2017年12月18日

卓上式手動鉛筆削り

停電の時でも使用できる鉛筆削りです。

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そろそろ年の瀬も押し詰まってきました。
受験生の方々にとっては、センター試験を目前に控えて落ち着かない日々を送っていることと思います。そんな時は、エンピツや消しゴムなどの文房具の手入れをして心を落ち着かせましょう。

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80年代、センター試験は「共通一次試験」と呼ばれていました。楕円形のマークシートをエンピツで塗りつぶして解答を作成し、それを光学読み取り装置が読み込むことで正解・不正解の判定が行われていました。当時は「コンピュータが採点する」ということが画期的な出来事のように受け止められていたようです。さすがに記述式の問題はコンピュータで採点することはまだありませんが、ディープラーニングAIが採点する時代ももうすぐそこまで来ています。

マークシートを塗りつぶすために指定されたエンピツの濃度が、「B」でした。当時、授業などで普通の生徒が持っていたエンピツは殆どがHBで、Bとか2Bとかは筆圧が小さくて薄い字しか書けない人が持っていました。一方で筆圧が強すぎてすぐにエンピツの芯を折ってしまう癖の人は、Hとか2Hとか硬質の芯を持ったエンピツを愛用していました。

エンピツは、芯を紙にこすりつけることで記録していく道具です。こすり付けていく過程で、必然的に芯の太さが太くなる傾向があります。そこで芯を細い状態に保つ為には、芯だけでなく筐体の木の部分も削る必要があります。この要請に応えて、エンピツとほぼ同時に登場した道具が消しゴムと鉛筆削りです。

80年代は既に電動エンピツ削りが一般化していた時代でしたが、自分の好きな太さに微調整をしながらエンピツを削りたい人や、うっかり小指を差し込んで指が削れてしまうことを恐れる人には、昔ながらの手動エンピツ削りが愛用されました。その中でも、主として家庭で使われていたものが、卓上式手動鉛筆削りです。

この道具は、まずエンピツの芯を真っ直ぐに保つ為に、鉛筆を削り穴に差し込み、次にクリップで挟みこみます。そしてハンドルを廻すとエンピツが削られ、その削り滓は取り外し式の透明なケースに落ちる仕組みになっていました。ハンドルを廻す際に本体が動いてしまうと削り難いので、机の端に固定するためのクランプが付加されていました。

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最近職場で使う筆記用具というと、エンピツは勿論万年筆でもシャープペンシルでもなく、主としてレーザービームプリンタ、たまにボールペン。といった具合です。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 05:00| 東京 ☀| Comment(25) | 道具 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
酷寒にして漆黒の闇の中、甲府市内の未明。
けふの「わろ天下」わろ(葵演)は、落語家の団子に一万円を、支払うことができるだろうか。お愉しみに。

サテ鉛筆削り。爺の家では、まだまだ健在ですゾ。尖った鉛筆を削りながら、いつまでも生きて行きたい、けふこの頃です。
Posted by 百足衆 at 2017年12月18日 05:13
晴れとなつた、甲府市内の朝。
けふの「わろ天下」わろ(葵演)は、寺銀の芸人の妻に金を貸す。

という、回でした。
サテ二番槍も、獲得。
甲斐の赤備え、此処に在り。
Posted by 百足衆 at 2017年12月18日 08:07
ほほほほ〜

おんな城主直虎、最終回だったわね〜

本編の放送より、田舎帝王さんの解説の方が楽しみだわ〜🏯🏯🏯🏯🏯
Posted by おんな城主 at 2017年12月18日 09:42
昼近けれど、尚寒冷な、甲府市内のお昼前。
けふの昼食が、発表された。
里芋の煮転がしだ。湯豆腐も、ある。
NHKお昼のニュースを見ながら、朗々と、食べる。

サテ恒例の、昼食予想。
GATTOさんは愛妻弁当の唐揚げ。
デハサン、若しくはデロサンは、トンカツ定食のライス大盛り。
いつも意表を突くラーサンは、つけ麺。

と、予想。
Posted by 百足衆 at 2017年12月18日 11:21
こんにちは〜

百足衆先生、今日は何もいただいておりません。体調が悪く、気持ちが悪いので、何も食べられないのです。

でも、出勤はしております。百足衆先生のメッセージを見たら、だいぶ気分も良くなりました。クイズの正解以上の価値がありますぞ。ありがとうございます。
Posted by GATTO at 2017年12月18日 12:09
百足衆様、
ありがとうございます!昼食何にしようか迷ってましたが、つけ麺の熱盛りにします♪
Posted by ラー at 2017年12月18日 12:15
今日は藤原さんの顔を見ずに、シーフードカレーを美味しく食べました。
Posted by 菅原 at 2017年12月18日 12:29
残念、ミックスフライ定食でした
Posted by 谷汲線デロ一形 at 2017年12月18日 14:07
夜となつた、甲府市内の夜。

サテGATTOさん。大事ないですか。昼食予想など、どうでも佳い佳い。それよりも、お身体治されて下さい。案じてますゾ。

サテデロサン、揚げ物という意味では、50%。ラーサンのつけ麺100%的中と合わせて計算すると、150%÷3で、50%堅持ですナ。
Posted by 百足衆 at 2017年12月18日 19:10
エビチリ・ユーリンチー・ゆで餃子の定食でした。

鉛筆削りでプラ丸棒を削って壊してしまいました。
千歳・千代田を空母に改造した時の支柱には半割にした円錐が必要だったのです。
Posted by デハ at 2017年12月18日 19:24
長さ3p✕幅2p✕高さ1pくらい(現物が手元にないので記憶による)の、手動ミニ鉛筆削りも使っていました。
これは、削れた木が鰹節状にうねって出て来る所に味がありました。
途切れず長く続くと、嬉しかったものです。
Posted by ヨット at 2017年12月18日 22:04
酷寒、漆黒の闇の中、甲府市内の未明。
けふの「わろ天下」学芸会を演じる、主人公夫妻の活躍に、ご期待下さい。

サテデハサン。中華料理、と云う点では、50%。よって、爺の昼食予報は、依然50%を堅持していますナ。
サテヨットさん。鉛筆の削り滓を、鰹節と間違えて、口にしてしまった同僚が居ました。
Posted by 百足衆 at 2017年12月19日 04:21
酷寒、漆黒の闇の中、甲府市内の未明。
けふの「わろ天下」学芸会を演じる、主人公夫妻の活躍に、ご期待下さい。

サテデハサン。中華料理、と云う点では、50%。よって、爺の昼食予報は、依然50%を堅持していますナ。
サテヨットさん。鉛筆の削り滓を、鰹節と間違えて、口にしてしまった同僚が居ました。   
Posted by 百足衆 at 2017年12月19日 04:21
晴れとなつた、甲府市内のお昼時。
サテ恒例の、昼食予想。
GATTOさんは名前の通りがっつりトンカツ定食。
デハサンデロサンコンビは、チャーハン大盛り。
意表を突いたラーサンは、牛丼。
菅原君は、チキンソテー。
と予想。

爺のけふの昼食は、越前蕎麦です。
Posted by 百足衆 at 2017年12月19日 12:10
百足衆様、
すいません!今日は焼肉定食でした!
Posted by ラー at 2017年12月19日 12:16
こんにちは〜

百足衆先生、体調が悪いので、さすがにトンカツ定食は無理です〜
Posted by GATTO at 2017年12月19日 12:26
今日は醤油ラーメンと餃子でした
Posted by 谷汲線デロ一形 at 2017年12月19日 14:34
今日は肉まんとコーヒーでした。
Posted by 菅原 at 2017年12月19日 14:46
夕闇迫る、甲府市内のタベ。

サテけふは厄日のようですナ。正答率、0%。
そんな日もあります。長い人生の中では。

明日は100%当て、50%を回復せねばなるまいゾ。
Posted by 百足衆 at 2017年12月19日 16:19
百足衆さん

今日20171219は、素数日なので、特殊な事が起きる日かも知れません。
Posted by 菅原 at 2017年12月19日 16:33
百足衆先生、厄日というなら私の方です。早く治るといいにゃあ。
Posted by GATTO at 2017年12月19日 17:18
そもそも2017年が素数です!

はい!論破されました!
Posted by 通りすがりの軍事オタク at 2017年12月19日 17:34
百足衆様!

まだ、デハ様がチャーハンの可能性が残されています!
Posted by ラー at 2017年12月19日 17:36
堺に残って本能寺の変を見届ける直虎に龍雲丸は南蛮行きを誘う。

「ともに南蛮へ行かぬか?」

龍雲丸の誘いに竹筒を渡し「我よりも先に死ぬな」と別れを告げた直虎は井伊谷へ戻る

明智討伐の為、羽柴秀吉から加勢の要請が家康の元に届くと、家康は意気揚々と兵を西に勧めたものの、尾張国鳴海の地で光秀が討ち取られたとの報が届く。

秀吉勝利の報に接した家康は、信長亡き後の甲州擾乱を静める大義名分のもと、兵を東に向かわせた。

一方、浜松では光秀より証人として預かっていた光秀の子自然の処遇で揺れ動いていた。

氏真と万千代は口封じの為に自然を闇に葬り去ろうと画策したが、直虎の知るところとなる。

自然の命を奪おうとした万千代に事の次第を追求する直虎のもとに家康の母於大が現れ、自然の身柄の引き渡しを要求する。

於大の要求に対して井伊の子として引き渡しを拒絶する直虎。

於大の命により自然を奪い取ろうとする万千代に自然の身を守ろうと弓を引いたのは傑山であった。

「若はどうやって生き延びられてこられたか」

万千代の眉間に矢尻を向け詰問する傑山。

その時、織田の手勢が乱入し、自然の引き渡しを要求すると、直虎は「信長公のお子じゃ」とはったりをかます。

直虎の機転により自然に降りかかる火の粉を払いのけると、於大は「織田様の忘れ形見」として直虎の行為を黙認する。

自然は僧籍に入り南渓より「悦岫」の法号を受ける。

これにより本能寺の変に一応の区切りを付けられた直虎ではあったが、この頃から体調を崩しはじめる。

体調を崩し始めた直虎は身辺整理の為か、井伊に連なる縁者を万千代に預けたいと思うようになり、南渓に相談を持ち掛ける。

高瀬の身柄を井伊に戻そうと、高瀬を預けていた康用のもとを訪ねた直虎に対して康用は近藤家と井伊家の絆を強める為に、高瀬を養女にして万千代に娶わせようと考えていた。

直虎は井伊谷の地から井伊家ゆかりの者たちを退去させよと考えていた。

井伊谷は井伊の縁者一人一人の胸の中にある。

直虎は自分一人が井伊の地に残り、徳川家の天下取りの夢を見る。

父祖伝来の土地である井伊谷を手放そうとする直虎の行為に驚きの表情を浮かべる康用。

その康用の前で直虎は病に倒れた。

龍潭寺に担ぎ込まれた直虎は南渓と井伊の歩んできた道のりを回顧する。

その頃、甲州平定の為に戦を重ねていた徳川勢の前に立ちはだかったのが北条家であった。

家康はここに至って北条と北関東甲信地方の覇権を争う事となった。

世に言う天正壬午の乱の始まりである。

軍議の席で家康は将兵を慰める為に万千代に笛を所望するが、長持の中に仕舞い込んであった笛が紛失していた。

その日の夜、直虎の耳に笛の音が届く。

笛の音に誘われて井伊の古井戸に向かった直虎の前に幼き日の亀之丞、鶴千代、龍雲丸の姿があった。

己も幼き日のおとわの姿になった直虎は、三人と共に黄泉の旅路へ向かうのであった。

朝、井伊の古井戸の前にはこと切れた直虎の姿があった。

同日、同刻、海辺には座礁して大破した南蛮船が打ちあがっていた…。

直虎の死に接した南渓は悲しみに暮れたのであった。

直虎の死は陣中の万千代の下にも届けられた。

直虎の死に接して呆然とする万千代達に悲しみの雨が降り注ぐ。

北条との戦を避けようと家康は北条との和睦に動き出す。

直虎の死のショックから立ち直れぬ万千代は「士気が下がる」と軍議の席から外される。

軍議の席から外された万千代のもとに南渓が訪れ、紛失したはずの笛を手渡す。

南渓は気落ちする万千代に井伊の心を伝える。

民を安んじ、戦をせずに勝つ道を探る

南渓の問答に井伊の意思を掴んだ万千代は軍議の席に戻り和睦の使者として名乗りを上げる。

「外様でも軽輩の身でも徳川のもとに集えば厚く遇される」北条の方々にそれを伝えたい。

熱く語る万千代に与えられた使命は「甲斐信濃の死守」であった。

この条件を持って和睦の成果とする。

万千代は甲斐信濃の国衆に対して恭順の起請文を提出させ、北条に対して圧力をかける策を立てる。

甲斐、信濃の国衆から集められた起請文を前に、北条方は徳川の条件飲まざるお得なかった。

北条との和睦により、三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の五か国を有する大大名として飛躍した家康は祝宴を開く。

その祝宴の席で元服を願った万千代の願いは聞き届けられた。

加冠の席上、家康は万千代に井伊兵部少輔直政の名を与えた。

更に直政のもとに、近藤、菅沼、鈴木、松下といった直政ゆかりの国衆のほかに、新たに加わった武田の遺児達、勇猛果敢な赤備え衆が井伊の家臣に加えられた。

ここに、井伊家の再興は名実ともに果たされたのである。

数年後、小牧長久手の陣中に於いて、真紅の鎧を身に纏い、颯爽と戦場を駆け抜ける直政の姿があった。

戦国の世に立ち向かった小さな女領主のお話はこれにてお終い




Posted by 田舎帝王 at 2017年12月19日 20:44
老師 炒飯食べました。100点満点おめでとう。

おんな城主終わってしまった。
いろんな人に新しい光が当たった作品だった。
おそらく全国で私以外にファンがいないと思われ、ダメ男の代名詞、軟弱者、亡国の徒、コーエーのゲームでスペックが最低(武将どころか、姫や商人や坊主にも劣る)とされて全否定されていた氏真公のファンが全国で急増したのは間違いない。
 それにもまして、今まで墓につばを吐きかけられていた小野道直が今や人気ナンバーワンになってしまった。

また、今までヘタレ役が多かった尾身としのりも、冷静沈着で優しさと厳しさを併せ持つ人格者榊原康政を巧く演じて好感を増した。

 東照神君はまさしく仁愛の象徴として描かれ、徳川幕府こそが人類最高の統治機関であったことを見事に示した。
 つぶれた家の者、負け組を救い、没落した旧主を養い続け、妻子を殺されたにもかかわらず織田への忠義も尽くした東照神君こそが我が国最大の英雄であることが、明らかになった。

 一方、信玄公は野蛮で好色な侵略者として描かれたが、あれは信玄公ではなく、畠山義綱であり、本物の信玄公は中井貴一に似たイケメンの人格者だったに違いない。

 また、良く演じたとは思うのだが、本多忠勝がどうしても昨年より弱く感じてしまい物足りなかった。
 
 裏切り者の穴山を消したのが正信だった説もなんとなく納得できたフィクションだった。
 とにかく私は小山田と穴山は100回生まれ変わっても許せない。
Posted by デハ at 2017年12月19日 22:03
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