2016年12月11日

大森貝塚

1877年、アメリカの動物学者エドワード・モースによって発見されました。

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京浜東北線で品川から横浜方面行きで2駅目にある大森は良い街です。某大手電機メーカのビルが多いせいか、リーゾナブルな価格で割と美味しいレストランや居酒屋が多くあります。
ただし、京浜東北線が人身事故などで止まってしまうと忽ち通勤困難になってしまう弱点もあります。

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「大森貝塚」は、そんな東京海浜の町・大森にある縄文時代末期の貝塚です。
明治初年、横浜から新橋に向かう列車の中で、大森駅付近を通過中の東京大学のお雇い外国人教授だったエドワード・シルヴェスター・モースが発見し、日本初の発掘調査が行われたのです。

貝塚とは、皆さんご承知のように、古代人のゴミ捨て場のうち、当時の人々が捨てた貝殻が堆積したものです。貝殻だけでなく、獣や魚の骨もまとめて捨てられていますので、当時そこに住んでいた人々の食生活が推測できるのです。貝塚の存在自体は、「貝塚」という姓が存在することからわかるように、江戸時代以前から広く知られていました。特に千葉県に多く分布しており、日本全体でおよそ2,500箇所に及ぶ貝塚の存在が知られています。

ではそんな貝塚の中でも、大森貝塚が有名になった理由は何だったのでしょうか。
モースによって初めて貝塚研究の端緒が開かれたから、というのは教科書通りの答えですが、それだけではありません。
実は大森貝塚には、貝殻や獣、魚の骨に混じって、人骨が散乱していたのです。

モースが大森貝塚で発見した人骨はすべて断片的な散乱人骨でしたが、その中の一片の脛骨の破片の形に注目しました。それは横断面の形が現代人のように三角形ではなく、前後方向に長く幅がやや狭いという特徴をもっていました。
これは「扁平脛骨」とよばれる特徴で、縄文人の骨格の特徴のひとつとして定着しているものです。
モースはまた、貝塚の中での人骨の出土状態がまったく不規則であり、シカやイノシシの骨と一緒に、しかも割れた状態で見つかること、中には傷のついたものもあることに着目し、この貝塚の主には食人の風習があったのではないかと考えたのです。

しかし、日本人はもとより先住民族とされるアイヌ人にも食人の風習はありません。ゆえに大森貝塚を残した種族は、日本人でもアイヌでもない「未知の種族」であった可能性がある、と結論しているのです。
これは今日までつながる「日本人の起源」に関する議論へと展開したのでした。

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日本の童話に残る「鬼」とは、当時実際に日本にいた食人風習のある別の種族のことだったのかもしれません。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 05:00| 東京 ☀| Comment(21) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私が子供の頃に読んだ本では、
「モースは電車の車窓から大森貝塚を発見した」
「発掘にたずさわった学生はモースから貝塚について教わり”本当ですか!”と驚きの声をあげた」
という事になっていたと思います。
Posted by ヨット at 2016年12月11日 07:47
場所はどっちだの所
Posted by 片山 at 2016年12月11日 09:35
こんばんは。

千葉県にも、うちから近いところだけでも加曽利貝塚(千葉市若葉区)や八木原貝塚(四街道市)などありますよ。どちらも現在は海に面していません。そんなところからも当時の地形が想像されますね。

ちなみに、現在の千葉県の地形ですが、外房・内房の海抜は意外に高いのです。どこが低いかと申しますと、利根川の近くですね。現在のまま、堤防など作らない状態で、海面が5メートル上昇しますと、一番水没しそうな場所は香取地域のようです。
Posted by GATTO at 2016年12月11日 22:58
山深い里も太古の時代は海だった

そんなことを思いながら山々を眺めていると地球の不思議さを感じてしまいます

大森貝塚付近に暮らしていたといわれる食人種も太古のロマンを感じますね

ただ、実際に食人種が居たかどうかは研究の余地を挟みますけどね
Posted by 田舎帝王 at 2016年12月11日 23:12
で、ですね、明日になると、あのオババが「真田虫の視聴率・・・」なんてほざくんですよね。特に、地デジとBSをごっちゃにしてね。

それではオイラからも「鼻もげの視聴率、第49回で13.4パーセント。ほう、あの番組としてはマシな方ですか。平均で12.0パーセント、BSの平均2.6パーセント。笑えますな」

ちなみに、BSの視聴率は、3パーセントでいい方、4パーセントを超えるのは異例とのことだから、鼻もげが「5パーセント」とほざいたらこのことですな。
Posted by GATTO at 2016年12月11日 23:26
そういえば来週が最終回でしたね。おそらく鼻もげは「番組打ち切り」なんてほざくのでしょうなあ。
Posted by GATTO at 2016年12月11日 23:30
函館山の事故も真田丸のせいにしたりして。
Posted by GATTO at 2016年12月12日 00:16
ニチボー貝塚のブルマの写真だとなおよかった。
Posted by デハ at 2016年12月12日 00:40
真田虫、次回で打ち切り、おめでとう🍾㊗🎉
Posted by 花…もゆ💐 at 2016年12月12日 08:28
花もげのドラマ館は閑古鳥が鳴いて観光振興の役に立たなかったと地元の人たちから総スカンを食らったそうですね
一方、真田丸のドラマ館は終日大入りで観光の起爆剤になったとか
花もファンの花もげはちゃんといかれましたか?
花もげドラマ館には
僕はちゃんと行きましたよ真田丸ドラマ館へは
Posted by 田舎帝王 at 2016年12月12日 09:03
やったあ、予想通り書いた!わかりやすいねえ、鼻もげさんは。して、来年からはお名前を「直虎」に変えたりして(笑)。

まあ、一年間「真田虫、真田虫」とお疲れ様でした。そんなわけで、これから鼻もげさんに新しい名前を付けてやろう。「寄生虫ババア」このブログの寄生虫的存在だし、しょっちゅう「真田虫」とほざいているし、あなたに合っていますよ。
Posted by GATTO at 2016年12月12日 09:12
寄生虫ババアは M でもあるので、新しい呼び名をもらって大喜びしているに違いない。
Posted by GATTO at 2016年12月12日 10:56
M女にとって罵りはご褒美
無視こそ最大の屈辱です
皆さんで鼻もげさんを無視しましょう
Posted by 田舎帝王 at 2016年12月12日 12:08
晴れとなつた、甲府市内の昼。
けふの「別嬪さん」別嬪(芳根演)は、夫の紀夫が気絶した為、家族を重んじるか仕事重視で行くか選択を迫られる。

という、回でした。
サテデハサン。ニチボー貝塚とは、やけに古いバレーボールチームをご存知ですナ。
東洋紡、レインボーと、紡績会社が女子バレー支えていた時代があったのです。
Posted by 百足衆 at 2016年12月12日 12:12
田舎帝王さん、こんにちは。たしかにそうなんですよね。そろそろ寄生虫ババアに慣れるかなあ・・・
Posted by GATTO at 2016年12月12日 13:06
さて、気分直しに・・・

わが街も結構「貝塚」さんが多いです。特に海の近くはね。この辺にも歴史を感じますね。
Posted by GATTO at 2016年12月12日 13:10
考古学者の貝塚茂樹さんと、漫画家の貝塚ひろしさんを長い間混同していました♪
Posted by ラー at 2016年12月12日 18:24
菅原君この、
だらくそ!だらくそ!ぱげ!ぱげ!かわずやまの、福島地蔵損壊韓国人!

なあにが、貝塚茂樹先生が、考古学者だ!
貝塚先生は中国文学者だ!湯川秀樹先生の、弟でも、ある!名前が「樹」で終わるからだ!

貝塚先生に、
謝罪せよ!はっ
謝罪せよ!はっ
謝罪せよ!はっ
謝罪せよ!はっ
謝罪せよ!
Posted by 藤原 at 2016年12月12日 18:44
藤原さん

ラーさんと間違えています。
Posted by 菅原 at 2016年12月12日 18:54
こんばんは。

貝塚茂樹先生の苗字は奥様の実家のものなので、よくわかりませんが、貝塚ひろしさんは隣町の九十九里のご出身ですね。やはり海との関わりの歴史が感じられます。

ところで、昨日あたりから総帥さんがいらっしゃらないけれど、仕事の方がお忙しいのかな?
Posted by GATTO at 2016年12月12日 22:45
おばんです。

忙しかった。日曜は仕事だ。流石にボーナス週末クソ忙しかった。

フハハハハハwwwしかし月曜は休みで朝鮮征伐に忙しかった。俺は天才だから、19マソ取った。今年の残りは寝て暮らせるなwww
Posted by 愛國赤旗党総帥 at 2016年12月13日 00:03
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