2017年12月24日

鸚鵡籠中記

元禄年間の尾張藩の家臣であった朝日重章の日記です。

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今日はクリスマスイブです。バブル時代は、クリスマスイブというと一大イベントで、高級レストランや高級ホテルの予約が難しくなったりしたものですが、現代ではそれほど大騒ぎすることもありません。高級ホテルの宿泊が困難なのは、クリスマスよりも中国人観光客の要因が大きいようです。

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「鸚鵡籠中記」は、尾張藩の武士、朝日文左衛門重章が26年8ヶ月に渡って書いた日記です。
朝日重章の役職は「畳奉行」という、藩の畳を管理する仕事でした。今風に言えば、会社のITを管理する情シ部門か、あるいはオフィス事務用品の管理係といったところでしょうか。

この人、しかし日記を読む限り、あまり真面目に働いていた形跡がありません。
実労働日数は、月あたり数日といったところです。「働き方改革」で、朝日さんのレベルに少しでも近付きたいものです。
暇さえあれば酒を飲み、芝居や浄瑠璃に出かけ、噂話を好み、それを日記に記載しました。現代の暇人ブロガーです。しかし、当時の噂話を克明に日記に記載していたため、朝日さん自身の日常の務めは平凡なものでしたが、この人の名前を「鸚鵡籠中記」の名前と共に、後世に残すこととなったのです。

この日記は、堅苦しい日々の勤務記録などではなく、情死や殺人事件などを事細かに記述されているところに面白さがあります。
江戸の尾張藩邸で発覚した、若い武士と殿様お側の女性との密通事件とか、殿様の生母が絶倫だったとか、そういった藩の公文書には絶対に出てこないような内容の記述が、この日記に克明に記されているのです。
さらにこの人自身が、出張に行って公費を使いまくりだとか、業者に接待されて何を飲食しただとか、コンプライアンス違反に相当する事案も相当沢山記載されています。

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そういった記述は、後世の人から見れば貴重な歴史史料なのですが、同時代人の目から見たら
「そんな物、書いてて恥ずかしくないのか」
という類の文章だったに違いありません。

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 05:00| 東京 ☀| Comment(15) | 古典 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
闇につつまれた、甲府市内の夜明け前。
けふの「わろ天下」放送は、ありません。

サテ畳奉行。我が家には、鍋奉行がいます。(笑い)
Posted by 百足衆 at 2017年12月24日 05:06
百足衆様、

一番槍、おめでとうございます♪

昼食当て予想も、50%の好調を維持されていますね♪

これからも新年に向けて、頑張ってください^^
Posted by ラー at 2017年12月24日 06:37
私は「吾輩は猫である」の迷亭さんは何の仕事をしているのだろう?と昔、不思議に思っていました。
高等遊民という言葉を知ったのは、だいぶ後の話です。
Posted by ヨット at 2017年12月24日 09:59
ヨット殿

ユーミンの芸名は、高等遊民から来たのか・・

なんて一瞬、思ってしまった
Posted by 燈台森 at 2017年12月24日 11:13
ほほほほ〜

「風林火山」BSで視聴中よ〜

田舎帝王さんの解説が、今から楽しみだわ〜🏯👍
Posted by おんな城主 at 2017年12月24日 12:11
今日は海鮮丼
Posted by デハ at 2017年12月24日 18:44
氏真ロスから立ち直れない。痩せている南洲を1年間見せつけられる拷問に耐えなくてはならないのかと思うと鬱だ。
記録上明らかにデブだった人間を山本八重に続て痩せさせるのは、全世界のデブに対する冒涜だと思う。
他にも、東照神君、竜造寺隆信、浅井長政、豊臣秀頼などがデブだったことが明らかになっている。
特に、浅井の場合、長政の姉の昌安比丘尼、甥の京極高次、孫の豊臣秀頼が全てデブであり、浅井そのものがデブの家系であったことが分かっているのだ。
歴史は細身のイケメンだけが作り上げたのではない。
Posted by デハ at 2017年12月24日 18:47
雨となつた、甲府市内の未明。
昨日の「風林火山」越後の虎(学徒演)が、「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり」と云いながら、遂に川中島に進出した。第一次川中島合戦である。

諸角虎定(加藤演)は撤退命令に反し籠城する。晴信(亀次郎演)は、勘助(内野演)の策で長尾勢に夜襲を仕掛ける。そのため長尾勢は越後に撤退しようとするが、景虎はやはり戦おうと引き返す。しばし川を挟んで睨みあった後、やはり越後に帰っていった。

という、回でした。
サテデハサン。昨日は、郷土研究会の第一回忘年会だつた為、昼食予報を、失念してしまいました。
申し訳無し。海鮮丼でしたか。佳い佳い。
Posted by 百足衆 at 2017年12月25日 04:09
晴れとなつた、甲府市内のお昼時。
けふの昼食が、発表された。
たぬきうどんだ。薬味もある。
クリスマスを祝いながら、粛粛と、食べる。

サテ今の所好調な、昼食予報。
GATTOさんは、惣菜パン。
デハサンたちは、味噌ラーメン。
ラーサンは意表を突き、中華丼。

と、予想。
Posted by 百足衆 at 2017年12月25日 12:19
こんにちは〜

百足衆先生、私も たぬき をいただきました。でも、うどんでなく、蕎麦でした。

しかし、揚げ玉というもの、無料のトッピングの時もあれば、かけ蕎麦よりもたぬき蕎麦の方が100円高い場合もある。これはどういうことなんでしょうなぁ?
Posted by GATTO at 2017年12月25日 12:29
百足衆様、

投稿を見ました。中華丼にします!
Posted by ラー at 2017年12月25日 12:40
惜しい、豚骨ラーメンでした
Posted by 谷汲線デロ一形 at 2017年12月25日 14:56
夕闇に沈んだ、甲府市内の夕間暮れ。

サテGATTOさん。佳い佳い。たぬきまで、合っていたので、50%。ラーサンは100%。デロサンは、ラーメンまで合っていたので、50%。
よって、今の所、75%、四捨五入して80%の正解率となります。
デハサンの結果次第で、90%も視野に入って来ました。
Posted by 百足衆 at 2017年12月25日 16:52
運は天にあり

鎧は胸にあり

手柄は脚にあり

刀八毘沙門と懸かり乱れ龍の軍旗を掲げた長尾景虎率いる降魔の軍団は信濃国川中島へ進軍した

景虎動くの知らせが晴信のもとに届くと、晴信は軍議を開いた。

小県郡の入り口となる室賀城の守りに飯富を遣わし、晴信は本陣を動かさず、小県郡の奥深く塩田城に籠ったまま南下する越後勢を待ち構える戦法を取った。

晴信の頸のみを狙う景虎の軍勢を武田領の懐深くまで誘い込ませる作戦に出たのだ。

懐深くまで誘い込む晴信の作戦に敢えて乗った景虎は、布施城、八幡城、荒砥城と城を落としながら晴信の構える塩田城へと押し迫ってきた。

作戦とは言え、敵にみすみす城を落とされ、信繁の心中は穏やかではなかった。

諸角虎定もまた、増え続ける犠牲に疑問を抱き始めた。

葛尾城のある坂木まで越後勢を招き入れ、そこを真田、相木などの信濃衆に襲撃させて、景虎を挟み撃ちにするのが勘助の立てた策であった。

武田の策を見抜いていた宇佐美定満は、坂木まで兵を進める危うさを進言すると、村上義清の旧領回復の為の戦にもかかわらず、義清の居城であった葛尾城の奪還を否定する定満の考えに批判の声が上がった。

自分に向けられた批判に対し定満は「戦に負ければこれこそ戦をした意味がない」と反論すると、旧領回復が出来ぬのなら、信濃の切り取りを主張する意見が出始める。

「盗人の真似は出来ぬ」

景虎は信濃領の切り取りを一蹴すると、塩田城に籠る晴信をあぶりだす策を出させる。

景虎の命を受けた定満は、武田の信濃の拠点となる深志城に向けて兵を進める策を立てる。

信濃支配の拠点となっている深志城に兵が進めば、流石の晴信も越後勢追撃の為に城から出ざる得ない。

これは、義清の旧領回復の戦と決めてかかっていた武田方の読みを挫く作戦であった。

読みの外れた晴信は、深志城へ向かう越後勢に対し、深志城の守りとなる刈谷原城に諸角虎定を遣わした。

刈谷原城に入った虎定は馬場民部と交わしたやり取りを思い出していた。

あの日、調略頼りの戦を良しとした諸角は、馬場から「命が惜しいのか」と屈辱的な言葉を投げかけられたのだ。

刈谷原城に迫る越後勢を前に、晴信に焦りが生じ始めた。

「深志城に入る」と口にした晴信に勘助は「これこそ敵の思うつぼ」と戒める。

「刈谷原城と深志城を見棄てるのか」

迫る信繁に対し勘助は、刈谷原城を棄てて深志城の守りを固める策を絞り出す。

深志城の守りを固める事により、信濃攻めの深入りを避けようとする景虎は、当初の作戦通り、坂木方面に転進するか越後へ撤退するかの二者択一の選択を取るに違いないと勘助は踏んだのだ。

越後勢の神出鬼没、神速果敢の動きに勘助はじれていた。


その勘助に晴信は「長尾家との戦を最期の戦とはせず、長生きをせよ」といたわりの言葉を投げかけた。

武田勢は刈谷原城を棄てた。

晴信の命により城将諸角は城を棄てて深志城に兵を引き上げさせたのだ。

策に嵌らず、あくまでも持久戦の構えを見せる武田勢に忸怩たる思いを抱きながらも撤退の下知を願い出る宇佐美。

宇佐美の具申に景虎も同意する。

越後勢の撤退が決まったその時、城を棄てたはずの武田勢が引き返したのだ。

諸角の独断による行動であったが、景虎はこれを武田方の徹底抗戦の構えと受け取ると、城攻めの命を下す。

功に焦る諸角は玉砕の覚悟を決めていた。

玉砕を覚悟したかのような諸角の行動に武田家中に動揺が走る。

晴信は諸角救出の為に信繁を派遣する。

想定外の出来事であったが、ここに勘助の才が冴える。

勢いづく景虎の逆手を取って、夜討を進言したのだ。

事実の誤認がさらなる誤認を招く。

偶発的な諸角の行動であったが、夜討を仕掛ける武田勢を前に、宇佐美は自軍を押し留めて挟み撃ちにする作戦と誤認したのだ。

挟み撃ちに会う前に兵を引かせる。

夜陰に紛れ、越後勢は撤退した。

夜が明け、目の前にいたはずの越後勢が撤退し、事態が呑み込めず驚きの表情を浮かべる諸角。

その諸角の前に信繁が現れると、信繁は涙ながらに独断行動をとった諸角の頬を打ち据えた。

下知に背いた諸角を叱責する晴信と諸角を庇う信繁。

晴信の詰問に老々の身に思う様な活躍が出来ず、老将の悲哀を感じていた諸角は厳罰を望んだ。

諸角の弁明を聞いた晴信はさらに怒気をみなぎらせると、刀の柄に手を掛け諸角に押し迫った。

「役に立つか立たぬかは儂が決める事じゃ!!」

晴信は命に背いたものの、結果、諸角の思いがけない行動が越後勢の撤退を促した。

晴信はそれを諸角の功績として、命令違反の罪を免じ、この顛末を教訓として生き恥を晒し続ける事を諸角への懲罰としたのだ。

諸角は晴信の恩情に悔しさとも嬉しさともとれぬ言葉を絞り出して嗚咽した。

越後勢の撤退を持ってこの戦いに決着がついたと思われたが、撤退していたはずの越後勢が突如として踵を返して川中島に向けて転進したのだ。

千曲川を挟んで対峙する両軍。

魚鱗に構える越後勢に対し、鶴翼で備える武田勢。

一騎川岸へ駆けだした景虎は、対岸の武田勢の陣立ての見分をすると、これを晴信からのはなむけとした。

景虎は晴信と再び戦場で相まみえる事を予期しながら越後に引き返したのであった。

かくして、第一次川中島の戦いは終わりを告げたのであった。

つづく
Posted by 田舎帝王 at 2017年12月25日 20:05
夜も更けた、甲府市内の夜八時。

サテ田舎帝王さん。女城主直虎の放映終了後、益々磨きの掛かった、「風林火山」の活写、見事也。

最後のシーン。緒形拳演じる宇佐美が、はっはっはっと元気良く河原を後にする景虎(学徒演)と対照的に、短く「はっ」と馬に鞭を入れ、立ち去る場面が、印象的でしたナ。
思えば、緒形拳の最後の大河。既にこの時、癌に冒されていた緒形拳が、自らに鞭打つように、演じたこの作品を、思い返すと胸に万感迫るものが在ります。
Posted by 百足衆 at 2017年12月25日 20:17
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