
日本のゆるキャラの中で、熊本県をPRする「くまモン」の知名度はトップクラスに位置します。
2013年に天皇皇后両陛下に拝謁し、くまモン体操を披露するという偉業を成し遂げたことはあまりにも有名ですが、日本に出没する半熊半人はこの人ぐらいで、あとは山菜取りに山に入った人を襲う熊は、100%熊であって人間の要素はありません。

ヨーロッパには、半熊半人の伝説が広く行き渡っています。
その代表的な存在が、「熊のジャン」です。ちなみにジャンは固有名詞で、神奈川県民がよく用いる接尾辞ではありません。
「熊のジャン」は、熊の父親と人間の母親との間に生まれた毛深い男の子で、乱暴だった為に退学処分を受け、鍛冶屋に弟子入りします。やがて鍛冶屋を辞して旅に出、遍歴の後に王の試練を突破して王女のひとりと結婚する、というお話です。
外見は毛むくじゃらで、当然あまり若い女性に受けない容姿だったと思われますが、異本では「顔だけは美少年だった」という記述もあります。おそらく後付の設定でしょう。
また大変な馬鹿力だったそうです。熊の体力は人間のそれより強そうですから、或る意味自然とも言えますが、ともかくこのジャンをして異形のヒーローにする不可欠な要素です。
旅の遍歴の内容も、孤独な男の苦難な道のり、というよりも、現代のロールプレイングゲームそっくりです。
鉄の杖だとか老婆が持っている傷を治す膏薬だとかマルセイユ産の石鹸だとか、そういったアイテムを集めて難関を突破し、次のステージに進む・・・という展開は、民話というよりもゲーム感覚そのものです。
中世フランスは、その土地の多くが森で覆われていました。人口の95%を占める農民が、年貢を取り上げられた後の飢餓に苦しみ、そのために森を開墾して農地に変えていく、というプロセスの中で、熊に遭遇した人たちも多かったことでしょう。実際に熊と人間の混血児が生まれたどうかは疑問ですが、この民話の背景にはそういった「熊との遭遇」が基調になっていることは間違いなさそうです。

そういうわけで日本には半熊半人はあまりいませんが、海産物との混血児は割りと多くいます。一例を挙げると、2002年に新聞記事にもなった「暴カニ男」という、タラバガニと人間の混血児が有名です。
(本文と写真は関係ありません)
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けふの「わろ天下」わろ(葵演)たちの前に突然現れた、わろ母(鈴木演)は、何を想うのだろうか。お愉しみに。
という、回になります。
乾坤一擲、一番槍。
どうも私はお行儀が悪いらしく、妻からは「熊が服を着て、二本足で歩いているみたい」と言われております。猫なら良かったのですが。
けふの「わろ天下」わろ(葵演)は、ラジオ出演する団子(波岡演)を後押しする。
という、回でした。
サテ田舎帝王さん。一番槍、見事なり、うっかり油断して、心の隙間に一本取られた形です。
恒例の、昼食予想。
GATTOさんは惣菜パン。
デハサン達は、中華料理。
ラーサンはラーメン。
田舎帝王さんは、難関だが、ひつまぶしと予想。
一応、中華料理ってことになるかな?
サテGATTOさん。
さては、雷撃コースを読んで、悉く爺の雷撃を、回避する算段なのですかナ。
佳い佳い。
それも、作戦のうち。米国の空母エンタープライズが、遂に日本海軍の魚雷を全て回避したのと、同じです。
此れからは、エンタープライズさんと呼ぼう思います。
今日のお昼は、
セブイレのわかめご飯おにぎりとねぎサーモン巻きでした
諏訪より由布姫吐血の知らせが晴信のもとに届けられる。
知らせを受けた晴信は由布姫の症状を勘助に伝える。
由布姫の体調が思わしくないことを伝え聞いた勘助は急ぎ由布姫のもとへ駆けつけたのであった。
余命幾ばくかもないことを悟り、覚悟を決めた由布姫であったが、気掛かりは四郎の行く末であった。
勘助に四郎の行く末を託し、「生まれ変わるなら水鳥に生まれ変わりたい」と勘助に語り聞かせ、気弱な由布姫の姿に勘助は動揺の色を隠せなかった。
その日の夕刻、晴信と勘助は由布姫に信濃攻略の相談を持ち掛ける。
木曽を抑えるか、越後攻略を優先するか。
由布姫は木曽を討ち破った後、木曽と縁組をして木曽を武田に取り込む策を献じる。
女ならではの策に舌を巻く晴信と勘助であった。
その頃、対越後戦の前線基地となる旭山城では、河原田伝兵衛が持ち込まれた鉄砲の手入れを行っていた。
鉄砲を調整する伝兵衛の姿を見た真田の女素破葉月は伝兵衛に「彼女が居ないのか?」と伝兵衛に迫る。
伝兵衛は妹ミツと勘助の顛末を話す。
伝兵衛は「自分の主である勘助が独り身なのに自分だけが所帯を持てない」と葉月に独身で過ごす理由を話す。
伝兵衛は葉月に諜報の仕方を訊ねると、葉月は「自分の身体を売って情報を聞き出す」と赤裸々に語ると伝兵衛は気まずくなる。
「気持ち良くなると得した気分になるぞ」
葉月は閨の話を役得とばかりに自慢げに語ると、伝兵衛は嫉妬して葉月の口をふさぐ。
晴信に従い木曽へ出陣する勘助は由布姫の元を訪れ出陣の挨拶をする。
由布姫は出陣の報告に上がる勘助に「約束を違えぬように」と念押しした上で「木曽との戦が終われば身を固めて山本家の跡取りを作る様に」と厳命する。
由布姫の厳命に勘助は「終わった話」と固辞するが、「自家の事をおろそかにする人間に四郎を託すことは出来ない」と脅しをかけ、強い言葉で勘助に詰め寄る。
気迫の籠る由布姫の言葉に勘助は折れるしかなかった。
勘助と約束を交わした由布姫は勘助の山本家の隆盛と武運長久を祈り別離の言葉とした。
木曽攻めに取り掛かった晴信は木曽氏の本領木曽福島の目と鼻の先、薮原に砦を構えた。
木曽攻めを目前に控え、軍議を開く晴信のもとに急報が届く。
長尾景虎が軍を率いて信濃に入ったのだ。
善光寺平に陣を敷いた景虎であったが、犀川の河岸に建つ旭山城が邪魔となり、景虎の軍勢は足止めさせられていた。
越後勢は旭山城を前に北信濃攻略に手こずっていたが、越後きっての知恵者宇佐美定満は旭山城の後方にそびえる葛山に付城を築き、逆に旭山城を封じる策を献じる。
定満に策に従い、越後方が葛山に城を築くと戦は膠着状態に陥った。
しかも、膠着状態が続けば旭山城の兵糧が尽き、武田方の不利となる。
200日にも及ぶ籠城戦は武田方に焦りを生じさせた。
木曽攻めに集中したい勘助は景虎との和議を申し出る。
和議の条件として、景虎の撤兵と引き換えに旭山城を破却するというものであった。
勘助は駿河の太原雪斎に和議の仲立ちを依頼する。
武田方の申し出に従い雪斎が軍使として越後方の陣営に入り、景虎と和議の交渉に入る。
交渉の席上、晴信の不正義を糺す景虎に対し雪斎は「晴信ではなく己を信用して欲しい」と談判に及ぶと、景虎は雪斎の顔を立てる形で和議の申し出を受け入れる。
和議の交渉を成功に収めた雪斎は晴信と酒を酌み交わし、駿府に帰還した。
駿府に戻った雪斎は松平元信の酌を受けて悦に入る。
元信は雪斎の秘蔵っ子であった。
雪斎は自分の後事を託せる男子として元康の才を高く買っていたのである。
元信の酌を受けた雪斎は盃を飲み干そうとしたその時、視線は上を向き、手から盃を滑り落したのであった。
雪斎は卒中で倒れたのであった。
元信は人事不省に陥った雪斎に向かい、恩師の願いであった「天下静謐」の誓いを立てたのであった。
弘治元年
この年、太原雪斎はこの世を去った。
雪斎の死に接した今川義元は落胆し、今川家に暗い影を落としたのであった。
雪斎が後事を託した松平元信は後に元康と名を変えた。
後の徳川家康である。
雪斎が世を去るのと時を同じくして諏訪にも不幸が訪れようとしていた。
今際の際にあった由布姫は元服する我が子の姿を見る事なくあの世に旅立つ不幸を嘆いていた。
晴信は由布姫の無念を思いやり、四郎の諱を伝えた。
諏訪四郎勝頼
諏訪と武田を繋ぐ男子となるようにと、父晴信の期待の籠った諱であった。
我が子の事、諏訪の事、武田の事。
それぞれの行く末を案じながら由布姫は晴信の腕に抱かれながら身罷ったのである。
景虎と和議を結び、川中島から陣を払った勘助は休む間もなく薮原に取って返した。
木曽が降伏を申し入れたのだ。
だが、木曽が降伏したとはいえ、降伏を潔しとせぬ一派が武田に対して一戦構える気配がある。
木曽攻めを任された総大将秋山信友は戦支度を解くことなく木曽に睨みを利かせていた。
その信友の懸念は的中した。
木曽の残党が攻め寄せたのだ。
攻め寄せる木曽の残党を迎え撃つべく陣に向かおうとする勘助に由布姫の訃報が届けられる。
だが、戦陣の勘助には由布姫の死を嘆く暇は与えられなかった。
戦場に赴いた勘助は鬼神となり刀で攻め寄せる兵を薙ぎ払った。
その刃の冴えは由布姫への慕情と愛すべき女性の死を振り払うがごとく激情の籠った激しさがあった。
つづく
通常は、
@豚ロース薄切り数枚が生姜たれで焼いてつれあわせの野菜と一緒に盛られてくる
A牛カルビ数枚が生で出され、ロースターで焼いて食べる。
のどちらかだと思います。
ラーメン屋なので、Aはないので@と思って頼んだところ、出てきたのは厚切りの豚肉が切られてキャベツの上に載ったものでした。
たしかに肉を焼いたものでしたが、「焼肉定食」の概念からはかけはなれ「トンテキ定食」とでも呼ぶべきものでした。
しかも、わずかに塩味がついているだけで、キャベツの上に載っており、実態としてはトンテキですらなく(別添えのソースすらなく、卓上の汎用ソースまたは醤油、ラー油、胡椒などで味付け)「トンカツのころもを取り去った肉定食」でした。
うほっうまそうじゃうまそうじゃ。
けふの「わろ天下」わろ(葵演)達は、ラジオ出演した団子(波岡演)の落語を、複雑な思いで聴く。
という、回になります。
サテ田舎帝王さん。
天晴れ、見事な解説也。感涙しました。
一番槍、大河ドラマ解説いずれも田舎帝王さんが覇者となった。
素晴らしい感動をありがとう。
ジャーンボーグエース!
蒋介石は「ジャン・ジェシー」と発音するのです。
ハウス本中華ジャンなのです!
昔蒋介石をジャンジェシーと呼んだら
「なにそのフランス人?」と言った奴がいたのです。です!
ジャンクフード。菅原君の常食!!
デハ様、デハ様、とても良い、
藤原詩が、
書けてます。
書けているのです。
流石、我が藤原氏の一族。
藤原詩の真髄は、
藤原氏にしか、書けません。
書けないのです。
ではここで、菅原詩を、ご紹介しましょう。
百足衆さん、75%ではなく40%です。
デハさん、ポルシェに91はありません。
藤原さん、私は頭は良くありません。
なのです、なのです。
この、かわずやま!かわずやまの、ICAN事務局長!
ICANから、ICANTに、名称変更せよ!せよ!せよ!
はっ。
感想遅くなりました!
すごいです!
放送見ましたけど、ここまで深く理解してませんでした!
脱帽です。これからも川中島向けて、毎回レビューを楽しみにしています!
あの時の勘助は由布姫の死を受け入れたくない気持ちと、戦を仕掛けられ、由布姫を弔う事を赦さなかった木曽の残党への怒りが籠っていたと思います
いよいよ話も終盤になりました
一年にもわたる物語が終焉を迎えつつあるのは寂しいものがありますね
田舎帝王さんの風林火山、クオリティ高いわ!高すぎるわ!
行間の心理描写が最高ね〜👍👍👍👍👍
普通の視聴者にはわからないかもしれないわね〜🏯🏯🏯
でもそんな視聴者ばかりじゃ、つまらないわよね〜💀💀💀💀