
昨日から仕事始めをされた方も、1/7(月)から始動される方もいらっしゃると思いますが、そろそろお正月気分も抜けているのではないでしょうか。

正月ボケの一つとして、かつてはズボンの前ジッパーを開けたまま閉め忘れるという人がいました。現在でも認知症の人たちなどはそういった行動をしてしまうのかもしれません。
こういう人を指摘するのに、70年代以前に使われた言葉が「社会の窓が開いている」と表現しました。
人体は、通常衣服で覆われています。顔や首筋、手といった部分を除いて、衣服に覆われた人体の部分は、いわば社会から隔絶されているわけです。しかし、人間の営みである排泄行為、特に小便をする際に、立ったままこれを行うことを容易にするための開口部が男性のズボンには実装されています。この開口部から社会の冷たい空気に顔を覗かせて放尿する、つまり男性の局部にとっては「社会への開かれた窓」となる訳です。
2019年の現在なら「ズボンのチャックが開いてますよ」とストレートかつ不躾に表現することが一般化されていますが、70年代以前の日本社会は現代よりももっと含蓄に富んだ時代でした。文学的な匂いを帯びた婉曲表現として「社会の窓」という表現が用いられた時代は、まだまだ精神的に余裕があった時代とも言えるでしょう。
そもそもこの単語は、1948年から1960年にかけてNHKラジオ第一放送で放映されていた「社会の窓」という番組名に起因するそうです。
ちなみに、このような婉曲表現は、英語にもあります。
「XYZ」という表現がそれです。では「XYZ」が何故「社会の窓が開いている」と同義なのかと言うと、
Examine your zipper (あなたのジッパーをチェックしてください)
の略語なのだそうです。このような表現が英語にもあるということは、英語圏の人間でも日本人同様、ズボンのジッパーを閉め忘れる人が少なからず存在することを裏書きしています。表現は知りませんが、おそらく他の言語(ドイツ語、フランス語、スペイン語など)でも同様の表現があると思われます。

ただ、このような表現が存在しなそう言語も、確かに存在します。それが何語なのかは、皆さんの想像にお任せします。
(本文と写真は関係ありません)
無念。冬場は、目が覚めても、起き上がってコンピューターに向かうまでに、時間を要することが、多い。
明後日こそは、捲土重来を、期す。
この画像を見た時、ローリング・ストーンズのアルバム「スティッキー・フィンガーズ」を思い浮かべました。この時期のストーンズは最高だったな。
田舎帝王さん、一番槍おめでとうございます。やはり気分の良いものですよね。
百足衆先生、いやあ、残念でしたなあ。でも、寒い時は、どうか無理をなさらんでください。お元気でさえいてくだされば、一番槍など何回でも取れるもの。目の前の1回だけではありませんから。
けふの「満腹」ぺー(長谷川演)は、万能調理器を発明する。
という、回でした。
サテGATTOさん。爺の体を労わってくれて、有難う。
だが貴殿も、そろそろ労わられる側の身では、ないかナ。くれぐれも、御身体大切に、出勤の後は、休んでくださいナ。
サテ恒例の昼食予報。
GATTOさんは惣菜パン。
デハサンはカツ重。
デロサンはライスカレー。
ラーサンはラーメン。
シモンさんは七草粥。
田舎帝王さんは味噌カツ。
燈台森さんは三色サンド。
藤原さん達は、天麩羅うどん。
と、予報。
我が人生も、日没と、知る。
アデオス。
サテGATTOさん。町内会、御苦労様。
爺にも朝が来ましたが、夜ももうじきです。
ほら、デハさんが事前申告してくれましたよ。もちろんご本人です。せっかくですから。
サテGATTOさん。お誘いは、有難いのだが、それでは幼稚園児が、「にらめっこしましょ、手の鳴る方へ。」と、保母さんに誘われるかの如し。
幾ら、「老いては子に従え。」との警句が有れども、爺としては、幼稚園児と同等では、名折れと云うものであろう。
依って、けふだけは、自尊心を捨てて、GATTOさんに従い、デハサンの厚意に、甘えんとす。
サテけふの、昼食予報。
デハサンは肉ネギ丼。
と、予報。
「にらめっこしましょ」ではなく、「鬼さんこちら」です。