
8月も最終週となりました。
小中学生の夏休みはそろそろ終盤を迎えます。8月が終わるということは、「ひよっこ」の放映もあと一ヶ月足らずということになります。GATTOさんはこのドラマの終了後、次回作も愉しまれるのでしょうか。
「ひよっこ」と言えば、主人公のみね子を演じる女優の有村架純さんの「たぬき顔」が有名です。東京都庁には、自称ポンコツAIで文書を残さない緑のたぬきも棲んでいるようですが、こちらは悪いたぬきです。たぬきにも良し悪しがあります。

岐阜市には、昭和3年創業の「更科」という蕎麦の老舗があります。
ここではムロアジ、ウルメイワシ、ソウダガツオを煮込んで出汁をとり、たまり醤油にザラメ、みりんを加えて汁を作るそうです。
信州産そば粉を練って作った自家製蕎麦を茹で、冷水で冷やしたコシの強い麺に汁をかけ、天かすに長ネギ、お揚げにわさびをトッピングして「冷やしたぬき」が完成します。「並・普通」で510円です。

作り置きをしているわけでもないのに、注文してから30秒以内にひやしたぬきが運ばれてきます。この店の通年の人気メニューで、多いときは一日に700食も出るそうです。座敷とテーブル席合わせて10卓以上ある店内の回転も速く、昼食時の一時間で6回転ぐらいしているそうです。
トッピングや盛り付けのバリエーションを手際よくこなしていく店員さんたちと、麺を茹でる・冷やす・盛り付けるといった厨房のスタッフのチームワークは、赤坂「すずふり亭」のさらに上を行きます。

そういう手際よさを目の当たりにすると、思わず蕎麦を喉に運ぶペースも上昇してしまいます。
ゆっくりと昼餐を摂る向きにはお勧めできませんが、冷やしたぬきは出前ではなく店内で味わったほうが美味しく感じられるかもしれません。
【関連する記事】
けふの「日和っ子」時子の活躍を、お愉しみ下さい。
サテ冷やしたぬき。爺は、たぬき蕎麦には、天かすが入っているのが、望ましい。葱も、必要。さらにとろろが入っていると、より佳い。
先週は、途中からえらく忙しくなってしまいました。お昼も大部分惣菜パンでした。「ひよっこ」も見てはいたのですが、じっくり書くにはいたりませんでした。
さて、たぬき蕎麦でも食べて、みね子さんの丸い顔を思い浮かべて、元気出しますか。
けふの「日和っ子」日和っ子(有村演)の友人、時子が「ツイギーコンテスト」に応募する傍ら、早苗は、またしてもお見合いの連敗記録を更新する。
という、回でした。
サテGATTOさん。久しぶりに、息災の便りが聞こえて、爺は嬉しいですゾ。多忙も、社会が貴殿を必要とする証。これからも、仕事に励んでください。
(朝日新聞HPより)
バカを通り越して、国賊じゃないのか?小池。
緑のたぬき、都民として返品します!
それにしても、緑のたぬきに、こんなパッケージもあるのですね。これだったら、それこそ有村架純さんをデザインに使えばいいのに、と思います。少なくとも「嫌い」という人は少ないのではないか、と思います。
賛成です。
マルちゃんは、もともとN清の綿製品より美味しいので、パッケージに有村さんを使えばファンが拡大します。
何の問題もない豊洲市場を、無駄に何ヶ月も冷やし続けてます!
はい!論破されました!
関西向けは昆布だしで、有村さんのパッケージに合っています。
関東向けは、醤油味で体に悪く、小池知事のパッケージsのものです。
小池知事は関西の出自と主張してますが、実際は武蔵野の狸です。
牛乳は不味い。武田さんのようになります。
けふの「日和っ子」時子の活躍が、描かれる。
という、回の筈です。
サテ捕虜さん。意味が、分かりかねますゾ。日本語は、正しく使いませう。
このような暴挙があっても、相変わらず安倍政権批判を繰り返す、朝日新聞毎日新聞テレビ局共産党、といった面々は、第三列と見て、間違いない。
ふざけるな。貴様たちが民進党をけしかけて憲法改正・安保法制に反対し、大阪人と一緒に沖縄で米軍基地に反対しているせいだ。
なぜ沖縄に基地があると朝鮮人と大阪人が困るのか私は理解できない。
あと大阪は朝鮮人が多いからたぶん狙われない安全地帯
昔、西武山口線に「謙信号」という機関車が走っていました。新潟県の頚城鉄道から来たからです。人気が出て増備することになり、岡山から持ってきたのに「信玄」号となりました。岡山だから桃太郎、清磨ではないのです。「謙信」に対するものは「信玄」でなくてはならないのです。逆もまたしかり。
「信玄」号が先にあれば、後から来た方が「謙信」号になったはずで、決して「氏真」号にはならないのです。
また、武田の駿府侵攻、信濃攻略は、島津の三州統一と同じです。もともと信濃・駿河は武田信義が源頼朝公に与えられた土地で、それが北条氏にとられたり地元勢力にかすめ取られたもので、それを足利が追認したにすぎません。よって、信玄公が信濃・駿河を領有することは、祖先が頼朝公に与えられた土地を奪回するのであって、侵略ではないのです。
信玄と謙信は巨人と阪神と同じく同じものの表と裏、一心同体不可分なものなのです。るろうに剣心もライバルは信玄という名前にするべきでした。
勘助に子が出来た事を報告し、今まで邪険に扱ってきたことを詫びる由布姫。
勘助は由布姫が懐妊したことを我が事のように喜ぶ。
由布姫の懐妊の喜びを分かち合う暇を与えるほど信濃の情勢は穏やかではなかった。
武田に敵意を抱く信濃守護小笠原長時との争いは続いている。
小笠原と武田の争いを静観する村上義清は、関東管領との戦で窮地に陥っている北条と、北条と敵対する今川との間に争いがおこれば今川と同盟を結ぶ武田は今川の援軍として兵を出さざるを得ず、武田が信濃から手を引くその時節を窺っていた。
義清の目論見通り、晴信のもとに今川家の軍師太原雪斎が訪れ、かねてより北条領と領地の接する富士・駿東両郡の領地紛争に決着をつけるべく、北条攻めの加勢を願い出た。
雪斎の来訪により武田家中は揺れ動いた。
信濃攻めにより余剰兵力を持たぬ武田は今川の援軍に難色を示すが、今川との同盟が決裂するのも得策ではない。
軍議の場が膠着する中、小山田信有は静観を決め込み、今川を見殺しにする代わりに北条と同盟を結ぶ策を立てる。
小山田は武田に援軍を頼まざる得ない状況での今回の出兵は今川にとって不利な戦である踏んだのだ。
北条は今川と古河公方、関東管領との三方に攻められることになるが、信濃に野心を抱く武田にとって関東管領の力が増すのは今後の信濃攻略の禍根となる。
そこで、関東管領の存在を煙たがる北条と同盟を結ぶことで関東管領をけん制しつつ、北条との同盟により今川の動きを押さえると言うのが小山田の策である。
小山田の策に対して勘助は今川への使者を申し出る。
勘助の策は武田家が仲介する形で今川と北条との和睦をさせる策を進言する。
勘助の献策を受け入れた晴信は、勘助に駿河行きを命じたのであった。
駿河に入った勘助は庵原之政と会い、雪斎が北条攻めに難色を示している事と、義元が織田との戦に重点を置いている事を知る。
雪斎と面会した勘助は、武田は駿、相両国の和睦に前向きである事を伝え、雪斎もこれを受け入れる。
雪斎の取次により今川義元と対面する勘助。
義元と対面した勘助は武田の交渉により北条軍を富士・駿東両郡からの撤兵を約束する。
勘助の案に義元は一笑に伏すものの勘助の策に受け入れる。
勘助を嫌う義元は、勘助はあくまでも使者であり、図に乗らぬようにと釘を刺したうえに嫌味を言い、和睦の誓詞を交わすときは身分の確かなものを連れてくるように厳命する。
勘助の働きを知った義元の母寿桂尼は勘助を高く評価し、勘助を使いこなせなかった庵原兄弟と之政、そして、義元の技量の狭さを嘆く。
後日、晴信の近習を務める駒井政武が義元より和睦の誓詞を受け取ると、北条へ交渉に入った。
北条との交渉に入る前、勘助は小山田に今回の和睦は北条、今川両家の意思が働いていたことを告げ、今回の和議は雪斎の主導で行われたと内幕を暴露する。
むろん、勘助も晴信も雪斎の意図を読み通していたが、唯一、小山田だけが一連の全容を見通せないでいたのだ。
勘助の言葉の節々からそのことを感じ取った小山田は己の技量の浅さを嘆く。
北条との交渉は武田の命運をも握っている。
この大事を前に、諏訪郡代として諏訪の地に居た板垣信方が武田の陣中に戻っていた。
信方と再会した勘助は、北条が今川に釘付けになっている隙をつき、関東管領上杉憲政が兵を動かし、北条家の支城である河越城の攻略に掛った事を聞かされる。
板垣から関東の情勢を聞かされた勘助は晴信に観戦武官として北条の陣に入る許しを願い出る。
晴信は氏康の許しを得られる条件で勘助の派遣を許す。
板垣と二人きりになった勘助は板垣に詰問される。
板垣は由布姫の逃亡の詳細を詰問する。
由布姫に横恋慕している疑いを掛ける板垣に由布姫に寄せる好意はプラトニックな関係であり、それは国を愛する心と同じものであると弁明する勘助。
勘助の心の独白を聞いた板垣は勘助をひとりのモノノフとして認め、同志となる。
互いに命を預け合える同志となった勘助と板垣は馬を駆り北条の陣中に推参する。
武田の使者として北条の陣に罷り越した勘助は、氏康に義元の血判誓詞を差し出す。
板垣の口添えもあり、氏康は義元の血判誓詞を受け入れる。
ここに、甲、駿、相三ヶ国同盟が成立したのであった。
つづく
昨日の「日和っ子」朝の放送が、ありませんでした。
サテ田舎帝王さん。
相変わらず、否、益々筆に磨きがかかっていますナ。
三国同盟、見事な筆致で、「戦は、合戦のみに非ず」即ち、調略、同盟、外交も戦いであることを浮き彫りにしてくれています。
現代日本も、外交は戦のつもりで、河野太郎外相には、命懸けで国益を守って欲しいものです。