2018年03月07日

遺棄兵器

日本軍が中国大陸に遺棄したとされる化学兵器です。

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先週末、amazonプライムビデオで「帰ってきたウルトラマン」を観ました。旧日本軍が遺棄したイエローガスを食べた怪獣モグネズン(何故モグネズ「ラ」でなく「ン」なのかは不明)が、毒ガスを吐き出し周囲に迷惑をかけるというストーリーでした。

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日本軍がマスタードガスのような化学兵器を開発していたことは、「七三一部隊」と共に、森村誠一さんによって世に広まりました。
しかし七三一部隊は本来防疫給水のために細菌戦の研究をしていた部隊で、毒ガス製造とは関係ありません。
ともあれ、旧日本軍が広島県の大久野島で製造していた化学兵器を中国大陸方面に持ち込んでいたのは事実で、催涙ガスのような兵器を日華事変で用いていた記録はあるそうです。
但し、イペリットのような致死性のあるガスの使用記録は確認されていません。

問題の「遺棄兵器」ですが、日本軍が1945年8月15日に無条件降伏し、武装解除された後に中国大陸にこれら化学兵器を遺棄した、とされる事件です。日本は1997年に発効された化学兵器禁止条約により、中国の遺棄化学兵器を 処理する義務を負うことが決定されました。

ここで、一つの疑問が生じます。
・投降し、武装解除された日本軍は武器を全て撤去し、中国軍に引き渡した筈だが、化学兵器だけが引き渡されず、遺棄される理由と時間があったか
・もし仮に遺棄されたとしたら、何故武装解除の段階で、それら兵器が隠匿・遺棄されたことが発覚しなかったか
これに対する合理的な説明は、いまだに為されていません。

日本軍は、武装解除の際に兵器一切を中国軍(国民党軍)に引き渡しています。実際、国共内戦で、日本軍の「隼」のような戦闘機が国民党軍によって使用されたことは良く知られています。
化学兵器も武装解除の際に中国国民党軍に引き渡されたと考えることが自然です。

とすると、実際にこれら化学兵器を「遺棄」したのは誰か。実は製造元の日本軍ではなく、国民党軍、もしくは国民党軍から奪取した共産党軍だったという可能性も否定できません。
「製造物責任法」という現代の観点から言えば、製造元の日本の責任は免れないかも知れませんが、日本軍が譲渡したものであれば、その責任も武装解除の際に全て受け渡していると解釈することが自然でしょう。

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最近、成田や関空などで、中国人旅行者によるスーツケースの「遺棄」が問題になっています。空港に放置されたスーツケースの山が倉庫に保管され、大きなコストを消費しているのです。
モノを遺棄して平気なのは、大きな土地を持ち、捨て放題の大陸ならではの発想なのでしょうか。

(本文と写真は関係ありません)

posted by シモン at 05:00| 東京 ☀| Comment(35) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
寒冷となつた、甲府市内の夜明け前。
けふも、乾坤一擲、一番槍。

サテ遺棄兵器。兵器だけに、平気平気とは、行きませんナ、。
Posted by 百足衆 at 2018年03月07日 05:10
在日という遺棄兵器が国防や社会保障の驚異となっています
Posted by 田舎帝王 at 2018年03月07日 05:55
百足衆様、一番槍、

おめでとうございます。
おめでとうございます。

ことっほぎゃ!ことっほぎゃっ!
ことっほぎゃ!ことっほぎゃっ!
ことっほぎゃ!ことっほぎゃっ!

菅原君。
ゆめゆめ、田舎帝王様に「驚異ではなくて脅威です」などと、コメントしないように!

こめらっ こめらっ。
Posted by 藤原 at 2018年03月07日 06:15
田舎帝王さんの言う通り。てか特定危険外来生物
Posted by デハ at 2018年03月07日 07:29
曇天となつた、甲府市内のお昼時。
けふの昼食が、発表された。
オムライスだ。オムツをするような子供が食べるものだ、馬鹿にするなと細に云うと、お爺さんじきにオムツのお世話になりますよと反論され、喧嘩になり、一箸も付けていない。そんな状況です。

サテ恒例の昼食予想。
GATTOさんは惣菜パン。
デハサン達はミートソース。
ラーサンはラーメン。
シモンさんはコンビニおにぎり。
田舎帝王さんはデイリー山崎のカツカレー。

と予想。
Posted by 百足衆 at 2018年03月07日 12:26
鶏天そばでした。
Posted by GATTO at 2018年03月07日 13:25
安定の、日高昆布と紀州梅のおにぎりでした
Posted by シモン at 2018年03月07日 18:42
百足衆様、
申し訳ございません!
取引先にご馳走してもらい、海鮮丼食べました♪
Posted by ラー at 2018年03月07日 18:46
総菜パンでした
Posted by デハ at 2018年03月07日 19:04
カルボナーラ。

5割正解かな
Posted by 谷汲線デロ一形 at 2018年03月07日 19:06
夜となつた、甲府市内の夜。
細との冷戦状態は続き、昼食のみならず夕食も未だ食しておりません。
かように、細の自論で食物供給に支障が生じる場合は、年金受給者の悲しさ、飢餓状態に陥りながらも、書斎に篭って、武士は食わねど高楊枝を気取らねばならない事もしばしばあります。
皆も、爺を他山の石として、剣呑剣呑です。

サテけふの戦果総括。谷汲デロさんの云うとおり、5割、即ち50%と認定。異議ある方は申し出てください。
GATTOさんには、またも大きく魚雷を外した。レキシントン発見の報有り。GATTOさんも、珊瑚海、ミッドウェー、サンタクルーズ沖の、何処に身を横たえたいか、希望を仰って下さいナ。
Posted by 百足衆 at 2018年03月07日 19:40
ぷははは!

百足の爺さん、足が50対もあるから、おむつも50枚一度に穿かなきゃなんないから、大変だわ!

大人しく頭下げて奥さんのオムライス食いなさい。
Posted by ファンタジスタ・サブロー at 2018年03月07日 19:47
百足衆先生、山梨県と千葉県の違いなのか、先生と私の年代の違いなのか存じませんが、オムライスを子どもだけの食べ物とか、成人男性が食べたら恥ずかしい、といった考えは今日まで聞いたことがありませんでした。
Posted by GATTO at 2018年03月07日 20:59
最初、先生がお昼に書かれたことは冗談だと思っておりました。まさか、成人男性がオムライスを食べることを恥ずかしいと考えたこともありません。

まあ、オムライスは特に好物でもないし、他に食べるものがあれば、わざわざいただくこともありません。自分にとって、そのレベルの食べ物です。もし、鈴ふり亭に行くことができたら、喜んでいただこうと思います。

そこで、皆さんのご意見も伺いたいと思います。皆さんは、オムライスを召し上がることに抵抗がありますか?
Posted by GATTO at 2018年03月07日 22:27
昨日のお昼はコンビニの冷凍グラタンでした
Posted by 田舎帝王 at 2018年03月08日 02:34
寒冷となつた、甲府市内の夜明け前。
けふの「わろ天下」上海慰問団は、軍服を着て演技を続けるのだろうか。
お愉しみに。

サテGATTOさん。世代の、違いかも知れない。昔、お子様ランチというものがあり、オムライスに日の丸の国旗を立てた物だった。
60数年前。爺が新人教師として教壇に立った頃、初任給で町の洋食屋に行き、オムライスを注文したところ、
「大の大人が」「クスクス」
と笑われ、撤回してラーメンにしたことがありました。是だけの歳月を経て、今尚脳裏に鮮明に思い出す記憶なのです。そういった時代だつた。

幸い、昨日は細君と和解し、遅い夕食、否夜食にありつけた。空腹は、老躯には辛いですナ。
Posted by 百足衆 at 2018年03月08日 04:33
新宿の珈琲西武のオムライス食べた。ポムの木よりうまかった
Posted by デハ at 2018年03月08日 06:56
百足衆さん

奥様と和解されて何よりです。
昨日の百足衆さんの投稿を読むと、オムライス云々に怒っているのではなく、攻撃に出たところを奥様に見事にカウンターパンチを食らった事にお怒りだったのではないかと拝察します。

ちょうど、矢吹ジョーが力石に食らったクロスカウンターの場面を思い出しました。
あまり減量し過ぎないでください。力石みたいに死んでは元も子もありません。

今日はコンビニでオムライスと鮭のおにぎり買ってきました。
Posted by シモン at 2018年03月08日 08:01
おはようございます。

百足衆先生、奥様と仲直りできて良かったですね。安心しました。

時代により変るものは結構ありまして、私が 20代の頃は、「大の男が猫なんて」といった感じで、よく周囲から笑われたり、怒られたりしたものでしたが、私は全然気にもせず「他人様に迷惑かけるわけじゃなし、何が悪い」と平気な顔をしておりました。その後の風潮はご存知の通りです。

まぁ、時代によって周囲の目や評価など簡単に変るものですから、法にふれず、他人様に迷惑かけないなら、好きなことをされて良いのではないですか。
Posted by GATTO at 2018年03月08日 08:03
雨となつた、甲府市内の朝。
けふの「わろ天下」上海慰問団は、漫才が面白くないから帰るように少佐から指示を受ける。

という、回でした。
サテシモンさん。貴殿の指摘通りかもしれないナ。確かに、年寄りは食が細くなると寿命が近い、とテレビでよくやっている。
なので、細君の飯も分け隔なく、食べなければいけないナ。

昼食予想の、重要なヒントを頂き、ありがとう。
Posted by 百足衆 at 2018年03月08日 08:12
雨となつた、甲府市内のお昼時。
けふの昼食が、発表された。
ご飯に煮干しだ。具無し味噌汁も、つく。

サテ恒例の昼食予想。
GATTOさんは惣菜パン。
デハサン達はラーメン。
ラーサンもラーメン。
シモンさんはコンビニのオムライスと鮭のおにぎり。
田舎帝王さんは、ビーフストロガノフサンクト=ペテルブルク風。
と、予想。
Posted by 百足衆 at 2018年03月08日 12:19
旭川ラーメン食べました♪♪♪
Posted by ラー at 2018年03月08日 12:36
ハンバーグステーキです
Posted by 谷汲線デロ一形 at 2018年03月08日 16:04
百足衆さん

すごい!おにぎりの種類まで的中です!
何故分かったのですか!
Posted by シモン at 2018年03月08日 17:30
シモンさん

誰でもわかります。
Posted by 菅原 at 2018年03月08日 17:46
菅原君 この、
だらくそ!だらくそ!ぱげ!ぱげ!かわずやまの、朝日虚構森友文書!

君の論理は、明らかに間違っている!
誰でもわかるんだな!?
トランプ大統領もわかるのか?安倍首相もだな?
それは間違っている!
このブログの、シモン様のコメントを読んだ人でないと、わからない!

君は、重大な条件文を設定せずに、全ての人がわかります、と言っているのだ!

このブログを訪れる、全ての人に、

謝罪せよ!はっ
謝罪せよ!はっ
謝罪せよ!はっ
謝罪せよ!はっ
謝罪せよ!
Posted by 藤原 at 2018年03月08日 18:39
こんばんは〜

准愛妻弁当でした。以前「半愛妻弁当」と申しましたものと同じですが、名称だけ変えました。
Posted by GATTO at 2018年03月08日 18:47
驟雨となつた、甲府市内の夜。

サテシモンさん。爺と星は、何でも知っている。(笑い)

サテ藤原さん。菅原君の浅慮を、広い心で赦して上げなさいナ。彼は未だ若い。

サテGATTOさん。準愛妻弁当ですか。
佳い佳い。
またしても、魚雷を寸前で回避された、百足衆様無念。

Posted by 百足衆 at 2018年03月08日 19:23
今日のお昼はケンタッキーフライドチキンでした
Posted by 田舎帝王 at 2018年03月08日 19:34
今週の風林火山

越後勢の対応を巡り軍議が紛糾するなか、勘助は典厩信繁から「海津城は落ちぬ」と断言した根拠を求められる。

信玄がそうであるように、政虎もまたこの一戦で武田との雌雄を決しようとしている。

もし、海津城を落とせば形勢不利と見た武田勢は静観に回り戦を避ける事は明白。

信玄を戦場に引きずり出すには海津城を落とすのではなく、信玄が戦場に姿を現すまで牽制し続けるしかない。

勘助は政虎の心理を読みぬいた上で「海津城は落ちぬ」と断言したのだ。

主君すら戦術の駒として扱う勘助の策に、一同は言葉を失った。

勘助の読み通り、政虎は海津城を素通りして妻女山に布陣した。

妻女山は海津城の背後を窺う位置にあるが、別の見方をすれば武田方の懐の奥深くに飛び込む策である。

自ら退路を断ち背水の陣で挑む政虎の策に武田家中は決戦の覚悟を決めるのであった。

出陣の日。

勘助は養女リツに銃後の守りを託し、川中島へ向かったのであった。

川中島へ向かう途上、勘助は諏訪に立ち寄り由布姫の墓前に参り政虎との一戦を報告する。

勘助は由布姫との日々を回顧し、墓前から去ろうとしたその時、由布姫の幻を見る。

初陣を前に、初陣の報告の為に勝頼が亡母の墓参をする。

戦場で功名を誓う勝頼に対し勘助は信玄からの上意として諏訪の高島城に入り後備えを命じる。

勘助の言葉に不満を漏らす勝頼であったが、秋山信友の執り成しで高島城の備えに就くことを渋々承諾するのであった。

当初、勘助もこの戦いで勝頼に初陣を飾らせようと思っていたが、墓前に現れた由布姫がそれを押し留めたのである。

本陣に入り、自らの一存で勝頼を高島城に入れた事を詫びる勘助であったが、「後備えは誰かがやらねばならぬ仕事」として、信玄は不問に伏した。

信玄は駒井政武に対し勝頼を戦場から遠ざけ事に「勘助はこの戦に怯えているのではないか?」と尋ねるが、駒井は「御屋形様を守るため」と勘助の配慮を示した。

駒井の言葉に信玄は武田の血筋を守ろうとする勘助の思慮に感謝するのである。

川中島に入った武田勢は川中島に入り、雨宮を抑える。

雨宮は越後勢が撤退する渡し場である。

武田勢は越後勢の退路を断ち、武田本陣と海津城で妻女山を挟むように布陣した。

この戦、先に動いた方が負けじゃ

武田方の布陣を傍観した宇佐美は越後方から戦を仕掛けさせる武田方の策を読み取りつつも、あくまでも慎重であった。

信玄は兵を海津城に入れると、そのまま籠城の構えを取った。

無論、越後勢をおびき寄せる為の策ではあったが、政虎はその誘い水に乗らなかった。

長期間に及ぶ睨み合いが続き、越後方の雑兵が乱捕を始めたと報告が上がる。

越後勢の兵糧が尽きかけている証拠である。

今こそ、攻めかかる好機。

信玄が戦の策を立てるように命じたその時、割ヶ嶽城攻め以来行き方知れずとなっていた原美濃守の消息が明らかとなった。

深手を負った原は川中島からほど近い屋代の農家で匿われていたのである。

知らせを受けた勘助は屋代に急ぎ、原との再会を果たす。

原は屋代の老農婦おふくの手により看病されていた。

政虎との一戦に逸るのは原も同じである。

しかし、手傷を負った原は信玄の上意により参戦の許しは得られなかった。

勘助は川中島の気象を利用した策を立てようと思い付き、おふくに深い霧が出る条件を聞きつける。

おふくは秋の長雨が降り続く外を見ながら蜘蛛の動きを読み「夜には雨が上がり、明日の朝、深い霧が出る」と求められるままに勘助に助言を与えた。

おふくの助言に勘助は戦を仕掛ける決意を固めたのである
Posted by 田舎帝王 at 2018年03月08日 19:35
ほほほほ〜

田舎帝王さんlove!のおんな城主が来たわ〜

誤解しないで〜解説の妙に惚れ込んでいるだけよ〜本人は、知らないわ〜ごめんね〜

来週はいよいよ決戦だわ〜緑魔子が勝敗帰趨を決した!
なんて展開だったら、これまで視聴した事が一気に無駄になるわ〜心配ね〜
Posted by おんな城主 at 2018年03月08日 19:55
激しい雨となつた、甲府市内の深夜。

サテ田舎帝王さん、風林火山の活写、見事なり。
次週は愈々、川中島の合戦。啄木鳥の戦法、謙信の前に破れるか。

お楽しみに。
Posted by 百足衆 at 2018年03月08日 21:46
女城主さん
ネタバレはいけませんぞ(笑)
Posted by 田舎帝王 at 2018年03月08日 23:37
ワタリガニパスタでした
Posted by デハ at 2018年03月08日 23:43
驟雨となつた、甲府市内の夜明け前。
けふの「わろ天下」上海慰問団の、最終公演、さあ如何に。

サテ昨日の戦果を集計すると、40%。まずまずである。
朝日新聞の、捏造記事が、毎日新聞とNHKによって暴かれたそうですナ。
Posted by 百足衆 at 2018年03月09日 04:50
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