろいろありましたが、できるだけ長生きしていただきたいと思っております。
そんでもって、私は次男坊で3人兄弟の末っ子ですが、兄弟仲はとても良いです。まあ、大した家柄ではないですけど(笑)。
難しい問題が出題される時に、司会の巨泉が
「これは僕もわからなかった」
とコメントして進行するのが、何か子供心にツボでした。
ヨットさんが面白い事言うたね。そう“カンガルー募金”は解らんかった。同じTBSの「野生の王国」も“野生動物何とか機構”だとか云う団体の提供だったやん?動物好きの私はその団体に就職したくてなあ…でも本当にそんな団体は在ったのだろうか?昭和期の胡散臭さやねwwwしかし何だね昭和40〜50年代はTBSの番組制作能力は高かったんだねえwwwクイズダービー、頭の体操、全員集合、Gメン、キーハンター、アイフル大作戦、日本昔ばなし、水戸黄門、大岡越前、野生の王国、ぴったしカンカン、ザ・ベストテン、アップダウンクイズ、クイズ・Mr.ロンリー(知らん?馬鹿者!此は私が出たから良い番組に決まっているのだ!)、ケンちゃんシリーズ、時間ですよ、私は貝になりたい…スペシャルドラマに“関ヶ原”…教養あり、下品でないバラエティーあり、硬派あり、最強の馬鹿番組もあり、子供向けあり、ファミリーあり、ドラマあり、音楽あり…無敵ではないか!何であんなおかしくなったのかね?
此は私の思い込みだが、デハさんじゃないが南北朝鮮に食い込まれたからよ。嘗て半島に差別と取られる表現して民団だか総連に突っ込まれて、時間掛けて説得すればエエのにメンド臭がって採用に在日枠作った…てのは有名な話やね?極端におかしくなったのは「オウム関連」からやね?オウムてのは北朝鮮と繋がってるからね。あの時スターになったのはハゲ有田と江川紹子やん?あの二人はオウムを徹底的に叩いたけど、要は北朝鮮との繋がりから目を背けさせたかったのよ。其を徹底的に成功させた有田はご褒美で参議院議員に(総連の金銭的援助が大!)なれて、なんか小さなしくじりをしたらしい江川は“あんなもの”…て話も有るワナwww
「弟は、妹は、こうあるべきや。兄を立てろ」
てのは、私はよう言えんな。立派な兄なら普通にそうなるやろ?これ拡大解釈したら
「部下は上司に全て従え。上の者は何しても良い」
とも取れるで?けど本音言うと
「上司やからしゃあないから立ててやってんだよ」
でしてね、今の私の気持ちね。合わんワ…まあ別にデハさんを貶めてるんやなくて、元々人間不信気味で権威・権力が嫌いってのも有るんやけど、時々此処に書くけど、子供の時に妹を苛めたりしてなぁ…あまり良い兄貴やなかったてのを反省してるんでなあ…でも反省してるだけやねん。で、アイツあんまり気にしてないみたいなのが余計に
「悪いなぁ…」
と思ってなあ…で、アイツがせめて近くにいたらなんかしてやれたかもしれんが、生憎転勤族やしなぁ…更に妹の息子が10代のクセに
「結婚するかも…」
って情報がはいってなぁ、お祝儀弾んだらある程度
「挽回出来るかなあ…!
て思ってなあ…全てに自信みたいなものなくしてなぁ……いや、別に死なんけどな。
サテ総帥さん。案ずるでない。妹さんは案外気にしていない。罪悪感は総帥さんの脳が産んだ虚構ですゾ。
普通の日本人なら被害者意識はそこまで根に持つことはない。
そのメンタリテーが某国と正反対ですナ。
大学の教養部に入学時、フランス語を選択しようとしたら友人に「ドイツ語は週3コマだけどフランス語は4コマあるよ」と言われ、ぐうたらな自分はドイツ語を選択してしまいました。
学生時代に履修していないと、社会人になってから教育テレビのフランス語講座をたまに見る程度ではどうしても身につきませんでした。実生活に実害があるわけではありませんが、フランス語圏に海外旅行する時とかちょっと残念です。
けふの「とと姉ちゃん」とと(高畑演)は、制服を盗んだ富江をかばう。富江父(ピエール演)は、挙げた拳を下ろし、富江を許す。だが卵焼きで失敗してしまう。
という、回でした。
サテGATTOさん無名Xさん。フランス語を専攻されずとも、今の確固とした自己を築いておられる二人には、決して悔恨などではなく佳き思い出の調味料であろう。
佳い佳い。
1人はまあ当たり前というか「象印クイズ ヒントでピト」でも
男性軍キャプテンとしてその超驚異的な解答率で女性軍を苦しめたカメラマンの浅井慎平さん。
もう1人は当時社会党党首の土井たか子さん。
最後の問題で既に3万点以上の持ち点のチームで普通なら4倍のはらたいらさんに
2万点賭ければ10万行くのにあえて18倍の土井たか子さんに全部!賭けて正解し、
何と57万点!!しかしこれは実は最高得点では第2位で、実は81万点!!という記録があるから驚き。
土井たか子さんは同じ大橋巨泉つながりで「世界まるごとHowマッチ!」では
ホールインワン賞の世界1周旅行2連発!までやってます。しかも初登場の1問目いきなり。
フランス語は英語と並ぶ国際語で、フランスのほか、カナダ、アルジェリア、ガーナなどでも使われていて、話者が多い言語なのに我が国では軽視されている。
英語、中国語はその話者が多く、使われている文字も日本語で使用されている文字だから仕方ないが、全世界でわずか5000万人しか使っていない汚らわしい朝鮮文字が我が国に氾濫するのは我慢できない。
フランス語やポルトガル語を使う人間の方が多いのだから、今すぐ朝鮮文字表記は外し、フランス語、ポルトガル語に変えるべきだと思う。
ケンちゃんはTBSの看板番組でしたので、岡浩也さんもゲスト出演されたんでしょうね。しかしそこまで堅実な性格は、あの時代を象徴していると言えるかもしれません。
高度経済成長期真っ只中である意味行け行けどんどんな初代ケンちゃんと異なり、オイルショック以降の日本の中で堅実に生き残る術を知っていた子役、といったところでしょうか。
最も堅実なところは、さっさと芸能界におさらばして自分のテリトリーで生きていることでしょうね。
そのとおりです。
私も何回か記事に書いていますが、男二人兄弟で弟の方がしっかりしていないケースは私の周りには皆無です。
いつも「とと姉ちゃん」のレビューをありがとうございます。
視聴しておりませんが、手に取るようにわかります。
篠沢教授は、時々はらさんも不正解の問題に唯一正解したりする番狂わせを演じておられましたね。最後の神頼みにされたのも、そんな点がギャンブルだったからでしょう。
とても良い詩ですね。
この頃に活躍された有名人の現在を知ると、時間の流れには抗えないとは言え寂しく思いますね。
桂歌丸師匠の「笑点」引退も同じです。
お詳しいですね。東リのカーペットはよく覚えています。安物でしたね・・・
よくそのような口上を覚えておいでですね。
児玉清さん、名司会者でした。
2代目が堅ちゃんなら、初代は険ちゃんでしたね。
戦国武将や天皇家、とかくやんごとなき方々の「兄弟」という概念は、われわれ庶民とは1万kmほどもかけ離れていそうです。
篠沢教授に似てらっしゃるとは、温和なお顔で喜ばしいことですね。
フランス文学も良いですが、イタリアにお詳しい方ならば塩野七生さんの小説をより一層深く読めるのが羨ましいところです。
カンガルー募金・・・いったいアレは何だったんでしょうね。
TBS社員の互助会か何かかもしれません。
最近は、Google翻訳はじめ各国語をそれなりに機械翻訳するサイトが多いので、中途半端に語学を学ぶよりは機械翻訳に頼ってしまうことが多いです。
詳しいですね。浅井慎平さん、象印クイズヒントでピントに出演されていました。
土井つながりではありませんが、土居まさるさんが司会者でしたね。こちらも故人となられています。
亀レスですがデハさんの
「本当に優秀な弟は…」
ての理解は出来るんやワ。堺屋太一が
「戦も強く聡明で私心もなく調整能力もある秀長の一番の適役は“留守番”である」
て評してるんよね。本人は本当は嫌がったかも知れんが、能力もそうだが誠実な“弟”だから居らん間に乗っ取られる心配は無いっちゅう理由やね。天才の秀吉は現場に集中出来、閃き又は思い付きからの無理な後方援助も言い付け、更に応える能力のある秀長は最高の弟なんやろね。信玄さんは天才やなくて大秀才(秀吉に劣ってたて意味じゃなくてタイプの問題です)やから典厩さんを現場にも引き連れて頼れたんやろね。
此は“両方”がマトモやから最良の共同作業が出来たんやね。片方じゃダメだ。兄貴がダメでも血縁ならある程度なら我慢もしてくれようが、他人の上司部下なら我慢出来んよ。
いや、転勤してから現場がおもろなくてな…所詮他人を
「ようこんな言い方出来るもんやな…」
て感じでな…妹に対する昔の扱いなんかも思い出してな…一時のデハさんみたいに暗くなってしもたな…
でも、こんなことじゃ俺は死なねえよ(「裏か表か」て映画の中村主水のセリフやけどね)。
誰しも仕事が面白くなかったり落ち込んだり暗くなったり癇癪をおこしたりするのが普通なので、ガス抜きでよければお気軽にそういう話も投稿されてください。
秀長のお陰で扇の要が辛うじて繋がっていたことは事実ですし、秀長の早世が豊臣政権の早期凋落を招いた事も同意ですが、やはりシステムとして中世から近世に移行する段階の過渡期に、まだ誰もやったことのない国家統一をやろうとしてやはり経験がないので失敗した、というように俯瞰しています。
織田政権も豊臣政権も、試行錯誤の中の「錯誤」だった時代で、徳川政権が近世日本国家を確立できたのは消去法の論理だったのかもしれません。