2018年01月23日

狐のルナール

12世紀後半のフランスに生まれた民話です。

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狐は、犬科の動物です。
人間には、ペットとして猫を愛する人(私もそうです)と、犬を愛する人(私の家族がそうです)に2分極化されていますが、その両者から愛されつつ、その両者から同時に「ちょっと胡散臭い生き物」と思われているのが、狐です。

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「狐のルナール」は、中世フランスの民話に登場する狐です。
この狐を主人公とした物語は、日本では「狐物語」として翻訳され、悪賢い狐ルナールを中心として、ルナールが他の動物を騙そうとする様々な話や、狼のイザングランとの闘争、ライオンの王のノーブルの前で行われる裁判などを風刺的に描くオムニバス形式の物語です。作者は個人ではなく、多くの小説作家が「ルナール」を素材にしてこの物語を共同で構成しています。

この物語の主人公。「狐のルナール」は、現代の道徳観で見ると、とんでもない「悪党」です。ほぼ同時代にドイツ語圏で流布した「ティル・オイレンシュピーゲル」とほぼ同等の悪事を働いています。
常に他人を騙すことばかり考えており、言葉巧みに話しかけては、他の動物たちをとんでもない目にあわせて喜ぶどうしようもない性癖の持ち主です。

人を騙す=知性を備えている
という図式が確立したのは、中世が初めてなのではないでしょうか。
日本に「稲荷神社」が成立したのは、8世紀の伏見稲荷大社が最初です。もともと狐はご神体ではなく、神使であって稲荷神そのものではないのですが、稲荷神社が爆発的に普及した江戸期に於いては、稲荷=狐という同一視が行われており、油揚げを近所の稲荷神社に奉納するという習慣も江戸時代に始まったものだそうです。

「狐のルナール」も、宗教色を前面に打出した教訓譚ではなく、むしろキリスト教の聖職者をバカにするような場面が頻出しており、そういう点では「リアルな現場労働者の祈りを主に伝える役割」として、重用されたのかも知れません。

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子供向けの小説「快傑ゾロリ」も、こういった中世ヨーロッパの雰囲気を残しつつ、同時に多くの就学前の日本児童たちうを感動させた傑作譚だったのだと思います。
今年は戌年。多くの犬科の動物が活躍しそうな年です・

(本文と写真は関係ありません)
posted by シモン at 05:00| 東京 ☀| Comment(33) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
積雪tなつた、甲府市内の夜明け前。
爺の近くにも、狐や狸が住んでいますゾ。

乾坤一擲、一番槍。
Posted by 百足衆 at 2018年01月23日 05:03
今週の西郷どん 〜石高について その2〜

石高にはふたつありました

ひとつは各藩が幕府に提出した石高で、これを表高といいます。

藩に課せられる軍役(参勤交代の人数や手伝い普請など)や大名の格式(江戸城で藩主が待機する部屋や将軍に対面できる位置や極官と呼ばれる藩主が就任できる官職など)はこの表高を基準に算出されます。

もう一つの石高は実際の収穫量を表す石高で実高とも内高とも呼ばれるものです。

尾張藩の領域は尾張一円と美濃、近江、信濃、摂津などに飛び地を有してその総数は62万石(46億5千万円)になります。

この62万石が尾張藩の表高になりますが、新田開発や木曽の木材の売り上げで実高は100万石(750億円)の収入があったと言われています。

尾張藩には62万石に対して軍役が課せられるので、表高より実高が多ければその分財政に余裕が出来るわけです。

幕府は各藩の実高を把握していましたが、高直しと呼ばれる修正報告が無ければ表高は据え置かれました。

経済的に余裕のあった尾張藩の税率は低く、四公六民とも三公七民とも呼ばれ、庶民も経済的余裕があり、尾張藩の藩庁の置かれた名古屋は「芸どころ」と呼ばれるまでに発展しました。

薩摩藩の版図は薩摩、大隅両国と日向の一部及び琉球諸島とその総石高は90万石(675億円)と呼ばれ、加賀100万石に匹敵する大藩ですが、薩摩藩はとても貧乏な藩でした。

90万石を有する薩摩藩ですが、実高はその半分以下の35万石(26億2500万円)と言われています。

幕府から課せられる軍役は表高に対して算出されるため、薩摩藩は赤字財政になる運命を決定づけられていたのです。

幕府が薩摩の力を恐れて木曽三川の河川改修工事(宝暦の治水)に代表されるような過酷な軍役を科したと言われていますが、薩摩藩が35万石の実高に対して78万石(90万石のうち琉球支配分の12万石には軍役が課せられなかった)と実高の倍以上の石高を申請している以上、薩摩藩は赤字覚悟で幕府からのを引き受けなければならなかったという事情もあったのです。

ちなみに、宝暦治水以前の借金は60万両(180億円)でしたが、宝暦治水により新たに40万両(120億円)の借金を抱え込み、100万両(300億円)まで借金が膨れ上がりました。


ほかに薩摩藩が貧乏だった理由としては薩摩藩独特の事情がありました。

ひとつは、台風や桜島の噴火と自然災害に悩まされた地域であり、特に火山灰が降り積もったシラス台地ではコメ作りに不向きな土地でもありました。

また、薩摩藩には人口の約40パーセントを占めるぐらい武士が多かった為、彼らを抱える維持費も犯罪性を圧迫させる理由の一つでもありました。

身丈に合わぬ表高、頻発する自然災害、大量の家臣団と藩財政をひっ迫させる要因を抱えていた薩摩藩でしたが、ある男が薩摩藩主に就くまではまだ、100万両程度の借金で済まされていましたが、ある男の登場により500万両(1500億円)まで借金の額が膨れ上がれました。

男の名前は島津重豪。

薩摩藩8代藩主であり、島津家25代当主である彼は、洋学好きとも知られ蘭痴(らんぺき)大名と呼ばれた異色の大名でもありました。
Posted by 田舎帝王 at 2018年01月23日 09:27
ほほほほ〜

田舎帝王さんの解説は本編よりも面白くて為になるわ〜👍👍👍👍👍

島津重郷、その孫の斉彬が、重税と借金を重ねた元凶とも言えるわよね〜👌👌👌👌👌
Posted by おんな城主 at 2018年01月23日 12:09
快晴となつた、甲府市内のお昼時。されど雪解け水で歩き難い。

けふの「わろ天下」キースとアサリが、銭湯に行く。
という、回でした。

サテ田舎帝王さん。解説見事なり。セゴどん紀行、田舎帝王さんの解説をそのまま流せば佳い。
ただそれだと、本編のセゴどんの内容と矛盾してしまうかもしれない。

けふの昼食が、発表された。五目ラーメンだ。

GATTOさんは惣菜パン。
デハサン達は、ライスカレー。
ラーサンはラーメン。
田舎帝王さんは、きしめん。

と予想。
Posted by 百足衆 at 2018年01月23日 12:17
百足衆様、ピンポン♪

味噌ラーメン食べました。
Posted by ラー at 2018年01月23日 12:44
今日はハンバーグを食べてきました
Posted by 田舎帝王 at 2018年01月23日 14:12
今日はチキンソテーでした
Posted by 谷汲線デロ一形 at 2018年01月23日 17:30
田舎帝王さん

犯罪性は、藩財政の誤記ですね。
Posted by 菅原 at 2018年01月23日 17:34
菅原君この、
だらくそ!だらくそ!ぱげ!ぱげ!かわずやまの、白根山!

犯罪性で、合っている!
余りに武士が多ければ、武士によって斬り殺される人が、増える!チェストだ!

そういえば、狐のルナールで思い出したが、菅原君はかつて「ごんぎつね」とも呼ばれていたな!

早く、天然うなぎを持ってきたまえ!撃ち殺して、しんぜよう。

ごんぎっ ごんぎっ。
Posted by 藤原 at 2018年01月23日 18:43
こんばんは

百足衆先生、今日のお昼は唐揚げ弁当でした。サブマリン707は、今日も雷撃を免れました。
Posted by GATTO at 2018年01月23日 19:00
NHKの人形劇で狐のルナール見てました。
「ルナール ルナール 狐のルナール」と歌ってました。
ルパン三世と同じ声で、ひょうひょうとしてずるがしこい感じがしていました。

それにしても、動物が擬人化された作品においては、
狐=ずるがしこい小悪党
狼=悪者
狸=狼の子分で八兵衛的存在
ライオン=王様
虎=敵の最強戦士
ふくろろう=学者
猫、兎、栗鼠=美少女
熊=人の良い巨漢
というパターンが多い気がします。
しかし、兎に関しては日本では少女であることが多いのですが、アメリカではむしろ男性の方が多い気がします。(バックスバニーなど)
Posted by デハ at 2018年01月23日 19:07
田舎帝王
薩摩藩全体では士族4割ですが、それをさらに倍近く上回っていたのが、重臣北郷氏が治めていた都城です。なんと武士が7割でした。また、石高も4万石もあり、中規模の藩なみでした。支藩の佐土原が26000石ですから異常ともいえる石高です。これは北郷氏が島津一族かつ家臣でありながら、都城を足利尊氏や豊臣秀吉などの時の権力者から直接賜った歴史があることと、その戦力で島津氏への貢献度が高かったことに由来します。
 よく勇猛な薩摩隼人と言われますが、実際には九州統一戦、豊臣との対決、朝鮮出兵、関ケ原、そして戊辰戦争、西南戦争と、最も精強だつたのは日向分にあたる都城と佐土原の部隊でした。
私は、都城もまた、福島・山形・栃木と同じく、三島通庸の暴政に苦しみ奴を憎んでいる土地ということで、非常に強い親近感を持っている土地です。また、北郷時久の活躍も知っているからです。なお江戸時代以降は島津姓を名乗っていました。
 福島県民には非常に強い反長州感情がありますが、反薩摩感情は殆どありません。ただ唯一例外的に憎しみを一身に向けられている個人が、三島なのです。13世紀に島津から分家して以来、領民皆兵で戦い続けた北郷氏の領地での武士の比率は日本一でした。
Posted by デハ at 2018年01月23日 19:21
老師
今日は大雪のため食事に行くことが出来ず買い置きのカップラーメンで済ませました
Posted by デハ at 2018年01月23日 19:22
動物の物語で、ひとつ気になることは、ビーバーや猿、犬などの主人公が、虎やオオカミや熊より強いことです。非常に腹が立ちます。
ドンチャックとか出っ歯のビーバーのくせに生意気だと思います。
また、異種の動物の恋愛や結婚があり、どういう子供が生まれるのか不義です。
 80日間世界一周では、主人公のフォグ卿はライオンでしたが、伴侶のレミイ姫は黒豹もしくはシャムネコと思しき生き物でした。まだ、ライオンと豹の場合レオポンが生まれるので心配ありませんが、犬と衛詐欺は混血できないはずです。

 私はビーバーが知恵と勇気で虎やオオカミや熊に喝などということは許せません。
また、群れで強いものに立ち向かうのも嫌いです。
 「スイミー」などを見ると恐怖と嫌悪感を感じます。弱者の団結や悪知恵により強者を倒すなどということはあってはならないと考えているからです。
私は1に高貴な身分の者、2に強い者が勝つ世の中が正しいと考えているのです。
高貴なものはそもそも戦う必要がなく、また強いものが弱いものを従えて当然だと思っているからです。革命や下剋上を連想させるものが何より不気味で嫌悪感を感じるものなのです。イナゴや蟻やネズミなどが嫌いで怖いです。
 集団の力や悪知恵で秩序を覆そうとする者、例えば半島の連中や我が国のマスコミ・野党などは私の最も嫌悪する存在なのです。
Posted by デハ at 2018年01月23日 19:33
デハさん

出っ歯のビーバーは、ナナコカードを拾ったんでしょうね。
チャージ金額が多ければ、しばらく無職でも無敵です

チャージング、ゴーーーーー
Posted by シモン at 2018年01月23日 19:39
貧しい藩と言えば、おそらく日本一貧しいのは南部盛岡藩だったに違いありません。
もともと面高10万石ですが、実際はせいぜい半分だった思われます。仮に10万石正味あったとした場合でも、我が二本松藩は現在の二本松市・本宮市・郡山市・大玉村の福島県中通り中北部のみで同じ10万石ですが、青森県の東半分+岩手県の北2/3+秋田県の比内地方という広大な領地で同じ10万石ですから、それだけでも貧しいと言えます。冷害に悩まされ米もとれず、薩摩を救った芋すらなく、昭和になっても教科書に「飢えて大根をかじる南部の少年」の写真が掲載されるほどでした。しかも、不倶戴天の津軽が10万石に格上げされたことに危機を感じ、領地が増えたわけでも新田開発に成功したわけでもないのに、20万石に格上げしてもらったため、貧乏度がさらに倍になりました。北海道警備に自ら志願したり、藩主替え玉作戦がばれないように工作したり、重臣の下斗米英之進が津軽藩主を襲撃したりと、これまた貧乏まっしぐらに突き進んで行きました。「打倒津軽」だけを生きる糧として寒さと飢えに耐えて戦い続けたものすごい藩でした。戊辰戦争では津軽が西軍についたため東軍入りしたと言われています。
Posted by デハ at 2018年01月23日 19:41
シモン様
私は歯や歯茎を露出させた人物や生物がどうも好きでないようです。
猿とか、久本とか、蓮舫とか、辻元とか、山尾とか・・・。
また、私はどうも、顔が丸く髪の長い女性が好みで、刈上げ頭で頬の扱けている女性を嫌う傾向があるようです。
久本とか、蓮舫とか、辻元とか、山尾とか・・・。
あ、一致しましたね。
Posted by デハ at 2018年01月23日 19:57
藤原さん
犯罪性であっています。
鹿児島県、特に菅原さんの出身地近くでは、女性はおかされたらその相手の妻となる「おっとい嫁じょ」という風習が昭和33年まで残っていました。ある女性が裁判をうつまでは、当然のこととされていたそうです。中にはうちの娘をおかしてくれてありがとうと親が挨拶に来る例すらあったそうです。
 また、えのころ飯という犬の丸焼きに米を詰めた料理もあったそうです。
 火縄銃をつるした囲炉裏で鍋を食べ、弾が発車されて誰かが死ぬパーティが実施され、「ひえもんとり」といつて、合戦になると敵味方問わず、強いものが死ぬと、その肝をとって食べればその強さが自分のものになるという風習もあったと聞き及んでいます。粗食に加え、このような野生的な風習が、世界最強の薩摩隼人を産み育てていったのです。「せごどん」でも、これらを盛り込むべきと考えます。
Posted by デハ at 2018年01月23日 20:03
デハさん

私も、ヒステリックに他人を攻撃するくせに自分の事になると逃げ回る、蓮舫とか辻元とか山尾とか大嫌いです。

最近、そのキチガイ女連合に、イソ子という頭のおかしい記者が加わりました。
Posted by シモン at 2018年01月23日 21:17
なんか、前世で姉妹だったかのように奴ら似てますよね
Posted by デハ at 2018年01月23日 21:40
シモン様
私は最近思うのですが、実は野党やマスコミこそが、最も安倍総理大臣・安倍政権の実力を認めているのではないかということです。それは、天変地異や海外での出来事、果てはコソ泥や性犯罪まで、この世に起きるすべてのことは安倍総理大臣のせいだとする、つまり、安倍総理大臣を全知全能の神として崇めているのではないか、そしてイソコは、菅官房長官をその預言者としてみなしているのではないか、ということです。
 また、私は以前はシナ朝鮮に媚びて脚をひっぱる二階、額賀、聖子を憎んでいましたが、これらの存在は=、安倍総理大臣は反対者を消し去る独裁者ではないことの証明になる、ということに気付いたのです。

しかし、マスコミや野党は、安倍総理大臣を独裁者どころか、全知全能の神と畏れ敬ってるのだから吹き出しそうになります。

 それにしても無知で無責任で生意気な女は、何故に刈上げ頭で頬がこけ、歯茎がむき出しという猿のような似た顔になるのか不思議ですね。
Posted by デハ at 2018年01月23日 21:51
僕も丸顔や卵型の頬がふっくらした感じの女性が好みですね
頬がコケている女性は貧相に見えます
あと、女子で刈り上げが許されるのは、運動部に入っているスポーツ少女だけです
Posted by 田舎帝王 at 2018年01月23日 22:43
酷寒の上に酷寒となつた、甲府市内の夜明け前。
けふの「わろ天下」キース達に続いて、わろ(葵演)も銭湯に行くのだろうか。お愉しみに。

サテデハサン。其れは、猿だからです。そして、日本猿の方が賢くて大人しい。あやつらは、日本の猿では、ありません。
Posted by 百足衆 at 2018年01月24日 04:42
おはようございます。

いつも有村架純さんのことを書いておりますが、やはり丸顔の女性は可愛いですね。

サテ百足衆先生、今日は総菜パンも愛妻弁当も持っておりませんので、予想の参考にしてください。
Posted by GATTO at 2018年01月24日 07:41
浮上したままの 707 ですから、雷撃を成功させていただきたいものです。
Posted by GATTO at 2018年01月24日 07:55
酷寒となつた、甲府市内のお昼前。

サテ恒例の、昼食予想。
GATTOさんのヒントにより、惣菜パンと愛妻弁当は、無い。よって、たぬきうどんと予想。

デハサン達は中華料理、
ラーサンはラーメン。
田舎帝王さんは味噌カツ定食。
シモンさんはコンビニおにぎりと、予想。

爺の昼食は、ハヤシライスとなつた。
Posted by 百足衆 at 2018年01月24日 11:21
こんにちは〜

百足衆先生、今日のお昼は、豚バラ白菜あんかけうどんでした。牛肉ごはんも付きます。
できれば、先生の予想通りに、しかも丸顔の女性の話題もありましたので、たぬきうどんにしたかったのですが、このメニューは期間限定のため、豚バラ白菜あんかけうどんを優先させていただきました。
ただ、期間限定メニューがなければ、先生の予想通りにしたでしょうから、80〜90パーセントの正解で良いと思います。
ちなみに、はなまるうどんには、たぬきうどんのメニューがなく、かけうどんにトッピングの天かすを加えるとたぬきうどんになります。
Posted by GATTO at 2018年01月24日 12:34
サブマリン707、撃沈は免れたぬきものの、戦闘能力を失いましたので、帰投を急ぎます。
Posted by GATTO at 2018年01月24日 12:38
あらら、「・・・免れたぬきものの・・・」になってしまいました。やは、たぬきとは縁があるようです。
Posted by GATTO at 2018年01月24日 13:02
本日のお昼は冷凍食品の詰め合わせでござった
Posted by 田舎帝王 at 2018年01月24日 17:02
今週の西郷どん その2 〜島津重豪〜

歴史を紐解いてみると、時代と時代を結び付ける人物が現れる。

彼らはその能力のみならず、長命故に時代と時代を結び付ける事が出来た。

島津重豪もその一人。

彼無くして幕末に薩摩藩が世に出る事は無かったであろう。

これは、西郷どんの前日譚。

島津重豪が第八代薩摩藩主に就任したのは宝暦5(1755)年の事である。

宝暦といえば、薩摩藩にとって悪夢ともいえる木曾三川の改修工事、世に言う宝暦治水が終わって間もない頃である。

重豪の父は薩摩藩7代藩主島津重年といい、彼が藩主を務めていた宝暦3(1753)年に幕府より木曽三川の治水工事(宝暦治水)を命じられたのである。

宝暦治水は宝暦4(1754)から翌年の宝暦5(1755)年にかけて費用40万両、総数約1000名の人員を出して行ったこの事業は切腹・病死合わせて89名の犠牲者を出した。

普請終了後、普請奉行を務めた平田靱負が普請の責任を取り切腹した話は薩摩義士としてよく知られているが、幕府からの重責を負わされた年重もまた普請の心労が祟り翌年の宝暦6(1756)年に27歳と言う若さで病没した。

重豪が年重の跡を継いだのは僅か10歳の時であった。

重豪は幼くして父を亡くし藩主の座に就いたため、祖父の島津継豊次いで外祖父の島津貴儔(たかとも)の後見を受けたのち、宝暦13(1763)年貴儔の死を持って藩政の実権を握る事になった。

藩政の実権を握った重豪は武辺一辺倒の薩摩の気風を嫌い、大規模な文化事業に着手した。

現在、天文館と呼ばれる鹿児島市きっての繁華街はこの時、天文暦学の研究所として重豪によって造られた明時館(通称・天文館)に由来している。

科学技術以外にも医学、武芸、学問などの文化事業に着手して薩摩藩の文化・知的レベルの向上に努めたが、これらの文化事業には莫大な資金が必要で、500万両の借金のうち400万両は重豪の時代に築き上げられたものであった。

藩財政を傾けるどころか壊滅状態まで追い込んだ重豪は本来であれば強制的に隠居させられてもしかるべき存在であったが、彼が藩政の実権を握り続けられたのは、重豪の娘篤姫(13代将軍に嫁いだ篤姫は彼女の名前に由来している)が一橋豊千代(後の徳川11代将軍家斉)の正室に収まっていたためである。

本来、将軍家の正室は摂家もしくは宮家から降嫁するのが慣わしとなっているが、将軍職に就くはずの徳川家基が急死したため、豊千代が家斉改名して将軍宣下を受ける事となった事情から、将軍の正室が外様大名の娘と言う想定外の出来事が幕閣の頭を悩ませることとなった。

そこで、篤姫は島津家との縁がある五摂家筆頭の近衛家当主近衛経煕の養女となり、名を近衛寔子(ただこ)と変えて無事に家斉の正室に収まったのである。

将軍家の外戚と言う地位は重豪の権勢を盤石なものとしたが、揺るぎない権力を握った重豪に反旗を翻す動きがあった。

藩政を専横する重豪に対し天明7(1787)年に重豪から藩主の座を譲られた薩摩藩9代藩主島津斉宜(なりのぶ)は文化2(1805)年に『亀鶴問答』を著し、放漫経営を改めない父重豪に対抗する形で緊縮経済による藩政改革に着手した。

斉宜は家老樺山久言の推挙により秩父季保を家老に据えて久言と共に藩政改革グループ『近史録派』を組織させ藩政改革に着手した。

参勤交代の10年間の停止
殖産業関連以外の投資の凍結
琉球貿易の拡大等など
直接藩政に関わるものから
洋学趣味や鷹狩の禁止といった重豪の私生活に至るまで、改革の網は多岐にわたった。

しかし、参勤交代の凍結や琉球貿易の拡大は公儀の意向に逆らうものであり、はなから実現不可能なものであり、重豪の私生活にメスを入れる改革は重豪の怒りを買う事になった。

近史録派による改革は文化4(1806)年の久言の家老抜擢から始まったが重豪による激しい妨害にあい、翌年の文化5(1807)年に頓挫することとなった。

重豪に対して反旗を翻した近史録派への処罰は苛烈さを極めた。

改革を推し進めた久言と季保は切腹。
久言と季保の二人以外にも切腹13名、遠島25名、剃髪42名、逼塞23名、謹慎等12名の犠牲者を出した。

更に、文化6(1808)年には改革の責任を取らされる形で藩主斉宜は強制的に隠居させられた。

斉宜に代わって藩主の座に就いたのが薩摩藩10代藩主島津斉興である。

斉興は重豪の孫にあたり、彼が藩主の座に就いたのは19歳の時であった。

若き藩主に藩政を握る事など出来ず、斉興は名ばかりの藩主で重豪の傀儡に過ぎなかった。

改革を握りつぶし、実子を隠居に追い込んだ重豪ではあったが、彼によって見出された人物もいた。

一人は薩摩藩の財政を任され、後に斉興の信任を得て藩政改革を成功に導いた調所広郷。

もう一人は重豪の曾孫であり、文字通り寝食を共にして過ごした島津斉彬である。

重豪から薩摩藩の未来を託された二人であったが、その方向性の違いから激しく対立しあう仲となる。

しかし、これは重豪の死から20年以上先の事である。

島津重豪

彼は幕府の重圧により薩摩藩が追い込まれていた時代に藩主となり、彼がこの世を去る時、薩摩藩は幕府に対して純然たる影響力を持つまでの雄藩となった。

しかし、彼の改革は薩摩藩に天文学的な借金を負わせ、彼の改革により多くの薩摩藩士や領民が重圧に苦しむ事となった。

彼の実績に対する賛否は抜きにしても、江戸幕府の最盛期から幕末の混乱へと向かう時代の橋渡し役を十二分に果たしたことは紛れもない事実である。
Posted by 田舎帝王 at 2018年01月24日 19:08
ほほほほ〜

田舎帝王さん、的確な解説に惚れてしまったわ〜

でも誤解しないででね〜
男女の惚れた張ったとは無関係よ〜(私自身、おばさんよ〜)

そう、斉彬の爺さんであります重剛の浪費ぶりを描かないと、何故薩摩が貧乏なのか、さっぱりわからないわよね〜

米沢藩は、そこまで貧乏じゃなかったわ〜💀

歴史のドラマで、歴史を描く気がない脚本家はダメね〜(原作者も。ボソッ)
Posted by おんな城主 at 2018年01月24日 20:58
酷寒酷寒酷寒となつた、甲府市内の夜明け前。
けふの「わろ天下」松坂桃李は、生き延びることができるのだろうか。お愉しみに。

サテ田舎帝王さん。見事な解説、天晴れなり。
こういった歴史背景を、知ってしまうと、セゴどんが如何につまらない話かが、露呈する。
Posted by 百足衆 at 2018年01月25日 04:45
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