
全国的に今年は例年よりも寒い冬になっています。冬に温まるものといえば鍋料理や炬燵・ファンヒーターといった暖房器具は勿論ですが、暖かい湯船につかってお風呂で温まるのも一つの方法です。しかし湯船から上がった途端に寒い脱衣所でヒートショックを起こす人が多いそうです。くれぐれも気をつけてください。

江戸時代、江戸市中では自分の家に持ち風呂を有していた人は一部の上級階級を除いて殆どおらず、共同浴場である銭湯を利用していました。
銭湯のメリットの一つは、持ち風呂と違って広い浴槽で思い切り体を伸ばすことができることです。現代でも大田区あたりに行けば、風呂のないアパート住いの人向けに銭湯が何軒か営業していますが、持ち風呂のある人も時々その開放感を楽しむために銭湯を訪れるそうです。
銭湯は、基本的には自分で自分の体を洗い、湯船に浸かって脱衣所で体を拭き頭髪を乾かして牛乳を飲む。という場所ですが、銭湯側でも接客業としてのサービスを用意していました。
最初に登場したのが「湯女」です。これは、客の背中を洗い流すサービスを行う女性でしたが、次第に性的な仕事も担当するようになり(旅籠での「飯炊き女」と同じです)、慶安年間(家光〜家綱の頃)に湯女は風俗取締り上好ましくない職業として禁止されました。
それに代わって登場したのが、「三助」です。三助は男性客だけでなく女性客の背中を流す仕事もしていました(主たる仕事は、薪で風呂を沸かすことです)。女性客も相手にするからといって湯女の男性版のような役割を担っていたのではなく、高齢者などで性的な対象と見られなかった男性が担当していたそうです(ちょうど、按摩師がしばしば盲人であるのと同じです)。本当のところ本人はどう思っていたかは判りませんが、少なくとも表面上はそういうことになっていました。
「三助」の仕事は明治維新を過ぎても、銭湯という施設が存続する限り続きました。昭和の中期が、三助=背中流しの最盛期であったとも言われています。しかし持ち風呂率の増加で銭湯そのものが衰退していくのに加えて、有償で背中を流すサービスを必要とする人が減り、2013年に東日暮里の「斉藤湯」で最後まで三助として仕事をしていた人が勇退し、日本から「三助」という職業が消えました。

しかし先日、毎日新聞に「銭湯百景:背中流し「三助」復活の動き」という記事が載り、高齢者を相手に三助のサービスをする人が再び出始めたことが知られるようになりました。
ディープラーニングAIの台頭で、人間の職業のいくつかはこれから短いうちに消滅しそうですが、反対に「復活」する職業も出てくることでしょう。
(本文と写真は関係ありません)
田舎帝王様、一番槍おめでとうございます㊗
デハ様、二番槍おめでとうございます㊗
今日はラーメン食べます!
ラーさん、三番槍おめでとうございます。
シモンさん、四番打者おめでとうございます。
5番バッターといえば柳田選手でしたね♪
はい!永久に不滅です!
軍事オタクさんのような文章ですね。
巨人の3番バッターは、王貞治選手です。
それにしても、王さんは3番打者が多かったけど、彼よりも足の速い長嶋さんや張本さんの方が 、後の4番にいることが多かったようです。単純に見ると逆の方が良さそうですが、王さんが3番にいる打順の方がバランスが良いのかな?
だらくそ!だらくそ!ぱげ!ぱげ!かわずやまの、陸自ヘリ整備士!
王貞治選手は、1番だ!3番ではない!ワンちゃんと言うだろうが!君は英語の1も知らないのか!?
尚、末次選手の背番号は38だ。2、3、5という、3つの連続する素数の二乗の和だ!
ほげらっ ほげらっ。
シナ語では王がワンですから、0番かもしれません。
つまり、王さんは、0であり、1であり、3であり、4でもあるのです。そして89でもあります。
しかし、2番ではないのです。
ないのです!
同じ台湾にルーツがあっても、そこだけは譲れないのです。
おーい、生きてるかい!?
王さんはホームラン打ちすぎて敬遠されることが多かったので、4番より3番が良いのだそうです。
今日は仕事で津田沼に行きます。
お昼は、
「魚骨ラーメン 鈴木さん」というお店に行く予定です♪
サブローさん、親戚のご不幸があったとのことです。
ヨットさん、シモンさん、そうでした!敬遠対策としての3番でした。それにしてもヨットさん、リアル・タイムでご覧になっていないという意味だと思いますが、お若いのですね。
ラーさん、千葉県にいらっしゃるのですか! お仕事とはいえ、楽しんでくださいね。
津田沼に着きました!お仕事、頑張ります♪
最近、一昨日食べた昼食が思い出せない事が多い
なので、昼食予想やってもらえると記録出来て有難い。
魚骨ラーメン 鈴木さん。
美味しかったです!ご馳走さま。
しかし寒いね〜静岡でもこんなに寒いじゃ、甲府はもっと寒いらね。
三助はサブローに似てるね。おいらの仕事も三助だったね。
GATTO殿
おいらは、ジェフの本拠地に住んでます。
ま、いつ引っ越してもおかしくないけど、生まれは千葉の液晶ディスプレイの工場の街です^^
そうです、一刻も早くムカデの爺には、くたばってもらわないと、と思って日々見ていたです。
昼飯予想とか、なんじゃいそりゃよそうぜ。と言いたいのをのど元まで出掛かってぐっと堪えたりしてね。
静岡の海産物の缶詰、千葉の人も、買ってくりょう!
ラーさん、すぐ近くに来てくださったと思うとうれしいです。またあると更にうれしいな。
サブローさん、ケンカするほど仲が良いのですな(笑)。
燈台森さん、こんなにお近くだとは思いませんでした。いつかお会いできたらうれしいですね、